禍根
四月を迎えて本格的に二年生として活動を始めてしばらく。
喫茶店がまた盛り上がっているのは新一年生が話題にしているおかげだろう。
時折自分の作品も飾ってくれと頼んでくる生徒もいたが。
「身内びいきだ」
と志乃さんの一言により、バッサリ切り捨てられていた。
ここで働かせてほしいという学生も少なからずいたが、今は募集していないとこれまたバッサリ。
相変わらずの忙しさにあけくれていて。
「嘉瀬先輩、水彩画のコンテストで勝負です」
「まだ言ってたの、それ」
三月にわざわざ僕のもとを訪ねていた新一年生の子が、懲りずに僕に勝負を求めてきていた。
目的と手段の違いに気付いてほしかったのだけれども。
「逃げるんですか」
「逃げるも何も」
今のところ水彩画で描かなければいけない理由がなく、描きたいアイデアもない。
もちろんスケッチをとったりペンタブの練習の合間に簡単なものは描いているけれども。
これは僕の悪い癖でもあるのだなと自覚してため息をつく。
「不戦勝だなんて許しませんよ」
面倒くさい子だとは思うけれど、言ったらおそらくブーメランになる。
僕個人としてはこれだというものがなければ描くつもりはなかった。
「絵の出来具合で勝負する意味が僕にはわからないからお断り、不戦勝でいいよ」
相手をする気はさらさらないと言外にチラつかせると、その子は不愉快極まりないと言わんばかりだった。
他のお客さんに失礼になるので表情はそのまま、仕事を万全にこなしていく。
「嘉瀬先輩をお持ち帰りで!」
「僕の家はここですので、いつでもいらしてください」
こう返せと言われているだけなので意味はわからないが、お客受けは良さそうだ。
「沙月ちゃーんお酌して?」
「別料金となりまーす、志乃さんいくら?」
「十万」
「え、まって十万あったら注げちゃうの!?」
嫌そうな顔をする東海林さんだが、お客さんも悪ノリだとわかっているのでお咎めはない。
そして言ったもん勝ちの一回だけねとサービスしてあげる辺り、常連さんには甘い。
「店舗補導はご勘弁だからな」
これで他のお客が俺も私もと言い出せば問題なのだろうが、それもない。
ひとえに、街の治安の良さがにじみでていてほっとする。
「宗司」
呼び止められて振り向いてみると、志乃さんが空になったミキサーを振っている。
しぼりたての生ジュースを日替わりメニューにいれてあるので、買い足してこいという合図だ。
名残惜しそうにしてくれるお客さんにすぐ戻りますねと返事をして、外へ。
春先とはいえディナータイムも大詰めの黄昏時、さすがに寒い。
コートを持ってくるんだったと思う中商店街へ小走り。
カイロでもよかったかなと思いながら青果店の前へ着くと、何やら揉め事が起きていた。
「やあ宗ちゃん、買い出しか」
八百屋のおじさんに景気よく声をかけられて返事はするものの、騒ぎのほうに目が行ってしまう。
「ああいうのはガツンと言いたいが、若さに任せた馬鹿力には敵わんからなぁ」
見ればどうやら強引なナンパみたいで。
女の子が数人と男の子が数人、手をつかみ合いながら揉み合っていた。
僕には関係のない事なのだろうけれど、もしも。
もしもの話、彼らが同じ事をここで起こしたら。
それは商店街にとっても喫茶店にとってもよくないことだろう。
東海林さんをはじめとする学校の仲間や友達、もっと言うなら学祭以降たまに喫茶店に遊びに来ている妹にも被害が及ぶかもしれない。
よし、と一息きめて、スマホで写真をとって。
八百屋のおじさんに電話を頼んで、つかつかと歩み寄る。
何やら体を押し付けてきながらわめいてくるが、こんなものはもう僕には怖くない。
ぐいと一押し、押し返す。
「交番には連絡してあるし、写真も撮らせてもらって商工会へ送りました」
もしもの時は、僕の後ろにいる商店街に来ている人たち全員が僕の味方だ。
これ以上商店街で騒ぐと顔写真ごとお尋ね者になりますよと添えて、お帰り願った。
舌打ちしながらも分が悪いと見た彼らはこちらを睨みながらも立ち去ったので。
喫茶店の店員らしく、腰から頭をしっかり下げて見送ることにした。
「アンタ、嘉瀬宗司!」
フルネームで名前を呼び掛けられるなんて珍しいなと女子一派のほうを向いてみると、見覚えがあるような無いような。
「よりによってなんでアンタがここに!」
キャンキャンと耳に突き刺さるような声音で罵詈雑言を投げかけられて。
ああ、同じ中学のと思い至る。
結局だれが言い出しっぺなのか、だれが悪かったのか。
未だにそれはわからないイジメで、その一翼を担っていたのも彼女たちだったけれど。
少なくとも今ナンパされてトラブルになったのは自己責任だ。
だから、彼女たちの事情は酌まない。
「家出みたいですね」
やってきた駐在さんにそんな事をぼそっと言って、さっさと離れる。
八百屋さんに通報してもらったお礼を言って、果物を買わせてもらって。
事情聴取を受けているであろう彼女たちのほうへは一瞥もくれずに走り出す。
志乃さんに遅いととがめられてしまうし、東海林さんや常連客には心配されてしまったけれど。
「ちょっと、昔馴染みにね」
そう濁して仕事に戻る。
ふと、心の片隅で。
頭の中で、ほんのすこしだけ。
いつになったら、あんな残酷な言葉とお別れできるのだろうかと。
悲しい気持ちがチクリと胸を刺す感じがした。




