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ヲタクなんてそんなもんだ  作者: PON
中学生時代[三年生]
52/115

調理

「5番」

「これ3番、水も」

「8番お勘定」

手短に、徹底して無駄のない言葉で急かす志乃さんの叱咤を受けて。

テーブルの間をあちらこちらへ早足に抜けていく。

ピークを過ぎて一通りのお客さんを捌ききると、バックヤードの椅子にどっかりと座り込む。

「形にはなったが根本的に解決してないな」

家の手伝いはそこそこしていたものの、接客業なんて体験したことのない僕にはやるべき事が追いつかず。

すっかりバテた状態で、どうしてこうなったなんて思っていた。


夏休みの間コイツは借りていくぞと言われてしまい。

部員全員からはどうぞどうぞと送り出されてしまい。

志乃さんに言われるまま日用品を持って志乃さんの持つスポーツカーに放り込まれて一時間。

やってきたのは以前やっと夢が叶ったと言っていた、志乃さんの住まいだった。

「今日から住み込みな」

制服をオマエの分だと手渡され、建物の一階に設えられたアンティークな喫茶店に放り込まれ。

あれよあれよと言う間に店頭に引っ張り出され、キッチンで食材を投げ渡されと豪快に振り回されて今に至る。

いい加減で進学先も絞れと怒られている所に、働いているヒマなどあるのだろうかという一抹の不安はあった。

こうなってくると学校の宿題もなかなか捗らないのも痛い。

「せめてホールかキッチンかどちらかにしてくださいよ」

「愛想よくすればそれなりなんだからどっちもやれ」

文句をつけようものなら女装するかと、女性用の制服片手に本気か冗談かわからない言葉で震え上がった。

お客さんの顔ぶれは見知った顔がいないのは救いだったけれど、別に懸念している事がある。

「これ、降ろしません?」

「嫌だね」

ホールの一部には僕が描いた絵がいくつかかけられていて。

どうして部室をわざわざ尋ねたのか、ようやく理解した。

「宣伝、近くに美術学校もあることだしな」

ほれ、と渡されたのは喫茶店からほど近くにあるらしい高校のパンフレットだった。

確かに昼のランチタイムはともかく夕方のディナータイムは学生服が目立つ。

「志乃さーん、子供いたんじゃん」

「うっさい私は独身、こいつは甥っ子だよ」

手を休めずにガシガシとフライパンをふって、オーブンからモノを取り出し。

お客さんからの声に応えながらもカウンターの中を行き来して忙しいことこの上ない。

「中学生に働かせて、いけないんだー」

「親戚だ、それとそこらの大人よりキッチリ払う、飾ってあるの一通りコイツの作品だからな」

からかうようなお客さんの口調にもキッチリ返す。

へぇ、と眺めているお客さんに気恥ずかしい思いをしながらおしぼりや料理を運んで。

時折絵についてを聞かれて、どうやったのかを説明してを繰り返す。

エアコンの効いた室内ばかりにいてあまり暑さを感じないのは幸か不幸か。

冷房病になりそうだななんてぼんやり考えて、志乃さんに集中できていないと尻を蹴り上げられる。

ここひと月はずっとそんな生活を続けていた。

それまで自分のペースで生活していた自分にとってはいきなりすぎて目を回していたけれど。

ある日の昼、ランチタイムの営業を終えてからのこと。

「忙しいけど充実はしてる」

志乃さんは実に楽しそうにそう言って目玉焼きを焼いていた。

サニーサイドアップ、という焼き方であるらしい。

「お客さんの中にはターンオーバーが良いとか、スクランブルエッグがいいって言う人もいるけどな」

細かいなぁ、と思うけれど。

目の前でそのままターンオーバーからスクランブルエッグ、ハムエッグにサニーサイドアップを味付けしてトーストに乗せて。

ざくり、と音をたてて斬ったそれを他に誰もいない喫茶店で食べる。

いわゆるまかないというものだろうか。

「どの食べ方も美味しいから、どれが失敗でどれが正解とかじゃあないんだろうな」

スクランブルエッグとマヨネーズを混ぜたものをトーストにのせて齧る。

美味しい食べ方だね、とも思うけれど。

だからといってサニーサイドアップのトロトロの黄身だっておいしいし。

カリカリに焼けたターンオーバーだって負けてない。

僕は知らず、それを口に出していた。

「どれが失敗で、どれが正解」

「そうさ、所詮趣味なんてものは究極、退屈から逃れるための娯楽であり嗜好だ」

そこには必ず偏りがあってしかるべきだと志乃さんは言う。

「どれが自分にとって正しいかは己で決めればいい、ただ下拵えはしておくべきだ」

そのために私はずいぶんと遠回りをしたが、結果として遠回りの縁が。

ありとあらゆる経験がここで喫茶を開くのに助けてくれる力になっているともこの人は言う。

確かに部室で本を読む、それだけが自分の絵を育てたわけじゃない。

数をこなして得た事もあるだろうけれど、今問いかけられているのはそういう話でもない。

詰られた事も、蔑まれた事も。

どこまでも続く水平線も、視界一杯に広がった星も。

家で家事を手伝っていたことも、その延長線としてここで働いた事も。

きっと、後から役に立たせて見せろとこの人は言う。

「結局、オマエがこの経験の何を紐付けするかだからな」

使えると思った物はなんでも使えばいい。

そう口にして、改めて志乃さんが寄越してくれたパンフレットを。

喫茶店の仕事を終えるたび、しわくちゃになるまで読み込んだ。

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