証明
三月になって、基本的な授業内容についてはともかく。
相変わらず特別教室の申請と許可をもらって、同じ教室を借りている。
「どうしようかな」
いつもなら横にいた情報科の先輩もいないし、後ろで水彩画を描いていた先輩もいない。
再編されたら新しい二年生がこの教室にやってくる。
すっかり整理された教室はとても広くて、心までがらんどうになったみたいになる。
残っているのは僕の前に机が一つと、立てかけられたイーゼルとカンバス、ノートパソコンにペンタブ。
あとはもう、教室そのものにくっついている備品がいくつかだけだった。
自分が三年生になるって自覚に乏しくて、返事が欲しくても誰からも返ってこない。
みっともないなと自嘲しながら、正月に描いた絵を思い出す。
彼は、あれを見て何を思ったのだろうか。
返事は聞いていないし、聞きに行くつもりもない。
彼が直接それを口にしにやってくることもなかった。
この教室を訪れる人物と言えば、たまに沙月さんがやってくるぐらいのものだろう。
静かに絵を描いて、ただただカンバスと向き合って。
そうだ、と思いついては試したことを絵にしてみて、思う。
「やっぱり」
絵を描くことが好きだけれど、もっと先が見てみたいと思っていた。
もっともっとどん欲に、己の希望を突き詰めてみたいと思っていた。
ようやくそれが見えてきたような気がして、手を止める。
ピコン、と音がしてメールが届いた事を告げていて。
先日提出した絵の選考結果が返ってきて。
中を開いて、ため息をひとつ。
「そっか」
それは、寸評はそれなりだけれど「出す場所を間違えている」というような内容だった。
学校側が何と言ってくるかわからないが、僕個人としてはこれでいいと思っている。
もちろん手抜きをしたつもりはないし、失敗したものを提出するような愚行はしていない。
「合わないんだな」
言い渡されたテーマで結果を残せなかったのはどうしてなのか、理由ははっきりしている。
出来るか出来ないかの問題ではなかった。
よし、と気晴らしの一枚をサラリと形にしてラクガキのラフとして保存しておく。
このところ作品を描くペースを落としてこんなことばかりだ。
「ここにいたか」
ついさっき結果が返ってきた応募への話をもってきた先生が訪ねてくる。
結果が気になって覗きに来たのだろう、どうだと伺う様子に肩を竦めて返す。
「嘉瀬なら出来ると思ったんだけどな」
「買いかぶりすぎです」
ガックリと肩を落とす先生は心なしか寂しそうだった。
「自発的にならこんなに上手く描けてるのにな」
遠回しに課題として出したものもまた描けるようにしておけ、という釘刺しだったのかもしれない。
僕はそれに首を振って返した。
「描きたいものに情熱がなければどれを描いても陳腐になりますよ」
「それだけで食っていけるとは限らないだろう」
それは先ほどの想像を裏付ける決定的な言葉で。
あまりにも情けない事だと思ってしまう自分がいて。
「この世界はオンリーワンの技術もなしに食っていけるんですか」
言葉に詰まる先生を見て、愉悦に浸るでもなし。
言い負かしたかったわけでも、無自覚に追い詰めたかったわけでもない。
どうあがいても最後に才能がモノを言うというのなら、自分にとっての武器を磨くべきだと思う。
「自分の武器がどれかわからないのなら器用貧乏でもいいとは思いますよ」
炉に薪をくべるように自分の大切なものに火を入れていく作業は、ずっと前からしていた事だ。
今まで描いてきた絵についてきた結果に重きを置かなかったのはそのためで。
賞状よりもすべての寸評や講評を大事に取りおいていた結果でもあった。
「描きたいものがわかっているのか」
「そのための結果は出しています」
しばらく思い悩むように黙り込んでいた先生は、最後に「ならいい」とだけ告げて出て行った。
水彩画に戻ってほしいという声もあっただろうし。
もっと他の事にも挑んでもよかったと思っているのかもしれない。
悪い事をしたかな、とチクリと胸をさすような感覚に。
知らず、詰めていた呼吸に深いため息をついて。
「よかったね」
いつの間にか来ていた沙月さんが、特別教室に入ってすぐの所に座り込んでいて。
周りが見えないくらい思い詰めていたのかと力を抜いていく。
「なにが」
「こういう時に『出来ない』と判断されればその場で反対されるし、面談でも言われるよ」
反対されなかったという事は、十分と判断されたって事だよと言われて。
今まさしく自分が口にした才能と言う世界における残酷さで。
仕事にするという事へのシビアさを知る大人ならではの問いかけだったのかもしれないと思う。
沙月さんはどうだったのと聞けば、元気のいいサムズアップが返ってきて胸をなでおろす。
「帰ろっか」
スカートのすそを払う沙月さんに促されて、ああそうだと机の引き出しを漁って。
「その前に、これを」
「お返しかな?」
「です」
短く返事をして、帰途につく。
「開けてもいい?」
どうぞと返すと、ガサガサと音をたてて彼女はそれを取り出す。
透き通る絵柄の飴細工が夕日にかざされて、小さな万華鏡のようにプリズムを起こす。
「今はこれで許したげる」
飴細工を眺めながらにへらと笑う彼女にほっとした僕は、絵の結果が返ってくるより遥かに緊張していたのかもしれない。
気が抜けて言葉にできなかった事を後になって後悔する時がくるとは、この時の僕には考えつかなかった。




