家族(上)
いざ学祭の日がやってきて、一年生は本来来客に混ざっているはずだった。
先輩の作品を見て技術を盗み、刺激を受けなさいという意味もあるのだとか。
おかげで全学年の座学は中止になっていた。
僕もできれば観に行きたかったのだけれど、先月から企画していた喫茶スペースの案が通ってしまったので。
今は絵画の展示スペースでコーヒーを淹れている。
「そわそわしてるね」
「味が気に入ってもらえれば安心するんだけどね」
展示スペースをチェックしては裏に戻るを繰り返してもう一時間。
思ったほど座っていくお客さんは多くないものの、概ね好評らしい。
お客さんはまばらで、企業やアトリエからやってきたプロと三年生があれこれと相談している程度。
喫茶店での制服で待機している東海林さんも少し退屈そうにしている。
二人そろって自分用のコーヒーを淹れて、パイプ椅子で休憩中だった。
「そうかな」
「そうなんです」
「違うと思うなぁ」
思わずいつものやりとりを返してしまって、内心しまったと思ったところに追い打ちをかけられたのがよくなかったのだろう。
「自分が思ってるより顔に出てるよ」
くすくすと楽しそうな東海林さんの手前で、顔をあちこち揉んでみる。
自覚もなく険しい顔をしていたとなれば問題だ。
それを見た東海林さんがもうこらえきれないといった様子で口を抑えて足をバタバタさせている。
しばらく笑い転げられてしまい、ちょっとむすっとした僕の顔を見て片手チョップで謝られてしまった。
「ごめんごめん、でもね」
パイプ椅子に座りながら、店内の様子を見て再度僕に向き直る。
「もっと他の事を心配してるみたいに見えるよ」
二の句が告げられないまま黙る僕を、東海林さんは真正面から見ていて。
その表情にはもう冗談の色はない。
「そうだね」
何が悪かったのかな、なんて思いながら。
これまでの事を振り返る。
自分がしていた事が原因で、妹に嫌われてしまったこと。
以降、一言も口をきいてもらえなくなったこと。
それどころか居ないものとして扱われたこと。
そしてなにより、それを解決しないまま実家を離れて暮らし始めたこと。
ぽつりぽつりと、展示会場の静けさを壊さないように。
静寂にこの場所に包まれるようにしながら、東海林さんにひとつずつ話していた。
「どうしてこうなっちゃったかな」
僕自身がいじめられていたことは割り切れていても、妹の事はどうしても気がかりで。
卒業後も何かと言われていないか心配だったものの、僕にそれを確かめる術も資格もないと諦めていたことだったから。
半ば愚痴のように思い出話をしていた。
女々しい話に呆れたかなと思いきや、東海林さんは優しい目でこっちを見ていて。
ほんのちょっとだけニマニマしていた。
「なに、さっきの変顔もう一回?」
「そうじゃないよ」
新しくやってきたお客さんにお冷を出して。
戻ってきたと思ったら、スカートのしわも気にせずにどっかりと椅子に座る。
「宗司くんにも怖いものがあるんだなって」
なにやっても驚かなさそうなところがあるから、と寸評をもらってしまう。
「なんで」
そう思ったのかと口にしかけたものの。
東海林さんが持っていたお菓子を口に詰め込まれてしまった。
「その臆病さは時々残酷に映るもんだよ」
あっけらかんとした口調でそんな事を言われてしまって。
お菓子を咀嚼しながら、考える。
考える間も東海林さんの言葉は続いていく。
「言葉のナイフってたとえ方があるけど、あれナイフって言うよりカッターの刃なんだよね」
持ってる側は切りつけてから握っていた自分の手が真っ赤になってるのに気づくという。
飲み込んで、コーヒーを二杯。
東海林さんのぶんも用意して、座りなおす。
「物心ついたころからお母さんしかいなくってさ、勢いで物言っちゃって後悔するの」
父親がいないことで苦労をかけたのはお互い様だったと言う。
わかったような気にはなれるかもしれないけど、その想いはきっと僕にはわからない。
臆病ゆえに傷をつけて、臆病ゆえに逃げて。
逃げることが悪いとは思えないけれど、それで相手が傷つくこともある。
どういう人間かをよく知っているがために、言葉より先に行動の裏側にあるものを知ってしまう。
「傷を負わせたことに自覚がないうちはまだいいけど、気がついちゃったらダメなんだよ」
もうそこには後悔しか残らない。
互いの事を思うがゆえに近づいてはならない、まるでヤマアラシのジレンマのようだった。
「宗司くんが志乃さんのところに逃げたとまでは思わないよ、思わないけどさ」
コーヒーはすっかり冷めていて。
東海林さんは紙コップをポイとゴミ箱に放り込んで、立ち上がる。
「今ここで逃げちゃったら、今度こそ本当の意味で宗司くんが恐れていた事態が起きるんじゃないかな」
どうせヒマなんだし、行っておいでよと東海林さんに送り出されて。
力なくふらりと展示ブースを出た。
どうしてそんなに自信に満ち溢れているのか聞きたかったけど、それもやめて。
携帯からの通知を頼りに校門へ向かった。




