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ヲタクなんてそんなもんだ  作者: PON
高校生時代[三年生]
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過去(下)

「積もる話もあるだろ」

志乃さんの鶴の一声で決まれば、後はあっという間だったように思う。

「恩に着ます」

「いい、ソレに用があるんだろう」

「そうなります」

しばし考えた志乃さんが口にしたのは。

「なら、後悔の無い選択を」

ゆっくりと告げられた言葉はなんでもないように見えて、とても重い一言だった。

先輩はそれに軽く手を挙げて応えると、案内された客間に腰を降ろした。


聞きたいことはいっぱいあったのに、事情は明かされないまま。

同様に自分の事も話せないまま一緒に夕食を食べて。

珍しく志乃さんだけは部屋で飲むとだけ言って籠ってしまっていた。

「それで、お話って何でしょう」

ラフな私服にタオルをつっかけた沙月さんが単刀直入に尋ねると、先輩は出されたコーヒーの表面に視線を落とす。

何を言うべきか迷っている風でも、感慨にふけっているようにも見えず。

「家が大きいと何かとしがらみが多くてね、親戚を黙らせてのし上がるのも骨が折れる」

あの手紙に書かれていたことは、そこから僕を守るためでもあった。

それはわかる。

でも、僕の前までやってきたという事はそれがひと通り済んだからかもしれないという期待はあった。

「つい最近、キミの絵を見かける機会があったんだ」

その言葉に、ため息とともに乗った感慨に。

思わず僕は安堵の息を漏らした。

あの時手紙を受け取って叶えたかった望みに、ようやく手が届いたのだから。

「あれからの君の歩みを聞いて、杞憂だったと思えたよ」

何かを隠すような、でも心のうちをまるでためらいなく話す姿は。

制服を着こんでいたのか、スーツを着こなしているかの違いでしかなかった。

「現状をご存じだったのにいらしたんですか」

「ひと目見ておきたかったんだ」

再度沙月さんが訊いた言葉に、先輩はまるで用意していたかのように即答した。

何をとか、どうしてとか。

そういう説明を省くのはあの頃と変わらず、らしい先輩のままだった。

ただそういう事実があっただけで。

「そうですか」

思わずぽつりとこぼれた言葉は冷静に答えられていただろうか。

くすりと笑みをこぼす先輩はあの頃と変わりないけれど、同時に本意がどこにあるのかも知れない。

それがどうしてももどかしく、むず痒い。

「会えてうれしかったよ、宗司君」

「お会いできて光栄でした、柊さん」

色んなものを詰め込んだ一言を交わして、席を立つ先輩を見送る。

「同郷の先輩後輩なのだし、美千留か先輩でいいよ」

それは、どういう意味合いを持つ言葉だったのか。

ここからもう一度先輩と後輩になろうという意味だったのか。

それともあの日々の思い出を本当にするための言葉だったのか。

いずれにせよ僕には断る道理もない。

わかりましたと返事をして、来た時と同じようにドアベルを静かに鳴らして出ていく先輩を見送って。

ふと、後ろで同様に見送ろうとしていた沙月さんが居ない事に気づく。

どうしたのかなと思って、姿を探し。

そういえばリビングを出る時にはもういなかった事を思い出して。

窓の外に流れるようなシルエットを見かけて、ああそこにいたのかと窓を開けて声をかけようとして。

「どうして今更来たんですか」

どこか棘のある言葉に、思わず身を隠してしまった。

どういう意味なのか考えるより早く先輩は運転手に「ここでのやりとりは胸の内に」と告げて。

「先ほど言った通りさ、一目見ておきたかった」

「それだけじゃなかったはずです」

まるで他にも伝える言葉があったように、沙月さんは怒っていた。

何が起きているのかまるでわからないけれど、沙月さんが怒っている事はわかった。

「それは、君にも言える事じゃないかな」

ゴクリ、と飲み込むような息遣いと。

カツッと打ち鳴らすようなヒールの音が聞こえて。

「無粋を働くつもりはなかったけれど」

背筋がゾクリとして。

どうしてか、窓の下に隠れているのに僕を的確に見ているかのように。

「キミは、どうしたいんだい?」

あの時と同じ言葉を口にした。

とても懐かしい問いかけの意味が、果たしてどれだけ彼女に突き刺さるのだろうか。

「私は」

沙月さんの喉に詰まらせるような言葉を、カツンと鳴るヒールが遮った。

「彼次第でツテを紹介するつもりで来た」

矢継ぎ早に起きている事態に、衝撃で理解が追い付かない。

今、先輩は何と言ったのだろうか。

「プロとして活躍できるだけの場所を用意することができる、無論それまでの準備期間も含めて」

聞きようによっては傲岸不遜としか言いようのない答えを突き付けていて。

告げられた内容は僕にとっては願ってもないチャンスで。

まるでそれは、高らかに告げられた挑戦状のようにも聞こえた。

「東海林沙月さん、と言ったね」

ガチャリとドアの開く音と同時に、ヒールの音が消える。

「いつでも隣に寄り添っていた君が羨ましく、同時に好ましいとさえ思っているんだ」

するり、と衣擦れの音がかすかに聞こえてきて。

後は周りの木々が風に揺れてざわつく音しかない。

「期待してるよ」

ラフな言葉は返事を待たぬまま投げかけられ、ドアが閉まる音と遠ざかるエンジン音だけが残った。

沙月さんが家に入るより先に、隠れるようにして自室に滑り込む。

僕にできる事とは何だろうか。

僕の精一杯とはどこまでなのだろうか。

わからないまま、心臓をぎゅうっと握りつぶす。

自らを追い込んでも、告げるべき答えが何処の誰にあるのか。

いまだに自覚することもできなかった。

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