お別れ
「柚葵に気持ちが無くなった。別れたい」
そんなことを突然言われ、私は晃太と別れることになった。
別れ話を持ちかけられたのは今回が初めてでは無く、今回は3回目。
今までは私が泣きついて別れることはしなかったし、その後も普通に私たちは幸せな恋人同士だった。
でも彼は突然「別れたい。」と言う。喧嘩した後でもなく、なんなら仲良くデートしたあとの帰りとか、仕事が終わっていつも通りメールをしている夜とか。
今回もデートの約束の話をしている時だった。久々に休みがあったから温泉にでも行かないと誘ったのにいまいち乗り気ではない彼に私は聞いた。
「どうして行きたくないの?理由を教えて」
彼は温泉が好きだし、去年も1泊2日で旅行に行ったり、日帰り温泉によく行ったりしたくらいだったのに行きたくない理由が全く浮かばなかった。
そして気持ちがないから別れたいと言われたのだった。
思えば1ヶ月以上会ってなく、ずっとメールで連絡を取っているだけだったし、今にして思うと少しそのメールもなんだか素っ気なかった。
ただ別れ話をされるとは微塵も思ってなかった。
彼はひどくストイックで、自分を責め続けるし、何か抱え込んでいても誰にも明かすこともなく、ストレスは溜まっていたと思う。
そんな彼を支え続けていれれば別れることも無かったのかもしれない。そう思うと悔しかった。
「早く大人になりたい。」
そんなことを彼はよく言っていた。
私は正直その言葉の意味は分からなかった。お互い成人していたし、彼だってそんなに子供っぽい人ではない。家族とも上手くやっているし、仕事もしてるし立派な社会人じゃないか。
「晃太にとって大人の定義ってなに?」
それは彼も知らないのだと言う。
私とは真逆の性格な人だと思う。優しいし、気が利くし、謙虚だし、なにより人が良い。そこまでする?ってくらい他人に尽くすし、あんまり人付き合いが得意じゃない私と違って、世渡りが上手。あまり目立つタイプではないけど、みんなの輪の中にいた。
そんな彼と私は別の世界で生きてるんじゃないとさえ思えてしまうのだった。私より全然大人だったと思う。
そんな晃太と別れる前に1回だけ会うことにした。最後にありがとう、ゴメンネを言いたかった。
デートする時に待ち合わせ場所にしてたコンビニの駐車場で彼と会う。運転が好きな彼は、ほぼ毎回私の家の近くのコンビニまで車で迎えに来てくれていた。
普段はワクワクしながら歩いていた道のりを今日はとても足取りが重かった。そりゃそうだ。お別れなんだから
正直、彼が私に気持ちがなくなっていたのは薄々感づいていた。メールも素っ気なかったし、「あいたい」も「好き」も全く言ってくれなくなった。
だからこそ、今回の別れ話は受け入れることにした。
彼中心に回っていた私の生活は、日常はどうなってしまうんだろう。仕事だってデートのためにがんばってきたし、1日中彼のことを考えていた。起きたら「おはよう」寝るときは「おやすみ」そんなメールも無くなってしまう。
私にとっては初恋だった彼が、私の世界から無くなってしまう。
でも好きでもない相手と付き合う晃太が可愛そうだ。自分のことをもう好きじゃないこともすごく悲しいけど、受け入れるしかない。そうしないと彼は幸せになれない。
私が幸せになれなくたって、晃太には幸せになって欲しい。晃太が幸せになるために私は不幸になったってかまわない。
それくらい好きだから。愛しているから。
コンビニにつくと晃太の車があった。車が好きで整備士として働いている彼の車はところどころカスタムされていて満車の駐車場でもすぐ見つけられるくらい目立つ車だった。私もその車の助手席に座るのが大好きだった。
車に乗っている晃太はスマホを弄っていた。時間を守るタイプなので早めに来て退屈してただろうな。
私に気づくと、スマホをしまい、「オス」とでも言いそうに手を上げた。いつも通りの彼だ。
助手席のドアハンドルに手をかけた瞬間怖くなった。
次にこのドアに触れるのはこの車を降りる時。つまり私たちが別れた後ということ。1年半の私の物語が終わった時。
ドアを開けて助手席に乗り込むと彼は
「おはよ」
と言ってくれたので私も
「おはよ」
と返した。ここまではいつも通りのデートと変わらない。助手席からの景色も。
「寒かったでしょ。クソ寒いよね今日」
と彼は外を見ながら言った。いつも通りの彼だ。
私の心の中はいつも通りではなかった。いつも通りでいられるはずがない。お別れなのだから。
いてもたってもいられなくなり
「晃太…ごめんね」
そんな言葉が口から滑り降りてしまった。これが震えたし目頭が熱くなってきた。これは泣いてしまうやつだ。
「……柚葵は悪くないよ!謝らないで!悪いのは俺だから…」
そう小さい声で言う彼の顔も悲しそうだ。
「俺、自分の気持ちがずっと分からなくて、柚葵のこと好きなのかどうかもいつの間にかわかんなくなってた…でも温泉の話になった時に俺…めんどくさいって…思っちゃって…柚葵に会いたくないって思っちゃった…ごめん…」
そうだったのか。彼はよく自分の気持ちがわからないといっていた。お人好しで周りに気を使いすぎるタイプ。そんな性格がそうしてしまったんだと思う。そんな彼が少し可愛そうだった。
私が彼に負担をかけていたんだ。悩ませていたんだ。そうとさえ思えた。
彼がわたしを愛していた時は、私も愛されているということを実感できた。気持ちがわからないと言っていた彼だけどこれだけは確信できた。だから幸せだった。
でも私は彼を束縛し、嫉妬すると泣いて怒った。彼の考え方を頭ごなしに否定する時だってあった。喧嘩することだってあった。人に怒ることをしない彼にとって大きなストレスになっていたはずだ。そう思うと私は死にたくなるくらい自分を責める気持ちでいっぱいになった。いっそ死んでしまおうか。
「なんで私のことなんか好きになったの。なんで私となんか付き合ったの?。私を好きになったばっかりに晃太すごい悩んだでしょ?ごめんね…晃太…ごめんね…」
私は涙声で言った。物凄いスピードで涙が溢れて頬に伝った。
彼はおでこをハンドルに押し付けながら頭を掻きむしっていた。
「ごめんな柚希…俺お前と出会えて幸せだったし、出会えて良かったよ…本当にありがとう。…お前のことは絶対に忘れないし、今までのことは宝物だよ?…後悔もしてないから!…本当にありがとう!…幸せになってな…」
彼は私の目をしっかりと見て言ってくれた。決心がついてからか、その目は真っ直ぐだったけど、なんだか死んでいるようにも見える。
いろんな感情が入り交じって涙がボロボロと溢れ始めたその時、晃太が私を抱き寄せようとしてやめた。
動きを止めた意味が何となくわかった私はドアハンドルを掴んでいた。ここで抱き合ったらお別れがもっと辛くなったはずだ。
「柚葵!」
彼が名前を呼んだその時には私は車を降りていた。そしてドアの閉まる音でハッとなった。
私たちの1年半の物語が終わってしまった。
初デートで映画をみたこと。彼の地元の海に連れてってもらったこと。プラネタリウムを見に行こうとしたら休館日でがっかりしたこと。初めてのお家デートでキスしたこと。会いたくてあのコンビニで夜中に会いに来てくれたこと。半同棲のアパートで一緒に食べたこと、一緒に見た映画、一緒に入ったお風呂、ベッド。
二人で止まった温泉。ふたりが好きだった場所。モノ。食べ物。
すべてが過去のものとなってしまった。
気づくと私は走り出していた。取り残された彼がどんな顔をしていたのかはわからない。
とにかく終わってしまった。物語が。恋が。