情景
「全く、久々に会ったと言うのになんですか」
「わからないくらい綺麗になったってことで」
「元が気を遣ってなかったような物言いもそれはそれで腹が立ちますね」
久々に会って失言をこぼしたのが悪いとはいえ、望月さんからいまだにイジられていた。
「無事卒業したことだし様子くらい見に行くかと思ったらこれですよ」
またも大きなため息をつかれてしまい。
不本意ながらも返す言葉がないので、1食奢って手打ちにさせてもらうことにした。
「それで、なにか用事があってきたんじゃない?」
「これを」
料理が運ばれてくるまでの間に望月さんが取り出したそれは。
見覚えはあっても、ぼくにとってそれがここにあるとは思わないものだった。
「この鍵ってまさか」
「そのまさかですよ、嘉瀬先輩に返しに来ました」
それは中学の卒業間近に望月さんに確かに手渡した証で。
柊先輩から受け取った、大事な思い出で。
なんの飾り気もないけれど、そこにあるだけでほっとするような。
そんな不思議な安心感のある一本の鍵だった。
「返しにきたって、それは」
「確かに受けとりましたが、これをどうするかについては一任されたはずです」
鍵の扱いは渡すときに確認したことのひとつでもある。
学校の管理の関係上、あってはならない鍵。
「もう必要ありませんので」
そんな台詞と共に返されては、驚く他ない。
どういう意味なのかぐるぐると考え続けて。
「言葉が足りないだろ」
志乃さんからそう言われて、望月さんが慌てて訂正する。
「美術部は、美術室での活動に切り替わったんです」
確かにあの部屋はどうあっても活動には向かない。
それに合わせて資料室もいるものといらないものを近々整理し直すそうで。
必要なくなった秘密の鍵は、行き先を失ったと言うことだった。
「なんだ、てっきり」
「寝ぼけたことを言わないでください」
あれからどれだけ大盛況かと思っているのだと叱られた。
「あの三人の時でさえあれだけ並んでいたのに」
人数も、規模も、内容も。
より大きく多くなった事で、資料室では手狭になっていったのだという。
「本来ならこの鍵はその時点で破棄するべきだったのでしょうけれども」
カギにつけられた輪っかをもとにくるくると回している。
光を反射して、今でも現役で使えることがうかがえるけれど。
「これはきっと、先輩のもとにあるのがいいんだろうと判断しました」
突然パチンと手の中に収めて、それを差し出された。
「新一年生の中には、先輩の事を知っている子もいたんですよ」
「そうなの」
「そうなんです」
このやりとりもすっかり懐かしいものになってしまった。
コーヒーをひと口のんで、ぽつりぽつりと続ける。
先輩ほどの才能はないと言い切った事。
それでもと思ってくれた子が部員として残ってくれたこと。
休みの日にはあちこちに出て、絵を描いたこと。
「すべて、柊先輩と嘉瀬先輩が続けてきた事を引き継いだだけですが」
それでも後輩たちが上達していったこと。
笑顔で送り出してくれたこと。
それから、ずっと考え続けていた進路の事。
「私の思いは変わりませんでした」
そう言って、新しい学生証を見せてくれた。
名前だけは聞いたことがあるけれど、確か大学へエスカレーターで進めるところだった気がする。
「このまま私は教員免許をとって、先生になります」
本当に、あの頃のままだ。
絵を描くことは続けていくのだろうけれど、それだけで食っていけるだけの能力はない。
そう自己分析を続けていたあの頃と、何ら変わらなかった。
「そっか」
鍵を受け取る。
彼女はきっと、そうやって絵というコンテンツと向き合っていくのだろう。
描くのが好きなだけでは生きてはいけない。
そのための努力が必要で、努力を努力と思っていてはたどり着けない。
まるで言葉の綾のようだと思う。
何度もそれだけではダメだと言っていた彼女の事、僕よりも強くそれを実感していたに違いない。
「今日のところはそれだけです、ありがとうございました」
食事を終えて、ゆったりとコーヒーを飲んでいた望月さんはすっくと立ちあがった。
レジに立っていた東海林さんがオーダーの用紙をこっちに押し付けてくる。
「会計はそこの鈍感馬鹿にツケといていいよ」
「別に後輩に奢るくらいはいいんだけどさ」
なんでそういう事を言っちゃうかなと思って望月さんを見ると。
しばしキョトンとして、うんと考えて。
結局その場で大笑いし始めた。
「そういう関係じゃありませんよ」
「本当に?」
「マジと書いて」
今度は東海林さんが空いた口をふさがないまま立ち尽くしている。
「理由を聞いてもいい?」
会計を済ませている間、後ろにいた望月さんがどんな顔をしていたのかはわからなかったけれど。
「宗司先輩は、見ているものが違いすぎますから」
優しい声色に安堵して。
そういえば初めて名前で呼ばれたな、なんて思いながら。
ドアベルをどこか遠くで聞いている気がした夕暮れの出来事だった。




