ココと魔法使い
私は魔法使い見習いのココ十六歳、ここ北海道で旅をしながら魔法の勉強をしている。
師匠という師匠は一人だけいたんだけど自由奔放な人でたまに帰ってきてもすぐにいなくなってしまうので私もいつからか似たような行動をするようになってしまった。
魔法使いが世に認められるようになってから五年、世に認知されてからもまだその存在も希少で未だ魔女狩りなどの負の歴史を引きずっている魔法使いも多く、隠れて生活している人も多いらしい。
世の中はどんどん便利な物が増えてきて魔法を使う必要がないということもあるけど、火を起こしたり、明かりを灯したり、水を出したり、まだまだ魔法が便利な場面も多い。
科学で足りない部分を補ったり、逆に科学に学ぶことも多い。
危険視されているのは一部の魔法使いで一般に認知されている魔法使いには行政から支援金という形で出来高制のお給料がもらえる。
それは一部の心無い人からは税金の無駄と揶揄されることもあるけど大勢の人々から支持を得て五年前から認められるようになった。
これはそんな魔法使いの見習いとしてのココの成長記録だ。
「うーん弱ったなーこんなに雪が強いと目の前も見えやしねぇや」
冬の函館から一般道を通って札幌に行きたい時、峠を通るのだがホワイトアウトと呼ばれる現象で目の前一m先も見えなくなる現象がよく起こる。
ココは旅の途中、渡り鳥のようにヒッチハイクを繰り返しつい先ほど札幌に向かうトラックを見つけ頼み込んで乗せてもらったのだが今日はあいにくの天気でホワイトアウトが起きてしまっていた。
「よし、それなら私がなんとかするよ」
笑顔でそう言うとココは渋滞で止まっているトラックを降りて車の前に立つと目を瞑り何かを呟いた。
するとしだいに視界が見えるようになり渋滞が解消された。
「はぁーすげぇな嬢ちゃん!魔法使いかい?!実際に見るのは初めてだわ!」
トラックの運転手は先ほどまでの雪が晴れて上機嫌だ。
ココは人が喜ぶ顔を見るのが好きだ。困っている人を助けるのも好きだ。
ココの師匠が口癖のようによく言うのは「進んで良いことをしなさい、魔法使いは一般人よりも良いことができるのだから」ということ。
ココはたまにしか家にいなかった師匠のこの言葉が好きだった。
家を出て修行の旅に出たのもその影響が強かったからだ。
ココの師匠はココの祖母にあたるミーシャだ。ミーシャは戦時下を生きてきた人間だが魔法の力を使えば自身の年齢を若返らせることは簡単なことだ。
死んだ人を蘇らせることはできないが体細胞を活性化させることはわけないのである。
祖母がいるなら当然父と母がいるはずだがココの両親はまだココが幼い頃に交通事故にあい亡くなってしまった。
引き取り手のないココを引き取ってくれたのがこの祖母、ミーシャというわけだ。
魔法、といえば異世界物の派手な攻撃魔法や収納魔法が思いつくがココの使える魔法はそんな派手なものではない。
せいぜいが科学では説明のつかないちょっとした事であってライターのない環境でも火を使えたり、水のない砂漠でも水を出す事ができる、というくらいである。
魔法使いがいれば飢えや渇きが起こらないというのが今の世の中の常識で、一般的な魔法使いは世のため人のために駆り出される事が多いのだ。
閑話休題
かくいうわけでココは老いを知らない師匠ミーシャの教えを実践するため、そして多分な興味本位でこうしてヒッチハイクを繰り返して旅に出ているわけである。
移り変わる景色は家にこもっているだけでは味わえないほどに情報量が多く、車窓から外を眺めているだけでも楽しかった。






