死出山怪奇譚集番外編 遥かな地への旅Ⅱ
照彦達と別れた後、エメルダと水蛇は北へ北へと歩いて行った。電車を幾つも乗り継いで行き着いた先は北の広い大地、エメルダが昔住んでいた場所のように夏も涼しい土地だった。
バスに乗って内陸の方へ向かっていたエメルダ、すると、バスの窓から柵が見える。その中には、牛や羊達が居た。
「こんなに大きな牧場があるなんて…」
冥界にも牧場がある。だが、どの牧場もこじんまりとしたものだった。また、飼っているのは現世と同じ動物ではなく、それを模した姿の怪達で、大規模で飼うのは難しい。
エメルダは一度バスから降りて、牧場の中に入った。牧場の前には藤田牧場と書かれてあって、何人か人が居る。
エメルダは、そこの主人と話をして、手伝いをする事になった。エメルダ達は作業着に着替えて、主人が言われた通りに仕事を始める。
まず、エメルダ達は牛達の餌になる牧草を牛舎に運び、食べさせた。冥界の牛には首が無く、ものではなく霊力を糧にする為、こうして草を食べている様子が新鮮に見える。
すると、エメルダと一緒に牧草を運んでいたはずの水蛇が、檻を持ってやって来る。
「エメルダさん、見て下さいよ!」
水蛇が持ってきた檻の中には、ネズミやリスといった小動物達が入っていた。ネズミ達は水蛇を天敵だと勘付いているのか、暴れる事なく震えながら縮こまっている。
「君には害獣駆除の才能があるな」
人間の姿になった水蛇を本物の蛇とは知らない主人は、気の利く少年だと言って褒めた。
「向こうでは馬を飼ってるんだ、見るかい?」
「お願いします!」
牧草運びが終わったエメルダ達は、主人に付いて行って、馬の厩舎に向かった。
厩舎では馬達が柵の中で走り回ったり、草を食べたりしている。以前他の地に行った時も馬を見た事があり、移動手段にも使った事があるが、これだけ長閑な所に居るのは初めてだ。
水蛇は主人に子馬に乗せてもらった。子馬は水蛇になつき、一緒に走った。数百年も生きているはずの水蛇だったが、その笑顔は純粋な少年のものだった。
すると、二人の様子を柵越しに誰かが見ていた。エメルダはそこへ行ってみる事にする。
「君は…?」
その人物はエメルダと同じくらいの背で、夏なのに首が詰まったコートと帽子を被っている。声と態度からして、少年のように見える。
その少年はエメルダの何かに気づくと腕を掴んで身体を引き寄せた。
「人間…、じゃない」
そして、何かを確認するかのようにじっと見つめると、腕を引き離してエメルダから立ち去った。
以前ルイザとボルトに出会った時も思った事なのだが、人間の方はエメルダの事を死神とはあまり認知しない。
それなのに、死神達はエメルダを見てすぐに人間ではない事に気づくのだ。エメルダも、似たような見た目をしているにも関わらず、死神と人間の区別は付く。エメルダは発する気や霊力が違うと思っているが、他の死神達にもそれが分かるのだろうか。
エメルダは、牧場から出てその少年を追い掛け、引き止めた。少年の顔を見ると、右目の周囲に十字の印がある。
「俺はジャック、冥界で馬方をやっているんだ。」
服装が暑いと思ったのか、ジャックは帽子を外した。だが、どういう訳かコートは外さない。
「もしかして、馬を見てたの?」
ジャックは頷き、柵の向こうにいる馬達を見る。
「馬の首ってあんなふうになってるんだな…」
ジャックも現世の馬に興味があるようだった。
そこで、エメルダはジャックの手を引いて、牧場へ戻った。そして、ジャックを一度その場に置いてこう言う。
「馬見たいなら、頼んで来ようか?」
「ええ…、お願いします」
エメルダはそこの主人と話をして、ジャックを入れてもらう事にした。
ジャックの所に戻ったエメルダは、それを伝えた。ジャックは喜んで、目の前に置かれた着替えを見ながら、コートに手を掛け、別の部屋に向かう。
その時、ジャックの首元がチラリと見えた。ジャックの首には不自然な切れ目がある。その切れ目からは青い光が漏れていた。
「首に切れ目?」
「古傷でしょうか…?」
エメルダは、その傷が古傷とは思えなかった。余程戦う事がない限り、死神の怪我というのはすぐ完治するはずだ。特に若ければ若い程、それは早い。
エメルダは、青い光は霊力が漏れているものだと思った。普通、霊力が漏れるというのは、死神にとって致命傷だ。それを放置しているというのは、どういう事だろう。
別の部屋で着替えていたジャックは、エメルダの所に戻って来た。ジャック本人も首の切れ目は気になるのか、タオルでそれを隠している。エメルダも敢えてそれを聞かずに、一緒に厩舎で仕事を始める。
「そういえば、あなたはどうして現世に居るのですか?」
エメルダは、ジャックの事を聞きながら、自分の事は全く話していない事に気づいて、こう返した。
「私はエメルダ、現世の事を知る為に旅してるの」
「そうですか…」
ジャックは、目の前に居る馬を一頭一頭見ながら、馬小屋を掃除していた。
幾ら涼しい気候とはいえ、仕事をしていると汗をかく。だが、ジャックは首元にタオルがありながら、それで汗を拭こうとはしなかった。
すると、主人がエメルダ達を呼んで、牛乳瓶を目の前に置いた。
「業者が殺菌して持ってきてくれたうちの牛乳だ、飲むかい?」
エメルダ達は主人にお礼を言って、それを飲んだ。疲れた身体に冷たい牛乳が染み渡る。エメルダは様々な所を旅していたが、これ程新鮮で、美味しい牛乳は初めてだった。
エメルダ達がそれを置いた後、主人は更にこう言った。
「ボウズは馬に興味があるのか?」
どうやら主人は、ジャックに聞いているようだった。現世の馬に興味を持っているジャックは、真っ先に立ち上がる。
「あっ、はい!」
「乗ってもらいたい馬が居るんだ」
そう言って主人は先程の柵に囲まれた農場に案内した。
そこには、綱に繋がれた馬が一頭居る。
「まだ人に乗られるのに慣れてないようでな、ボウズだったら乗りこなせるか?」
ジャックは冥界で馬を扱い、人や物を運ぶのを生業としている。現世の馬だって、乗りこなせてみせると意気込んだ。
「やってみます!」
「そうかそうか、やってくれるのか」
主人は馬の綱を持って来て、ジャックの目の前に馬を持って来た。ジャックは早速乗ってみる事にする。
ところが、馬はジャックに乗られるのを嫌がり、頭でジャックを打った。その勢いでジャックは地面に叩きつけられる。
その時、首に巻いてあったタオルが解け、切れ目から首が外れた。そして、文字通り首なしになった胴体だけが立ち上がる。
それを見た主人は腰が抜けて、その場から動けなくなってしまった。
「痛いじゃないか!」
ジャックの声がする方を見ると、首から下が無い顔が飛び跳ねながら喋っている。
「首が外れた…、これもまた奇形なの?」
エメルダと水蛇は、一度ジャックと主人を引き離す為に、ジャックの首と胴体を持って隅の方へと走った。
そして、ジャックの首と胴体を繋げ、タオルを巻き直した。首が戻ったジャックは一安心し、草の上に座り込む。
「ふぅ…、助かりました」
「ねぇ、これってまさか、奇形なの?」
「ええ…、生まれつき首に切れ目があって、そこから外れるようになっています…」
ジャックはエメルダと水蛇にその切れ目を見せた。エメルダが先程見たそれは見間違いではなく、そこから霊力が漏れている。
「デュラハン…、死を招く妖、ですか」
「確かに死神は人間達にとって不吉な存在だと言われてるわ、怪や妖達と一緒くたにされるのも仕方のない事なのかも…」
ジャックは首元を押さえながら立ち上がった。首はちょっとした衝撃ですぐ外れるらしく、先程外れたのをずっと気にしていた。
その後、エメルダ達は主人の所に戻った。主人は既に立ち上がって馬達の世話をしている。
「すいません、驚かせてしまって…」
そう言って謝ったジャックだったが、先程の事を主人はただの見間違いだと思っていた。
「ああ…、気にすんなボウズ、俺が疲れてるだけだから」
主人はジャックの事を見ずにそう答えた。
そして、主人は厩舎の奥の方へ向かった。そこには、脚を折り曲げて座り込んだ一頭の馬が居る。
「あの馬は…?」
「ああ…、あいつは脚を挫いてもう走れないんだ。本当なら処分されるとこだが、元々うちの馬だから俺が引き取ったんだ。さっきボウズが乗ろうとした馬は、こいつの子なんた」
「そうですか…」
馬は年老いていて、目も虚ろになっている。主人は、藁の中にしゃがみ込んで、その馬に丹念にブラッシングをする。これほど入念に世話するという事は、それだけこの馬に愛着があるという事だろうか。
すると、主人の所に夫婦が現れた。どうやら、主人の息子夫婦らしい。
「お義父さんも年でしょう?無理して世話しなくても…」
「馬や牛達は俺の子供だ、最後まで大切に育てないと…」
その様子を見ながらジャックはポツリと呟いた。
「もうすぐ…、死ぬな」
エメルダと水蛇は、それが果たして主人の事なのか、馬の事なのか分からなかった。
その日の夜だった。ジャックが言った通り、脚を挫いた馬は静かに息を引き取った。
翌朝、悲しみに耽る主人の横で、主人の息子は馬の遺体をトラックに運び込む。
「それじゃあ行ってくるよ」
そうして、火葬場に向かうトラックを、主人はただ呆然と立ち尽くして見ていた。エメルダ達は、厩舎と牛舎を掃除しに行く。
すると、脚を挫いていた馬が居た所に、青い光を放った魂が浮かんでいた。どうやら、その馬の魂が居場所に留まったままになっているらしい。
「動けないんだ…。送ってやらなきゃ」
ジャックは腰の鎖から小さな笛を取り出して吹いた。すると、空間がぼやけてそこから首なし馬の馬車が現れる。
「これが、ジャックの馬?」
「ええ、ノアって言います」
ジャックは、馬車の中に魂を入れると、ノアの背中に跨ぎ、外に出た。
すると、外に居た主人がそれを見て驚いた顔をする。普通、首なし馬は人間にとって霊と同じ扱いで、普通は見えないはずだが、主人には見えているらしい。
「まさかご主人、視えるのですか…?」
「ああ…、俺ももうすぐ迎えが来るかもしれないからな…」
ジャックは一度ノアから降りて、主人に首の切れ目を見せた。
「実は…、俺は冥界から来た死神なんです。向こうでも馬を引いてて、どうしても現世の馬が見たくて来ました」
「さっき首が外れたのは見間違いではなかったのか…、死神は鎌を持って魂を刈るといわれているが、首が外れるものなのか?」
ジャックは首を横に振った後、笛を取り出したのと同じ鎖から、鎌を取り出した。
「いえ、首が外れるのは俺だけです…」
ジャックは鎌を直した後、一度主人の前で首を外して見せた。
「そういやボウズ、名前は?」
「ジャック、冥土の馬方ですよ」
「そうか…、俺は藤井紀彦だ、名前が分かった方が連れて行きやすいだろう」
ジャックは、死神を見ても怖がらない主人に、驚かされていた。
死神とはいえまだ若いジャック、人間が歳を重ねるというのは、ただ単に年月が過ぎるというものではなく、ジャックが思っている以上に重たく、様々な知識と経験を重ねて、人間そのものが大きくなっていく事なのだろうか。
ジャックはノアの背中をなぞった後、そこに跨って手綱を持った。
「それじゃあ、行ってきます」
その様子を見ていた主人は、ジャックの顔を見てこう言った。
「お前も馬を大切に思ってるんだな、ジャック。そうだ、俺が向こうに行く事があったら、その馬に乗せてもらえないか?」
「ええ…、喜んで」
ジャックはそう言って主人に向かって微笑むと、ノアの手綱を引いて歪んだ空間の先へと向かって行った。
しばらく経って、ノアに跨ったジャックが、空の馬車を引いて戻って来た。ジャックは、ノアを冥界に返して、主人の所に駆け寄る。
「ただいま、皆さん。それと、紀彦さん、あの馬に乗せてくれませんか?」
「ええ…、構わないが…」
主人は厩舎から昨日の馬を連れて来た。昨日と違いその馬は暴れず、ジャックの事を待ってじっとしている。
ジャックはその馬の背中をポンポンと叩いた後、慣れた手付きで跨った。すると、馬はジャックを乗せてトコトコと柵の周りを歩き出す。
「ありがとう、乗せてくれて」
その馬はジャックの言う事が分かったのか、鳴いて返事をした。
そして、エメルダ達は藤田牧場とジャックに別れを告げた。次は何処へ向かうのか、全く宛のない旅だ。それでも、旅の中で出会う死神達を見て、一生懸命現世の中に入り込もうとしていたり、自分の役目を全うしている。
エメルダも、いつかその役目を自分自身の力で見つけたいと思っている。その為にも、終わりない旅の終着地へ向けて、今日も歩き出すのだった。