日常の終わり
8月12日 日本 とある都市
「ふぅ〜終わった終わった〜」
「お疲れさん。ほれ、水だけど飲むか?」
「おう、サンキューな」
「そんじゃ、ぼちぼち帰りますか」
俺の名前は日野 陽太 28歳独身。
名前のわりに明るいわけでもなく、かといって暗いわけでもない、名前負けな普通の性格。
今のところこれといった才能はない。できないことはあまりないが、どれも平均程度にしかできない。
大きくも小さくもない普通の会社に勤めていて、特に偉くもない普通のサラリーマンだ。
「今日は久々に早く終わったんだから、どっか飲みにでも行くか?」
ちなみにこいつは俺と同い年の会社の同僚。同期ということもあって俺が会社に入ったときから長い間親しくしている友人で、成人してからできた親友と呼べる存在だ。
「それは素晴らしい提案だが、あいにく今日はまっすぐ帰ろうと思ってるんだ」
「ふーん、またどうせミルちゃんとかそのあたりだろ?」
「良く分かったな、さすが付き合いが長いだけある。だがミルちゃんだけじゃない、ミルちゃんを含めた俺の家族がお腹をすかせて俺の帰りを今か今かと待っているんだ!」
先ほども述べた通り、俺は独身だ。結婚はおろか、彼女ができたこともない。
当然、童貞である。
それでも、俺には大切な家族がいた。
ネコのミル、ウサギのピコ、フクロウのラク。
俺は田舎育ちで、家の周りに山があったせいでどうしても動物と触れ合う機会が多かった。
それが関係あるのかは知らないが、他の場所に行ってもいろいろな動物に懐かれやすかった。
そして幸運なことに俺は大きさは関係なく動物が大好きだった。
「いつも思うけど、なんでその三匹を同時に飼うっていう発想になるんだ。統一性が無さすぎるだろ」
「お前には分からないだろうさ、俺の心も俺達の絆もな」
「はぁ、何言ってるんだか」
「そんなことはいいから早く駅行くぞー。もし、乗り遅れでもしたら大変だ」
呆れる同僚の言葉を流して足早に駅に向かった。
俺と同僚の家は会社からはかなり距離がある。だから基本は毎日電車で通勤していて、帰りも同じ駅から電車に乗って帰っている。
同僚とは家が近いということもあって行き帰りが一緒になることが多かった。
「俺、平和っていいよなって思うんだよ」
「え?」
駅に向かっている最中、隣を歩いていた同僚の予期せぬ日常崩壊フラグに少し驚いた。
「平和なのって良いと思わないか?俺はこういうなんでもない日がこれから先も続いていくの、結構いいなって思うんだよ」
「ぷっ、ははははは!急に何を言い出すかと思えば、平和がどうのこうのって…」
歩きながらおもむろに道端の街頭を見上げて漫画やゲームの最初の犠牲者みたいなことを平気な顔で口走る同僚に思わず吹きだしてしまった。
「どうしたんだよ、今にも死にそうなこと言ってさ」
「死にそうとはなんだ!俺はただ最近ふと思ったことを言っただけだ」
「普段どんなこと考えて仕事してんだよお前」
「はぁ〜、でもまぁ、お前の考えは俺と同じかな。何事も普通が一番、普通こそがすべてだと思うね」
俺は今まで目立つようなことを避け、ほどほどに存在感を出しながら生きてきた。だから普通こそが至高だと思っている。今でもその思想は変わっていない。
「まっ、たまには今みたいなイレギュラーなことがあってもいいと思うけどな」
「おい、それ俺のことか?」
冗談で言ったつもりだった。しかし、俺はこの発言を近いうちに後悔することになる。まぁこのときの俺がそんなこと知ってるはずもないんだが。
その後も他愛ない話をだらだらと話しているうちに駅に着いた。仕事がいつもより早く終わったにも関わらずいつもの癖で早歩きで到着してしまったこと、それほど大きくもない駅ということもあってまだ人はあまりいなかった。
駅のホームに入ると、またいつもの癖でまだ電車は来ないのに線路側に立ってどうでもいい話を続けた。
「あれ、なんか混んできてるな」
話に夢中で気づかなかったが、気づいたときには10分ほど過ぎていて駅に結構な人がいた。
「たしかに、言われてみればいつもより人が多いような気が…」
普段はあまり人が多くないこの時間帯にしては人が多かった。
「今日はこの辺で祭りかなんかあったのか?」
「俺は聞いてないな、そんな話」
珍しいことではあったが、特に興味が引かれたわけでもなく、まぁこんな日もあるだろ程度に考えてあまり気にせずまた雑談に戻った。
そしてその後も人は増えていって、最終的にはいつもの1.5倍くらいの人数になっていた。
「……意外と増えたな」
「うーん、動物に囲まれるのは好きだけど人に囲まれるのは苦手なんだよな、この駅ちっさいし」
ちょうどそのとき、遠くに電車の光が見えた。最後まで一番線路側に立っていた俺達はぼちぼち乗車する準備を始めた。
「きゃあ!!」
それは突然だった。真後ろから女性の悲鳴が聞こえて思わず振り返った。
「こ、この人痴漢です!!」
悲鳴をあげた女性は女性の斜め後ろにいるおじさんの腕を掴んで叫んでいた。
「な、何を言っているんだ!!私は落としたスマホを拾おうと…!」
どうやら痴漢騒動のようだった。
しかし、女性とおじさんの間に彼氏っぽい若い男がいておじさんとは距離がある。普通に考えてまず小太りのおじさんの腕は届かないだろう。
前のめりになれば届くかもしれないが、彼氏を間にはさんでいるのにそんな無謀な挑戦をするとは思えない。
「おいおっさん!なに俺のツレに手出そうとしてんだ?ちょっとこっち来いよ!」
あぁ、もうだめだな。冤罪臭はすごいけど、あそこにいたのが運の尽き。
痴漢されたと主張する女性ほど強いものは人間界には存在しないんじゃないかと俺は思う。一声でそこら一帯の空間を瞬時に支配し、周囲のあらゆる人間を味方につけられるほどの力を持つんだからな。
逃げることは絶対不可能。仮に逃げられたとしても次は警察に追われることになって逆効果、おとなしくついていっても場合によっては逮捕。
もうどっちが被害者なんだか。
「や、やめろ!私は何もやってない!!離してくれ!!」
彼氏に腕を捕まれて必死に抵抗しているおじさんが見えた。
哀れなおじさん、完全に逆効果ですよそれ。と心の中で呟いた。
余裕綽々な態度をとってそんなことを考えてた俺に一瞬の出来事が訪れた。
ドンッ
「……え?」
俺の後ろ、つまり振り返っていた俺にとっては正面に立っていたヘッドホンの少年が突然俺の胸に予備動作なしで突然飛び込んできた。
そして次に気づいたときにはすでに俺の体は宙に浮いていた。
ん?一体何が起きた?時間がゆっくり流れているように感じる。とりあえず落ち着いて考えよう。
俺はすっかり痴漢現場に目をとられていたが、そのときに俺の視界の端で巻き起こっていたもうひとつの小さな出来事を無意識のうちに記憶していた。
まず暴れているおじさんを女性の味方となった人々が地面に押さえつけた。これがもうひとつの小さな事件の始まり。
人々に押さえつけられ倒れたおじさんに驚いて、倒れた場所にいた一人の女性が驚いて後ろに後退した。
もちろんその女性は目の前の出来事に釘付けになっていて自分の後ろのことなどは把握していなかったのだろう。
後退した女性はそのまますぐ後ろにいた痴漢現場にまったく興味なしのヘッドホンの少年の背中に背中から追突。
すっかり油断していた少年は、足で踏ん張ることもできず現場に目をとられていた俺の胸に飛び込んだ。
つまり今俺の体が宙に浮いているというのは線路の上に背中から落ちている最中ということだったんだ。
思ったより考える時間があるものだ。
続けてこれまでの俺のつまらない人生の思い出が頭の中に流れ始めた。
なるほど、これが俗にいう走馬灯ってやつか。まったくつまらん記憶ばっかりだ。こいつは一体何をして生きてきたんだと思わずツッコミを入れられるほどの時間もあった。
しかし、それは決して無限の時ではなく、もう俺の目の前までゆっくりと死が迫ってきていた。
あぁ、こんなことならもうちょいやんちゃした方が楽しかったかな。せめて童貞だけでも…
俺はもろもろ後悔しながら手を伸ばせば触れられるほど近くにきた電車を前にして静かに目を閉じた。
死ぬ直前だというのに意外と穏やかな気持ちだった。
そう、ここまでははっきりと覚えている。そのあともなんだか電車にも当たった気がするし、すごい痛かった気もする。
だが、俺は生きていた。死ぬどころか血の一滴も出ていないし、骨も折れてない。なんならいつもより調子が良いんじゃないかと思うほど健康体だった。
全然頭が追いついていない。
しかし、今起きた謎の出来事に混乱しているこの状況でも1つだけ明確に分かる事実があった。
それは、俺が今目を覚ましたこの場所が日本どころか、地球ですらないということだ。
「おいおい、なんなんだ?この状況…」
俺は頭がパンクして呆然と立ち尽くすしかなかった。
誤字、脱字や、ここの表現がおかしい!などご指摘いただけると幸いです!