母娘
深夜の語らいからひと月。
学校は夏休みに入ったものの、喫茶店は待ってはくれない。
モニターとにらめっこしながら絵を描いて、応募する。
今はそろそろ自分の腕と筆で描いていたころにだいぶ近くなってきたため、デジタルイラストの募集にいくつか手を出したり、SNSを使って描いたものを展示するようにしていた。
「宗司」
電気代節約のために作業場をエアコンのかかっている店内に移し、カウンター席を借りて飲み物を頼みながらイラストをまとめているところにたまにこうして志乃さんからお呼びがかかる。
大抵は混雑する時間に少しだけ手伝ってほしいとのことで、呼ばれた時は給料に色がつくのだが。
「アレ」
なんだと言わんばかりの視線が突き刺さる。
プライベートなことなので、今まであえて触れないようにしていたものだ。
「なんでしょうね」
すっとぼけるようにして視線を逸らすのだが、向こうはたまにこちらに視線を送ってくる。
お客さん個人の事情には触れない、そして何より今は店員ではなく一人の客だ。
「聞いてるの、お母さん」
「聞いてるわよ」
さらっと聞き流して相手にしていない様子の母娘はかたやウエイトレス姿で。
かたやスーツ姿で娘の言い分を聞き流し、涼しい顔でターキッシュコーヒーを飲んでいる。
「珍しいリクエストだったから喜んで作ったがな」
お前が犯人だろと言われてはいつまでも閉口してはいられない。
「人様のお家事情にまでは踏み込めませんよ」
「そうは思ってないみたいだから呼んだんだが」
ウエイトレス姿のままギャアギャアと騒ぐ姿をお客さんにお見せするのも少しばかり見苦しいだろうし、そこまでせっつかれては仕方がないと席を立つ。
「東海林さん、まだ接客の仕事中だし後にしたら」
たしなめて、接客に戻らせる。
ジト目で睨まれて居心地が悪いのだが、後で説明するからととりあえず仕事に戻ってもらう。
対して『妖精さん』はと言えば涼しげな様子だった。
「また会ったわね」
「TPOとしては最悪ですが」
「そう言わないで、みっともないのは自覚してるから」
それだけ言うと志乃さん手ずからのコーヒーを一杯。
他にお客さんがいるのに香りが対面に座っている僕にまで漂ってきて、まだまだ修行が足りないなと思う。
「あの子に私と同じ仕事になんて就かせたくないのだけれどね」
どうも見解の相違というやつらしい。
東海林さんは前々から母親である妖精さんの仕事場に出入りしていて、さらには社長からは大変気に入られていて。
東海林さん自身はそれに乗り気で、このままお世話になるのもいいだろうと考えていて。
妖精さんとしてはそれだけではだめだと思っているらしい。
「才人と噂のキミにならわかってもらえるんじゃないかと思って」
自分に才能があるだなんて思ってはいないけれど、きっとこの人がそこまで言うのなら。
東海林さんが飛び込もうとしている世界も、プロであるからこそわかる『好きなだけではやっていけない』世界であるのは想像に難くない。
「あの子にはどうか『普通』であってほしいのよ」
片親で苦労をさせたとか、わがままを言わない子だったから本音を引き出すのに苦労したとか。
あまり手がかからなかったとか、自慢の娘だとか色々事情を聞きもしたけれど。
そんな話を聞くごとに速くなっていた鼓動が収まっていく。
急速に頭が冷えていくのがわかった。
「いいえ」
「即答ね」
同意を求めるような物言いだった割に、すごく楽しそうだった。
「僕にとってずっとずっと考えていた課題でもあったので」
誰かにとっての普通が、他の人にとっての普通ではないから自分と他人を分けて考えられて。
そのズレが歪んで浮き彫りになったものがイジメになって。
自分が他の人より優れているとまで思ったことはないけれど、絵を描くことが普通でもないと考えていて。
それは結局『人の数だけ正義がある』という言葉に倣うものなのかなと結論付けていた。
「彼女はそんな弱い人じゃないと思いますよ」
「どうしてそう思うのかしら」
何故すぐに答えられたのか、じっと目を見ながら考えを巡らせていく。
もちろん妖精さんと東海林さんは家族だ、僕なんかよりずっとずっと付き合いが長いに決まっている。
けれど、ここで会ってからずっと感じていた彼女の緊張感の中身を紐解いていって。
夜中の語らいを思い返して、東海林さんがどんな思いでここにきてまで服飾の仕事にかかわりたいと思っているのか。
本心を聞いたわけじゃないし、聞きだしたいわけでもないからわからない。
でも、ここに来てからの東海林さんについてなら僕にもわかることがある。
「『好き』っていうのも、努力じゃ続けられませんから」
じっくり描き続けてついに喫茶に飾られるまでになった僕の絵を見て。
こちらを見ながらニィッと笑う志乃さんを見て。
最後にさっきまでの不機嫌が嘘みたいにくるくると店内を回る東海林さんを見る。
首元につけられたキーチェーンの先に、銀色に光る鍵があった。
板金加工で小さく可愛らしく形を整えられた鍵が、彼女と一緒にくるくると回っている。
「手作りだなんて伊達男じゃない、女性の胸元を凝視するのは感心しないけれど」
「あんな程度では魔除けにもなりませんよ、何しろ自慢の武器だそうですから」
「ホント、高くつきそうね」
答えに満足したらしい妖精さんが笑いだす中、話を聞いていたらしき志乃さんもカウンターの向こうで意地の悪い笑みを浮かべていて。
後で洗いざらい説明してもらうと宣言されたついでに志乃さんお手製のアイスパフェを奢らされたのは、必要な出費という事にしておこう。




