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ヲタクなんてそんなもんだ  作者: PON
中学生時代[一年生]
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言葉

「ようこそ、形ばかりの美術部へ」

目の前にいる先輩はそう口にすると、本を机に置いて自然な動作で椅子を引きこちらを促した。

なんとなくとはいえ扉を開いてしまった手前、そのまま座る。

先輩はそのままこちらの対面に座りなおす。

茶の一つも出なくてすまないね、と前置きしながら。

「聞きたいことを順番に聞いてくれ、ひとつずつ答えるから」

まるで男装の麗人のような振る舞いと口調で語りかけてくる彼女は、じっとこちらをみている。

目の前にいるのは自分とひとつしか違わないはずの先輩なのに、とんでもなく大人びて見えた。

促されてようやく浮かんできたこの空間の静謐さを破るように、質問した。

「…ここは美術部ですか?」

「もっともな疑問だ、イーゼルもなければ石膏像もない資料室だからね」

これが美術部室と言われても困るだろうという。

「しかし私が来た時にはすでにこの状態で大した記録も表彰状もなく、すみっこに追いやられた弱小部というのが美術部の現状だ」

みてごらんよ、と視線をやれば部屋の隅に地球儀がある。

他にもスクリーンだの世界地図だの、巨大な筆だの文献だのが棚にごちゃごちゃと放り込んであった。

「他に部員はいないんですか?」

「名前だけは借りていて、幽霊部員というやつだね」

「どれも私のコネクションによるものなので再来年にはそれも立ち消える、そうなれば今度こそ廃部だ」

それならそれで構わないのだけれどね、と彼女は続けた。

なんとはなしに立ち寄ったのはホコリくさい部屋に押しやられた弱小部。

そういう位置づけらしい。

そうなってくると、美術部と言いながら誰かの名前のあしらわれたものがひとつもない事が気になった。

「…では、先輩は作品を?」

「何も。絵心というやつが皆無でね…美術部員の先輩としての働きについては期待しないでくれ」

さもありなんと肩をすくめる彼女は、悔しさのカケラもない言葉を口にして本を手に取る。

いいかい?とこちらに尋ねた彼女は頷きを返すと、足を組んで本を開きなおした。

鑑賞専門という事だろうか、本の世界に没入しようとした先輩は。

視線をさまよわせる僕の疑問に気づいたらしく補足した。

「今日までは美術館なんかにいってレポートを仔細に書き、提出することでごまかしていた…誰も邪魔しないし、誰の関与もないから、読書するのにちょうどいい」

だからこの部屋の主となった。

言外にそういうニュアンスが含まれていた。

「図書室は勉強や貸し借りのために人が訪れるだろう?そういう所で長時間読んでると、司書さんじゃなくてこっちに聞いてくるのさ」

要するに煩わしいからこの場を根城にしたという事だろう。

言いたいことは見えてきた。

「できれば一人にしてくれということでいいですか?」

「一足飛びの会話は嫌いじゃない…が、今のは私も悪かったね」

率直に疑問をぶつけられているのがわかったのか、彼女は何度も本を上げ下げしては、結局机に置きなおした。

組んでいた足をほどいて、逆側で組み直しながらこちらを見る。

「キミはどうしたいんだい?」

追い出すでもなく、拒絶するでもなく、彼女もまた率直に尋ねてきた。

別に美術部を立て直したいと思ったわけでもない。

それどころか煩わしいと口にした彼女にとって美術部の再興は望まざる事態だろう。

ホコリっぽくてゴチャゴチャとしていて、学校の隅っこにある空間。

たったそれだけのものを根城にしている彼女にとって、僕は異分子だろう。

だけど。

けれど。

彼女はそんな僕を追い出すより先にどうしたいか聞いてくれた。

それはとりもなおさず、ある程度の決定権を委ねたという事だろう。

好きにしたらいい、私の部屋の使い方が悪いのだからと彼女は譲歩してくれた。

なら、僕もそれに応えて然るべきだろう。

義務はないけれども、権利があるならそれを折半するくらいはしてもいいんじゃないかと思った。

そう思ったら、口にするべき言葉は決まっていた。

「ここで、絵を描いていてもいいですか?」

だから、あくまで彼女に尋ねる。

「なるほど」

将棋の駒でも打ったかのような感覚。

「そうだね、また私の悪い癖が出たようだ」

パチン、と音がしたのは幻聴だろう。

「是非そうしてくれ」

彼女はそれがこの部屋の正しい使い方だとは、言わなかった。

だから、ありがとうございますとだけ返して、配られていた入部届を先輩に手渡すと部屋を出た。

廊下は来た時と同じく誰もいない。

少しだけ、軽くなった心で廊下をわたる。

下駄箱で靴を変え、勧誘がひと段落した校庭から学校を出る。

ふと、視線を感じて振り向いたら彼がいた。

篠宮君だ。

他には誰もいない。

彼だけが立ち止ってこちらを見ていた。

「…」

何か言いたげな彼の表情で、呼吸ができないみたいにぱくぱくと口を開いては閉じ、視線をそらし、戻してはまた言葉に詰まるを繰り返していた。

下校する人は他にもいるのに、まるで時間が止まったかのように僕と彼だけが立ち止まる。

僕も、なんとなくは理解していた。

卒業する前のあの日の話は、きっと彼の本意ではなかったのだろう。

万が一そうであったのなら、いちいち僕に付き合って帰る時間の足並みを揃える理由すらない。

でも僕から言うべきことはなかった。

あの時、僕の生活は決定的に変わってしまった。

その事実は変えようがない。

謝るつもりだったのか、あるいは嘲るつもりだったのか、彼が言わんとすることに何の興味もなかった。

だから、振り返った首を戻して前に進む。

振り返る事だけは、しなかった。

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