第1話
ここは千葉県にある田舎の理容店。
あたりは暗くなり、もう夜の7時になろうとしていた。
店の中に人は座っていたが、常連のしゃべるために来ていて、散髪などしない連中だ。
「おやっさん。 もう閉めたら?」
「そうだよ。もう客なんて来ないぜ。飲みに行こうや」
「まあ、いいか…」
7時にはまだ10分もあったが、店主の栗山譲司は、店の看板をなかに入れようと立ち上がった。
ドアを開くと、女がいる。
目立たない格好をしているが、美人と見えた。
年齢は20代半ばといったふう。
栗山はチラリとその女を見るといった。
「また、あんたか」
「栗山さん、話を聞いていただけないでしょうか」
「店まで来られちゃ迷惑だ」
「だって家だとチャイムにも出てくれないじゃないですか」
店の中にいた常連たちが顔を出す。
「なんだ?」
「痴話ゲンカか?」
うるさいといわんばかりに栗山は常連たちに手を振って追い払うと、女にいった。
「おまえのヨタ話に付き合う気はないよ」
「お願いします。本気なんです」
常連たちが女にいう。
「お嬢ちゃん、おやっさんに話があるのかい?」
「はい…」
思いつめた表情で女が答える。
「オレたち今から飲みに行くんだけど、お嬢ちゃんも一緒に来ればいいよ」
「はあっ!?」
栗山は不機嫌にいったが、常連たちが丸め込む。
「いいじゃないか、おやっさん。若い女の子がこんな顔して来るんだから、よっぽどのことなんだろう」
「そうだそうだ、オレたちも相談に乗ってやるよ」
「ありがとうございます!」
女の表情が明るくなる。
「バカ! こいつらは!」
栗山がいうと、常連の男が彼の耳元でささやく。
「まあまあ、こんな美人1人締めしないで、オレたちも楽しませてくれよ」
栗山が閉店の作業を終えて、女と常連たちは近所の居酒屋に向う。
「お嬢ちゃん、名前はなんていうの?」
「清水…いや、高木美紀といいます」
「へえ、いい名前だねえ」
店に入る。
「まずは生、美紀ちゃんもそれでいい? じゃあ、人数分生ビール」
店員に告げると、ビールがやってきた。
「今日もお仕事お疲れさん。じゃあ、かんぱ~い!」
グラスの当たる音の後、みんなはビールを飲む。
美紀もグビグビと飲んだ。
「ほー、いい飲みっぷりだねえ」
「ありがとうございます」
「で、美紀ちゃんは、何しにおやっさんの所に来たの?」
美紀はチラっと栗山の顔を見たが、彼はあいかわらず苦い表情だ。
「あの…アタシ…東京で、芸能活動をやってまして…」
「へえ、そうなんだ。どうりで美人だと思ったよ」
「ありがとうございます。今はアイドルをさせてもらってるんですが、本当はやりたいことがあって…」
「なに?」
美紀は決意した表情でいった。
「私…ファンクをやりたいんです!」
「ファンク? ファンクって、音楽の?」
「それ以外あります?」
「まあ…ないけど… なんでアイドルがファンクなんか?」
「好きだからです!」
「それでおやっさんか…」
常連たちは納得した顔をする。
栗山は今でこそ理容店をやっているが、昔はファンクバンドを引いていた有名プロデューサーだったからだ。
「でもさアイドルなら、おやっさんにプロデュースしてもらわなくても、他に売れっ子の人がいっぱいいるんじゃないの?」
「私は栗山さんにプロデュースして欲しいんです。だって日本のファンクといえば栗山譲司ですから!」
栗山が重い口を開く。
「そのオレがいま散髪屋をやっているのは何でだ?」
「……」
「ファンクが売れないからだろ? ファンクはもう過去の音楽。誰にも必要とされていないのさ」
「でも!」
美紀が反対しようとするのを手で制して栗山は続ける。
「それに! ファンクは男の音楽っていうのがオレの持論だ。『スーパーフリーク』とか、曲に限らず世界観が男のものなんだよ」
「いや、そういいますけど…」
「『メリージェーン』とか」
「まあ『メリージェーン』はマリファナを恋人に例えて歌ってますね。女の発想じゃないかも…」
「だろ!」
「それより、私的にはリック・ジェームスの『薬キメてます』みたいなドヤ顔がサイコーですけどねえ」
栗山の顔が曇る。
美紀はそれに気づかず続けた。
「PVなのに、あのうつろな目! あの目の下のくま!!」
「あの顔は元々なんじゃないか…」
「栗山さんも、当時はキメてらしたんでしょうか?」
「ご時世考えろッ! いうわけねえだろッ!」
栗山が叱り飛ばす。
美紀はひるまない。
「スイッチの『アイ・コール・ユア・ネーム』なんかは女でも歌えると思いますけど」
「ボビー・デバージはゲイだろが…」
「それこそ、ご時世考えてくださいよッ!」
栗山は不満顔だ。
美紀はたたみかける。
「ファンクが男の音楽っていうより、ミュージシャンによりけりじゃないですか? そもそも男しかやっちゃいけない音楽のジャンルってあります?」
栗山の表情は変わらない。
「ほらファンカデリックにもあるじゃないですか、『誰がファンクバンドはロックができないっていったんだ?』って。アタシのファンクを聴いてから判断してくださいよ」
栗山はバカにしたようにいう。
「いいだろう。聴いてやるよ。聴いてから、ダメっていえばいいんだな」
「ダメ前提で聞かないでくださいよ」
そしてそこから何日かした日。
栗山の町からほど近い駅の音楽スタジオで、美紀はキーボードを鳴らしていた。
「みなさんも来られたんですね」
「ああ、見届けなきゃと思ったからな」
栗山の店の常連たちも集合していた。
栗山がいう。
「じゃあ、聴かせてもらおうか」
「はい。ヒートウエイブの『スーパーソウルシスター』を」
「ヒートウエイブ? ワイルドチェリーとか歌い出すんじゃないだろうな」
「ワイルドチェリーも好きですけど、何か」
常連の1人がいう。
「まあまあ、とにかく演奏を」
美紀がキーボードを弾く。
「♪スーパーソウルブラザー スーパーソウルブラザー」
栗山が止める。
「おい、なんだ? スーパーソウルブラザーって」
「だってアタシ女ですから、アタシが歌うと,こうゆうことに」
「まあいい… 続けろ」
美紀は再びキーボードを弾く。
♪スーパーソウルブラザー スーパーソウルブラザー
パパパパパパララ
スーパーソウルブラザー スーパーソウルブラザー
パパパパパパララ
そいつのことを話させて 彼の味は甘いチョコレートバーのよう
栗山はあわてて止める。
「やめろ! なんだ、そのエロ歌!」
「だって元は甘い『ポテトパイ』なんだから、アタシだったら『チョコレートバー』かと」
「アホかッ!!」
「でもファンクって、こんな感じですよね」
「ファンクなめんなよ!」
「まあまあ、おやっさんも熱くならずに、最後まで聴いてやろうよ」
「しょうがないな、じゃあ『スーパーソウルシスター』を」
そして彼女は歌い切った。
「いかがでしょうか?」
演奏も歌も完璧で文句の付けようはなかった。
ファンクネスも感じられた。
栗山も彼女がファンク好きを認めるしかなかった。
そして彼女の歌には魅力があった。
栗山は口を開いた。
「いいだろう。おまえを認めよう」
「やった!」
「ただプロデュースするかどうかはわからん」
「え~、なんでですか?」
「何年もこの世界から離れてるし」
「え~、でもみなさんはバンドのメンバーですよね?」
「知ってたのか?」
栗山の理容店の常連たちは、彼が今も組んでいる趣味のバンド『パーマネント』のメンバーである。
「そりゃ知ってますよ。アタシ、相手のことを調べないでプロデュース頼みに行くほど、バカじゃないですよ」
「したたかだな…」
「じゃあ、とりあえず、アタシはパーマネントの女性ボーカルに登録されたってことでいいですか?」
「まあ、おまえがそれを望むなら」
「ふふふ、一歩前進ですね」
「前進だか、後退だか…」
呆れたように栗山がいった。