girls be ambitious!
「大っ好きなんです、日野先輩!」
火曜日の一時間目が終わると、あたしは猛ダッシュで校舎の端の渡り廊下へ急ぐ。
二時間目の体育のために、日野先輩がここを通るから。
制服姿の日野先輩ももちろんカッコイイけど、ジャージ姿もステキなのだ。
男バレで鍛えた見事なプロポーションを見逃したくなくて、一時間目が終わる五分前からあたしはそわそわとお尻が落ち着かない。
「そりゃどーも」
あたしからの数え切れないラブコールに、日野先輩はいつも素っ気ない。
でも今日は無視されなかっただけマシかも。
学校指定の濃紺ジャージの後ろ姿をえびす顔で見送るあたしに、美香ちゃんは今日も深々と溜息をついた。
「脈ナシだよ、完璧」
「そんなことないもん、先輩の中であたしの存在は日に日に大きくなっていってるはずだもん」
恋愛にネガティブ思考は御法度だ。
あたしはダイアリーの今日のページを開いてハートマークを書き込んだ。
本日二つめのハートマークだ。
ちなみにこれは先輩と遭遇した回数で、一度目は朝の駅で待ち伏せ。
「おはようございます、学校まで一緒に行ってもいいですか?」
と改札を抜けた所で声をかけたら、見事にスルーされた。
「タフだよね、紗千子って」
そう呟く美香ちゃんは、最近カレシとうまくいっていないらしい。
日野一史。
一年先輩の彼の存在を知ったのは、二ヶ月ぐらい前の放課後。
あたしは週番で、書き上げた日誌を職員室へ届けに行く途中だった。
バイトの時間が迫ってて、すこし慌てていたかもしれない。
掃除の子が水気をきちんと絞っていないモップで廊下を拭いたのも原因の一つだったかもしれない。
とにかく、あたしは階段の踊り場で足を滑らせ、ものの見事に尻もちをついた。
先生が職員室から飛び出してきた程の大音響とともに。
「大丈夫か?」
そこへ通りかかったのが、日野先輩だった。
笑うばかりで助けてはくれない見物人の輪を抜けて、手を差し伸べてくれた先輩。
恥ずかしさで泣きそうになっていたあたしの手を取って立たせ、スカートについた埃を払ってくれた。
「気を付けろよな」
たぶん茹でダコのように赤面していたあたしの頭をぽんぽんと軽くたたいて先輩は言った。
思い切って顔を上げると、切れ長だけどタレ気味で、(後で知ったけど)驚異の視力2.0を誇る漆黒の瞳があたしを見下ろしていた。
「あの、お名前教えて下さいっ」
「は?」
そのまま立ち去ろうとした先輩のシャツをつかんで、あたしはとっさに訊いていた。
それがあたしと日野先輩の、ありきたりだけど忘れられない出会いの瞬間だった。
「オマエはストーカーか」
と、日野先輩は怒る。
食堂で購買で体育館で昇降口で、偶然を装って待ち伏せしているのがバレて。
「好きなんですっ」
「それはわかったから、つけまわすのはよせ」
「つけまわしてなんかいません、偶然なんです」
「ストーカーってのはかなりの確率でそのセリフを吐くらしいぜ」
お昼休みのカフェテリア。
日野先輩はほとんど毎日、昼食はここで摂る。
同じクラスの柳原先輩や山本先輩、部活の後輩の清水くんたちとにぎやかにお昼ごはんを食べて、その後は昼寝をしにクラブハウスへ行ってしまう。
死ぬほど寝顔が見たかったが、帰宅部のあたしにとって運動部のクラブハウスはなんだか敷居が高くて近寄りがたい。
せめて同じ空間でお昼ごはんを食べたいと、あたしは美香ちゃんを誘って二日と空けずカフェテリアへ通っているのだ。
「まあ、そう言うなよ、日野。公共の場なんだから紗千子ちゃんがいたって不自然じゃないだろ」
とりなしてくれたのは柳原先輩。
日野先輩の一番仲のいい友人で、あたしの気持ちを知って応援、というかフォローをしてくれるとても親切な先輩だ。
あたしはひそかに感謝しつつ、制服のポケットから特別定食の食券を取りだして提示した。
「ほら、食券だってちゃんと持ってますよ」
「ああ、そうですか。ではごゆっくり」
食べ終えたカレーライスのトレイを持って、日野先輩はプイと席を立った。
いつもより五分も早い時刻だ。
「待ってくださいよぅ」
呼び止めるあたしの声に、ギロリと剣呑な視線だけ返して先輩はカフェテリアを出て行ってしまった。
「気にしなくていいよ、あいつはほら、おくてだから」
柳原先輩が慰めてくれたが、あたしは未練たらしく窓に貼り付いて、クラブハウスに向かう日野先輩の背中を見つめて溜息をついた。
カフェテリアの一件はさすがに凹んだ。
「アプローチの方法が間違ってるのかな〜」
放課後の教室で美香ちゃんに相談を持ちかけると
「普通はもっと早く気付くもんだけどね」
と即答された。
「日野先輩、怒ってたよね」
「相当ね」
「嫌われちゃったかな」
美香ちゃんは辛辣だけれど根っから意地悪な性格というわけではない。
落ち込むあたしを見て、さすがに少し表情をやわらげた。
「まあまあ、押してダメなら引いてみろって言葉もあるじゃない。こんな時には作戦を見直してみるのよ。柳原先輩も言ってたでしょ、日野先輩はおくてだって」
「?」
「あたしに考えがあるの、柳原先輩に協力してもらって…」
そう言って美香ちゃんは恐るべき企みを切り出した。
そのあまりの腹黒さにあたしは思わずおののいたが、
「恋は駆け引き、結果オーライ。片想いのままでいいの? 欲しい物と運は自分で捕まえなきゃだよ」
美香ちゃんに発破をかけられて、決意した。
このまましつこく告白しつづけても、日野先輩が真剣に受け止めてくれる可能性は限りなくゼロに近い。
なぜか。
それは日野先輩があたしを異性として意識してくれたことがないから。
せいぜい小うるさい後輩か、もっと悪くてたんなる雑音。
それはふられるより、ずっと悲しい恋の失い方だ。
一発逆転は無理でも、せめてあたしが本気で想っていたことだけはわかってほしい。
あたしは意を決して美香ちゃんの計画に乗ることにした。
相談を持ちかけると、柳原先輩は笑い出した。
といっても、計画の重要な部分は伏せてあったから、相当陳腐に聞こえたのかもしれない。
「日野先輩、デートっていったら断るだろうけど、試験勉強なら付き合ってくれると思うんです」
「さすが! 鋭いね」
くすくすとしつこく笑い続ける柳原先輩。
美香ちゃんに睨まれて、あわてて真剣な表情をしてみせる。
「あたしたちが選んだ場所だと警戒させちゃうでしょ」
美香ちゃんは説明を続けた。
「それで、オレのバイト先に呼び出せというわけ?」
柳原先輩のバイト先はショッピングモールの隣にあるカラオケボックスだ。
食事メニューが豊富なのと、平日料金が安いので夕方から夜にかけて結構、お客さんの出入りが激しい。
にぎやかだけど排他的、騒ぐのに夢中でだれも隣の部屋に関心など持たない。あたしたちの計画には好都合だった。
「大事な親友を裏切る代償はなに?」
いつも陽気でにこやかだけど、柳原先輩ってホントは怖い人なのかも。
「ごはん、ご馳走します」
と美香ちゃん。
「晩メシ?」
「いいえ、ランチを」
「二人で?」
猫のようにニヤリと笑って 柳原先輩は面白がっていた。
「二人きりで」
くだんの彼とは別れたので、美香ちゃんは現在フリーだ。
でもしばらく厄介ごとはゴメンだと言っていた。だから先輩との食事は本当にただのお礼ランチのつもりだろう。
「寿司でも焼き肉でもパスタでも、好きなものご馳走します」
強気で言い切る美香ちゃん。
…食事代はあたしが払うんだけどね。
とにもかくにも、美香ちゃんが柳原先輩を口説き落としてくれたおかげで、あたしは今、日野先輩と二人でカラオケに来ている。
もっとも、日野先輩は部屋に入るなりさっそくテーブルの上に参考書と問題集を広げ、しかも微妙に距離を保って防衛に余念がない。
「あ、飲み物貰ってきますね、柳原先輩、忙しそうだったし」
荷物を置いて、あたしは早速行動に出た。
何も知らない柳原先輩からオレンジジュースとミネラルウォーターのトレイを受け取って、部屋へ戻る。
ここまでは打ち合わせ通り。
「で、どこがわかんないって?」
日野先輩はなんの疑いもなくジュースを受け取って一口飲んだ。
「えっとその、二次方程式が…」
しどろもどろになりながら、あたしはチラリと上目遣いに先輩の様子を盗み見た。
「まず例題だな、問1は解けるか?」
「わかりません」
「…考えてから返答しろよ」
相変わらずムードはないけど、面倒見のいい日野先輩は真剣に試験勉強を見てくれるつもりらしい。
体温まで伝わってしまいそうなぐらいの距離に日野先輩を感じて、あたしの心臓はさっきから爆音状態。
とてもじゃないけど、数学の公式なんか頭には入らないよ。
「熱いな、ここ」
二問目を解いた時、日野先輩が制服のネクタイをシュルッとほどいて、ソファの背に掛けた。
「そうですか?」
さりげなく、あたしはお尻を移動して先輩に近付いた。
「暖房、効き過ぎてないか?」
「あたしはとっても快適ですけど」
さらに数センチ、接近する。
「ジュース、もっと飲んでみたらどうです?」
「サンキュ」
氷の浮いたジュースのグラスを差し出すと、先輩は素直に受け取った。
一気にあおって、グラスを置いた時には眼がトロンとしていた。
「あつい」
また言って、シャツのボタンをはずそうとするがうまくいかない。
子供のように苛立って、むりやりシャツを引きはがそうとしている。
「手伝ってあげましょうか?」
先輩はどこか上の空な表情で、あたしの指が自分のシャツのボタンを外してゆくのを眺めている。
夏の名残で褐色の、喉から鎖骨にかけての滑らかで芸術的なラインから視線が逸らせない。
「おまえ」
汗に濡れた前髪越しに先輩の熱い視線。
みつめられて、ときめきに胸がざわついた。
さあ、いつでも押し倒してください〜
「なに、飲ませた?」
バレてるし。
全身の血が一気に足元まで落ちて行った。
「なんのことですか?」
「とぼけるな」
すごい目付きで睨まれて、仕方なくあたしは白状した。
「フォーリン・ラブ」
「ばか、やろう」
先輩はいよいよ呆れかえって天井を仰いだ。
「ごめんなさい、媚薬だっていうから」
「ドラッグだよ、デザイナーズドラッグ」
目をつぶったまま、日野先輩は溜息をついた。冷たい汗が首筋を伝い落ちてゆく。
「ドラッグ?」
「どっから手にいれた?」
「美香ちゃんが…」
「……」
不意に沈黙して、先輩はずるずるとソファに横倒しになった。
「大丈夫ですか? 先輩」
「ーーー触るなよ」
怒気をはらんだ口調で釘を刺される。
無防備に横たわる日野先輩を前にして、あたしは怒られていることも忘れてクラクラしてしまった。
援交で女子高生を前にいざ事に及ぼうと鼻息を荒くしているオヤジってきっとこんな心境。
あたしはそっと先輩の側に膝をついて、浅い眠りの淵にいる彼を観察した。
少しクセのある黒髪が、引き締まった顔の輪郭をふちどり、日焼けしたなめらかな肌に伏せた睫毛が濃い影を落としている。
通った鼻梁をたどって、視線が唇まで達した瞬間、心臓が倍の速さで打ち始めた。
「既成事実を作るのよ」
美香ちゃんは百戦錬磨の毒婦のように微笑して知惠を貸してくれた。
既成事実、たとえばキスとか…?
あたしは先輩の形のいい薄い唇から眼が離せなかった。
音と光の溢れる密室空間で、今あたしは日野先輩と二人きり。
その事を意識すると、急に体温が上がった気がした。
「みず、取って」
その時、目を閉じたまま先輩が口を開いた。
「はい、どうぞ!」
不埒な考えを読まれた気がして、あたしはあわてて飛び退いた。
先輩はけだるげに半身を起こし、グラスを受け取ろうと手を伸ばした。
が、次の瞬間、
「先輩っ」
バランスを失った先輩の体はグラリと傾いてそのまま床の上に崩れ落ちた。
「どうしよう、先輩、死なないで」
抱き縋るあたしを、先輩は舌打ちして押し退けた。
「縁起でもねえ、だいだい、誰のせいだと…思ってんだ」
声にいつもの覇気がない。
ふたたび眠気が襲ってきたらしく、視線が虚ろになってゆく。
眠気というより、意識の混濁!?
あたしは怖くなって先輩の体を揺さぶった。
「しっかりしてください! 先輩」
「みず」
かすれた声で先輩が呟いた。
そういえば、シャツが湿るほど汗をかいている。
「わかりました」
あたしは一瞬だけ躊躇したが、思い切ってテーブルの上のグラスの水を一気に口に含んだ。
先輩の枕元に膝をつき、アゴをつかんで上向かせる。
「!」
抵抗は唇で封じて、冷たい氷水を流しこんだ。
仰け反った咽を透明な滴が一粒、伝い落ちてゆく。
見開いた先輩の2.0の漆黒の瞳にあたしが映っていた。
「フォーリン・ラブなんて高価な薬、よく手に入ったね」
翌朝、ホームで電車を待っていた上村 美香はそう声をかけられて振り返った。
「柳原先輩」
「一服八千円くらいかな、相場」
ふふっと美香は笑った。
「詳しいんですね、先輩」
「昨日はあれから大変だったよ」
泣きじゃくる紗千子をなだめて家に帰し、日野を介抱してタクシーに乗せ、部屋を片付けている時に不審な薬のSP包装をみつけた。
「ちょっと悪戯が過ぎたんじゃないかな」
「子供じゃあるまいし、そろそろ恋に恋するお年頃を卒業してもらわなきゃ」
美香は悪びれた素振りもなく、長い髪をかき上げた。
「辛辣なんだな」
「友達思いなの、これでも」
柳原は苦笑した。
「呆れるね、友達にドラッグを勧めておいて」
「ドラッグ? まさか。あれはただの導眠剤。薬局で保護者の承諾もなしで買える一番やすくて効き目が早いタイプのね」
「え?」
柳原は今度こそ呆気にとられた。
「さてと、無事に既成事実はできたかしら」
美香はやってきた電車に飛び乗り、手練手管の妖婦のように微笑した。
柳原はその笑顔に見とれながら、自分が厄介ごとに巻き込まれつつあることを自覚していた。
恋という名の厄介ごとに。
恋愛モノというかラブコメですね。
ラブストーリーを書いてる実感はなかったです(笑)
恋や友情に一番忙しい時期って、一番楽しい時期でもありますね。
小説としては、ややルール違反な部分もあるのですが、娯楽作品としてお目こぼしください。
里帰りに出てきた紗千子とは別人です。
名前を考えるのが苦手〜なのでつい。