家族(中)
携帯からの連絡があったので、校門へ向かう。
ああは言われてみたものの、足取りは重い。
東海林さんに言われたことが理解できていないのもある。
「臆病さが残酷になる」
口にしてもなお、理解は広がらない。
臆病さとはかけ離れた言葉の組み合わせにただただ困惑していて。
残酷とは思えない事が結びつかず。
結局フラフラと歩いて、校舎を渡り、廊下を渡り、校門にたどり着く。
「どうした、元気がないな」
考えがまとまらない様子が透けて見えたのか、気さくに声をかけてきたのは父で。
「志乃にあんまりキツく言わないように釘刺ししたほうがいいかしら」
心配そうに思案しているのは母で。
「…」
そのうしろに、妹が居た。
黙ったままこっちを睨むようにしていて、表情は窺い知れない。
両親に連れてこられたのだろうと思って間違いなさそうだった。
そう思い込むしかなかった。
「大丈夫だよ、ちょっと気疲れしただけだから」
それならいいんだがと言う父には悪いけれど、虚勢を張るしかない。
いつものように、三人に語り掛けるようにして。
でも、最後の一人には視線を合わせない。
「それより作品を見に来たなら体育館、それと一部の校舎にパンフレットと展示がはみ出してるから」
保護者への案内もちゃんとあるからと説明して、案内図のチラシを手渡しておく。
「おい宗司、お前は」
「僕はやることがあるから」
ホスト側だからね、と父の言葉を制してその場を後にする。
この場をすぐに離れてしまいたくて、直視していられなくて。
いたたまれない思いで必死になっている自分がいて。
それを自覚したとたん『ダメ』だった。
望まれる答えはわかっているし、そこからどうすればいいかもわかっている。
でも、これだけはダメだった。
お互いに傷つくかもしれなくて、お互いに良いことではない。
絵を描くことが好きで、それを失うことが怖くて。
それが気に食わないというのなら、いっそ離れてしまえばいいとここに来て。
なのに、なんで追ってくるんだとさえ思った。
ここでの生活は、そういう息苦しさを断ち切るためのものでもあったのに。
学校は変わって、あの日のサッカー部の三人はもういない。
チョークやボールも罵詈雑言も、もう投げかけられることはない。
虐げられるような生活はもう過去のもののはずで。
それなのに、卒業式に志乃さんから「いいのか」と言われたことが頭をチラつく。
「これでいいんだ」
その場を離れる足取りは自然と速足で、来た時と違って素早く一直線に戻ろうとして。
東海林さんにも「逃げるな」と言われたことを思い出して。
校舎内を彷徨いクラスの教室に入って、自分の席に力なく座り込む事しかできなかった。
どれくらいそうしていたのか。
通知を知らせる携帯を取ることもないままぐったりと椅子に座り続けて。
窓が茜色を差していて、ああもう閉館の時間かなとぼんやり思う。
もう、帰っただろうかと思って立ち上がりかけて。
クラスの入口に立つその姿を見て、固まってしまう。
彼女は一人だけでここに来たようで、何も言わないまま僕の隣に座ってきた。
そうやって何も言わずにずっと隣に座っていて。
夜の帳が近づいてきて、とうとう僕のほうが我慢しきれなくなった。
「二人とも心配してるだろうから、早く帰りなよ」
「いやだ」
口をきいたのは何年ぶりだろうか。
ふと、そんな事を思う。
「兄さんの事をちゃんと聞くまで帰れないし、帰らない」
彼女は頑として動かなかった。
視線が突き刺さっているのがよくわかる。
「口もききたくないのはわかってるけど、それでも」
そんな事はないよと言いかけて、飲み込む。
思ってもいない事を口には出来ない。
「どんな憎まれ口を叩き付けられてもいいつもりで来たから」
「何を」
「あのね」
強まった語気に圧し切られて、絞りだした言葉でさえも飲み込んだ。
「ごめんなさい」
なにも言葉が出てこなかった。
悪いのは不出来な兄である僕で、イジメから守れなかった不甲斐なさが原因なのにどうしてと。
「兄さんは昔から我が儘言わなくてさ、私の事を考えてくれてて」
それなのに私はひどい事を言った、と頭を下げてくる。
どうしてこんな事をするのか。
疑問より先に困惑していて、彼女がこんな事をする理由がどこにあるのかがわからない。
「賞を取るくらいすごい絵を描くのに、侮辱してごめんなさい」
「兄さんのせいだなんて言って、ごめんなさい」
「不愉快な思いをさせて、ごめんなさい」
困惑する間にどんどん声をなげかけられて、どんどんわからなくなっていって。
罵声を浴びせるわけにも、皮肉を返すわけにもいかず。
また逃げ出したい気持ちに襲われて。
唐突に東海林さんに言われたことを思い出す。
「臆病さが残酷になる」
僕はその言葉の意味に、ようやく手をかけることができた。
彼女の言葉から何かをつかまなくてはならないのに、それができない自分が悔しくて。
「なんで」
彼女はそこで言葉を紡ぐのをやめて、真剣な顔でこちらを見る。
どうしてかわからないけれど、とても悲しい気持ちになって。
「なんでお前が謝るんだよ!」
出口を失った感情が、やがて激情となって噴き出した。




