場所
義務感のように授業をこなして終わってみれば後は三々五々散るものだろう、普通は。
僕は違った。
誰もいなくなるまで教科書とノートを開いて自習する。
誰もいなくなったところで私物を全て鞄に収納し、教室に出る。
小学生のころノートや教科書を好き放題された経験から、短時間でも私物のある場所から離れるべきではないと思ったからだ。
正直煩わしいし、中学に上がって鳴りを潜めたのであまりおおっぴらに行われることはなくなったが、警戒するに越したことはない。
そうやって私物を護ってから廊下をわたり、特別教室等へ移り、校舎の隅に自ら赴く。
先日入部届を出したさびれた教室の一角に陣取られた空間には、昨日と同じく一人の先輩が椅子に座って本を読んでいるだけだった。
部屋は相変わらずホコリっぽく、資料がごちゃごちゃと並んでいる。
資料棚が教室を二分するように置かれているが、中身は使うかどうかすら怪しい古びた道具ばかりだった。
扉を開けた音に気付いた先輩が顔をあげる。
「やあ、来たね」
歓迎されていないだろうし、挨拶もそこそこにと思っていたら待っていたと声をかけられた。
「名前もロクに紹介してなかったと思ってね。私は柊美千留。御覧の通りの偏屈者だよ」
キミは?と視線で投げかけられたので名前を返す。
「では宗司君、キミにお詫びと言ってはなんだが少しだけこの部屋から道具を引き上げておいた」
「え?」
「説明としては色々と不十分だったとあれから思い直したってことさ、私は静かに読書ができれば文句はないが、キミがここで絵を描くにあたってこういうものがないと困るかなと思って」
遠慮なく使ってくれ、とだけ言い残すと彼女は再び椅子に戻り、部屋の隅で読書を始めた。
見ればイーゼルがふたつ、カンバスがいくつか整理しておいてある。
この部屋が名称通りの美術部として活動していたころの名残だろう。
カンバスは誰のものかわからない絵が中途半端な状態で張ったままになっているし、イーゼルは薄汚れているが、双方とも使えないわけではない。
飼料用の戸棚を隔てて教室の後ろ半分は未整理でこそあるものの、人ひとりが使うには十分な広さがある。
このスペースも使っていいという事だろうかと顔を向けると、静かに頷かれた。
さっそく好きなようにとは思ったものの、拭き掃除をして窓を開ける事から始めた。
暖かい風と一緒にどこかの部活の掛け声がとびこんでくる。日差しも暖かいし眠いが今は我慢だ。
空気を入れ替えて、使う所だけでも軽く清掃して、でもなるべく大きな音は立てない。
方針を決めて、簡単にだけどスペースを確保。
使うものだけで後は放置。モノが多すぎて一人ではやりきれないし。
静かに、着実に、せっせと拭き掃除とスペース確保を済ませる。
棚の上に上った時にチラリと先輩のほうを見てみたが、特段意識していなさそうなので、厚意に甘えることにした。
引き続き掃除を続ける。
カンバスやイーゼルをしまっておけるスペースが出来上がるころには日が傾いていた。
そろそろ最終下校の時間だろうしとふたつの大道具を手に取る。
「どうやって持って帰ろうかな…」
「ずいぶんと大荷物になっちゃうんじゃないか?」
いつの間にかこちらのスペースに来ていた先輩がそう言う。
「ここに置いていけばいいさ、どうせカギは職員室か私しか持っていないのだし」
チャラリ、と見せられたカギは確かにこの部屋についている錠前のものだろう。
原因を口にしようとして、ふと思いとどまる。
僕がいじめられていたという事実に先輩は関係ない。
自力で解決すべきことであれば、それを語る必要まではないんじゃなかろうか。
なら、素直にお言葉に甘えておけばいいだろう。
「それもそうですね」
掃除した棚の下部スペースをガラリと開けて、中にしまいこんでおく。
「では、出るとしようか」
鍵をかけて、そのまま下駄箱へ。
「カギを私個人が持っていることは、内密にね」
口元に人差し指を立てる先輩はまるで悪戯を思いついた小学生のような顔をしていた。
学校側に報告してないカギのスペアがあるなんてバレたらコトである。
「掃除も気を遣わせてしまったみたいだし、これは何かお返しを考えておかなくてはならないね」
「いえ、別にこれくらいは」
元々彼女の読書スペースにお邪魔しているのは僕のほうだ。
「そうかい?」
「そうですよ」
元々言葉で遊ぶのが好きそうな人だ。
だから返しは思ったように、適当でいい。
そう思うことにした。
「また私がいない時は職員室にカギを借りてくればいいから」
じゃあね、と去っていく先輩はやっぱり変わっている。
帰り道に考えてみたけど、あの先輩は人を試すようなところが多い。
打てば響くとも言うし、年不相応なまでに大人びすぎているようにも見えるのは、あくまで僕が後輩だからかもしれないけれど。
とにかく不思議な人だった。
居てもいいよとは直接的に口にしないあたり、ちょっと捻くれているとも思ったのはここだけの話だ。