静謐
そんな澱み切った時間を過ごして、ようやく卒業。
なんの感慨もないままあれよあれよという間に中学生に上がることとなった。
両親が式に出てくれたのはうれしかったが、家に帰ってきて最初に思ったのは憂鬱さだった。
「…」
ずっと描いてきたじゆうちょうを見る。
これを全て捨ててしまうことは結局できなかった。
いろんな落書きやイラストスケッチがあったものの、陽の光を浴びることなくそこにしまわれたままとなった。
だけど、これを捨ててしまうことはこれまでの自分のやってきたことを真っ向から否定してしまう気がして。
どうしても捨てられなかった。
「…」
だから、棚にそっと戻しておく。
最後にもらった卒業証書を適当にダンボール箱に投げ入れた。
他の学校へ行くというクラスメイトへの寄せ書きや記念写真もあったようだが、その全てを無視した。
向こうも、無視した。
僕という存在をないものとして扱って、僕もそれを許容した。
いいじゃないかとさえ思う。
どうやったって気に食わない相手はいるだろう。
そうなった時、自分の心を護るために不干渉という手段をとる。
これは当然の結果とさえ言えた。
両親からは卒業の記念に何がほしいか聞かれたので色鉛筆と答えておいた。
日頃の妹の態度に察したものがあったのか、後日母がこっそりと部屋に届けてくれた。
「宗司が気にすることはないけれど、念のためね」
そう口にする母の茶目っ気のある言葉がやけに印象に残った。
春休み、卒業後から中学校への入学式まで時間があったので、今まで描いた絵のいくつかに色鉛筆で色彩をいれていった。
量が量なのできにいったものだけをピックアップすることにはしたが、それでも絞り切れないほど沢山あった。
時間の許す限りそれらを彩り、完成したものをそっと棚に戻す。
そんな時間の過ごし方だけを貫いた。
思えば妹とは鉢合わせることも少なかった。
両親からたしなめられたのか、それとも他に何かあったのか。
直接的に罵詈雑言が飛んでくることはなくなったものの、やっぱり口はきいてもらえないし、こちらからどうしてとはとても尋ねられず微妙な距離感をたもったまま過ごした。
こうしてみると自室には起伏はない。
クラスメイトからの嫌がらせも、罵詈雑言も、教師からの形だけの注意も、説教も、憐みの視線も経緯を探る言葉も、妹からの悪意もなにもない。
とても静かでいられた。
一心不乱に自分がやりたかったことと、言うべきだろうか。
やり残したことをやりつくしたとさえ思った。
そうやって一枚一枚、どうしてもと思ったものにだけ色彩をつけていって、終わったものから棚に戻す。誰にはばかることもない時間は入学式に合わせた道具や服装合わせのタイミングまでずっと続いた。
誰に別れの挨拶をするでもなく終えた卒業式と、次にやってくる入学式はやっぱり何の感慨もなかった。
校長とやらの長い挨拶、教師からの代わり映えのしない注意事項。
そんなものをざっと聞き流して教室を出れば、やっぱり好奇の視線がある。
知らない顔も半分あるとはいえ、知っている顔にこいつはまだいたのかという顔さえされてしまうのは苦い思いではある。
ぼくだって好きで嫌われに来ているわけじゃない。
そうするしかないという、選択肢のなさにやるせない気持ちのまま自己紹介だのレクリエーションだのをさせられて、そうして結局場所が変わっただけでなんの進展もない学校生活が再びやってきた。
クラスが決まればだれがどの役職につくのかが適当に決められ、そのまま部活への勧誘が始まる。
どの部活がなにをやっているのか、そんなだらだらとした紹介を一通りなんのやる気もないまま聞き流して、部活見学の時間になってようやく我に返る。
「そっか」
無気力さで全部聞き逃していたから、どんな部活があるのかすら確認していない。
ざっと一覧をみて普遍的な部が一通り押さえてあるのはわかった。
肝心のどんな記録をつけた、どんなやる気のある部活かだろう。
両親からは「なんでもやってみればいい」という言葉をもらっている。
妹にできるだけ顔を合わせないためにも部活というのはじつに使いやすい口実ではある。
だから、なんとはなしに校舎をぶらついた。
30分ほどぶらぶらと紹介されているところを見て回り、同じ小学校だった面子からなんとなく歓迎されていない空気を悟ってすごすごと出ていくを繰り返し、校舎の端っこにつくころにはもうそろそろ窓から茜色の陽が差し込む時間帯だった。
「…」
そこで、なんの飾り気もない備品室のうえに無造作にはられた『美術部』の三文字を見て、扉を開いてしまった。
後から思えばなんで無警戒にそんなところを開いたのかわからない。
「おや、珍客だね」
髪を後ろで束ねた、凛とした空気をまとった女子生徒が本を閉じてこちらを見やる。
ネクタイの色を見れば二年生であることはわかるのだが、この人は一体何者なのか。
独特の空気感があったのでまず一目で圧倒されてしまい身動きが取れなかった。
だから、後からしまったと思った。イヤそうな空気をまとってこそいないものの、入る気があるかどうかすら怪しいままに扉を開いて僕はどうするつもりだったのか。
「ようこそ学園の隅っこへ。なにはともあれ歓迎しようじゃないか」
僕という異分子が『柊 美千留』というこれまた学校の異端児と呼ばれる傾奇者と出会ったのは、この時だった。