欲求
「聞いていませんよ!」
「言ってなかったからね」
部室に入ってすぐ、窓を開けるかどうか迷いながら望月さんに怒鳴られる。
ここまではいつものことだったのだけれど、今日は読書をしないと決めていて。
入学案内を見て、資料と入学までに済ませておく課題を広げる。
「でもさすが嘉瀬先輩ですね、推薦とっちゃうなんて」
「たまたまだよ」
推薦入試の届出を出したらすぐに来てといわれて。
さあ持参した作品をと思ったら「十分鑑賞させていただきました」なんて返ってきて。
少しだけ質疑応答をして、あっという間に帰って来てしまった。
喫茶店に教師が来ていた事も、寸評してもらっていたことも、パンフレットに推薦案内を用意していたのも、全ておおよそ叔母の企みだったらしく。
報告の電話を入れると「来年から客寄せパンダな」と身も蓋もない言葉を返され苦笑して。
しかしその流れを後輩達にそのまま伝えるのもちょっとと思って、たまたまという事にした。
「呆れましたけど、万事解決したのならいいです」
「そう言ってもらえると助かるよ」
課題だけを別のファイルに入れて、結果についてをまとめて席を立つ。
「あれ、嘉瀬先輩どこか行っちゃうの?」
「まだ言ってない人がいるからね」
後輩ちゃんとのやりとりをきいて、望月さんがものすごく深いため息をついていた。
「聞いてないよ」
これまた開口一番に大声を張られ、ぐすぐすと泣いているのは美術部の顧問の先生だ。
「言ってませんでしたからね」
「そういう大事なことは言ってよ」
まだ教師職になってから浅い、ということも含めて柊先輩からあまり心労をかけさせないでやってくれとは言われていたものの。
僕の進路については結局、この人に相談するわけにもいかず。
「ご両親は納得していたのに、顧問には相談していなかったのか」
「コンテストのパンフレットを見ながらうんうん唸ってて、邪魔するのもなと」
近くの机にいた学年主任に夏休み前の顧問の様子を伝えておく。
「嘉瀬君、いつまで部活に参加するのかわからなかったから」
「そこはちゃんと聞いておけ、嘉瀬もだ」
「はい」
僕自身も知りませんでしたなんて、口が裂けても言えるまい。
志乃さんが高笑いをしているイメージが湧き出てきてしまって、これはいけないと唇を真一文字にして。
すいませんでしたと口にすればよろしいと返ってくる。
うちのバカどもよりよっぽど利口だなんてお墨付きもついてきた。
「そんなこと言っちゃっていいんですか」
「誉めそやされるのが悪いとは言わないけどな」
やる気のあるなしというか、熱の違いがあるとどうしてもなと学年主任はくたびれた様子で言う。
サッカー部の面子には何度もいじめられていて、困らされたことだって一度や二度ではない。
それでも練習して結果を残したことには、きっと彼らにとって何か意欲があったからだろう。
「いいんじゃないですか」
「ほう」
そう口にせずにはいられなかった。
意外だったのか、向きなおった学年主任から続きを促される。
「誰かに認められたいって、きっとおかしなことじゃないと思うんです」
僕にとってそれが一番ではなかった、というだけの話で。
「目立ちたいとか、格好良くなりたいとか、そういうところから始めていくものだと思いますから」
それでいいんじゃないかと思う。
「とても『作品を見られなくてもいい』と口にしていたヤツの台詞とは思えんな」
学年主任も顧問も驚いていたけれど、そこに否定的な雰囲気はない。
「今はもう、夢がありますから」
よかったと、まだぐすぐすと涙目の顧問は続けてくる。
そんなに心配だったのだろうか、と考えて。
「一年の時からずっと悩んできたじゃありませんか、大事にもなりましたし」
言われてみればそうだな、とも思う。
そんなに心配をかけていたのかとかえって悪いことをしたような気分になって。
それも違うだろうと内心奮起する。
「どうやったって受け入れられないと思う人は出てくると思います」
それがここにおけるサッカー部の彼らで。
たまたま彼らに行動力があっただけのことなんじゃないかなと思う。
「絵が上手くなりたいと思うきっかけになったと思えば、いじめられていた事にも意味があったかな」
「それを言わせてしまうのは俺達にとっては業腹だけどな」
実態を知って、どうすればいいのかを一緒に考えてきてくれたのは学年主任もそうだった。
意味なんかない、気に食わないだけ。
たったそれだけの事で罵詈雑言を浴びせられてきた事はわかっている。
先生達も、きっとわかっているだろう。
そうでも思わなくてはろくに前も向けない事実だけが残るのは、誰にとってもいい事ではない。
「今は結果論でいいんだと思います」
報告を済ませて職員室を出る。
あとは両親にもいくつか相談があるけれど、それはまた今度でいいだろうと思う。
問題が残るとすれば妹のことくらいだろうか。
サッカー部とのいざこざはこのところない。
僕にしろ妹にしろ、何事もなく卒業できることを祈る。
今出来ることといえば、それくらいだった。




