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命の欠片たち

人との巡り合いのはてに

作者: 羽入 満月

 私は「先生」と呼ばれる人が嫌いだ。「先生」というものは「大人」なのである。


 小学生の時、私の担任の先生になった人たちは、助けるべき時に火に油を注いだり、あおったり、責めたりする人たちだった。

 その時に子どもながら大人とは、敵なのだと思った。

 信じてはダメなのだと思った。

 敵に対しては、「戦う」か「戦わない」かを選択しなくてはいけない。

 私は、「戦わない」を選んだ。

 しかし、「戦わない」を選んでも大人たちからの攻撃は止まない。

 相手にするだけ無駄だと思いあきらめることにした。

 あきらめても一番身近な他人の大人である「先生」にちょっと期待をしているところもあり、現実を知って嫌いになった。


 中学生の時先生たちは助けるべき時に、見なかったことにしたり、知らないふりをした。

 その時に大人とは、自分に関係のある時にでも無関心を装うことができるなだと思った。

 相手が無関心ならば、こちらも無関心でいようと思った。

 何せもう相手にするだけ無駄だとあきらめていたから。


 高校生にもなれば「大人」として扱われることもある。

 そして私の中での大人への対応は、9年間で学んだ対応だった。

 先生からの評判は上々で「おとなしい子」「まじめな子」「いつだってポーカーフェイスな子」と言われていた。

 ただ、大人と関わるとろくなことがないと思っていたから。


 そんな感じで大学まで行った。大学生の時また新たな出会いがあった。

 学校の「先生」とは違う立場、しかし教える立場の大人。実習先の先生(おとな)だ。

 実習初日、ミスをした時に彼は言った。

「ミスをしたのに自分は悪くないという態度をしている。反省の態度ではない。学校にこっちから一言いえばお前なんか資格を二度と取れないようにすることだってできる。お前が資格を取ってその資格を使って世の中に出たら迷惑だ。」と。

 私は売り言葉に買い言葉でそのけんかを買った。

 初めて「戦う」を選んだ。


 学生が実習先ともめたら大学が出てくる。

 その時点で私が「悪者」にされると思いながらも、大学の先生にすべてを話した。

 その後、反省文だの謝罪の手紙だのを書かされた。

「戦う」を選択している私は、「○○と言われて、××と大人げなく言い返してしまいすみませんでした。」と文章にして提出した。

 その結果、向こうの対応が悪かったと判断されたのか、自分たち学校の都合なのか、もう一度違うところで実習をしないかと言われた。


 そんな中、追い打ちをかけてくるものが大体いるのだ。

 一番最初に駆けつけて、状況を聞きとりした私の実習担当の先生だ。

 事件の翌日に話をしたが、二週間ほどした時にもう一度話を聞かせてほしいと言われた。

「なぜ?」と思ったが、もう一度説明すると彼女は深いため息とともに言った。

「まあ、そんなことがあったの?つらかったわね。」と同情したのである。


 自分の仕事、自分の学生にここまでも関心がないのかと素直に感心した。


「先生」という人との出会いが悪い方に転がっただけと言われればそうなのかもしれないけれど、力のない子どもが生活する『学校』という小さな世界で出会う「大人」は、もう少し頼りになるものであってほしかった。


 だから、私は「先生」と呼ばれる人が嫌いである。


 しかし、どういう巡り合わせなのか今、私は「先生」と呼ばれる職業についている。


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