守護
「二年参りに行って見ようか」
先輩からそう言われたのは冬休みもほど近く。
通知表を見て唸る望月さんも、唐突な物言いに驚いていた。
「大丈夫なんですか」
「人混みの事であればあまり大丈夫ではないから、少し河岸を変えようとは思っているよ」
それはもちろんの事ながら、僕が心配しているのは別のことだった。
「先輩、受験が近いじゃないですか」
「そうだね」
「学問の神様とか、もっと回るところは」
「いいさ、心配ない」
先輩は読んでいた図鑑を閉じると前にも言ったかもしれないが、と前置きして。
「前提として私は進学するつもりがないからね」
「毎回成績トップなのにですか」
ひけらかすつもりが当人にないので噂ではあったものの、毎回成績トップであるという話はあった。
それより悪い噂が山ほど出てたから、そちらに目がいきがちではあったけれども。
「副産物さ、特にやりたい事があるワケでもないからね」
キッパリと言い切っていて、望月さんは聞き流していたけれど。
嘘ではないにしろ、僕にはその苦笑が貼りつけてあるように見えた。
大晦日の深夜、行事とはいえ家族と離れて子供だけで行動するのは便宜上よろしくないということで。
顧問の先生に保護者同伴をお願いして来てもらっていたのは、去年の夏に花火を見た神社だった。
僕と顔も合わせたくないだろうと妹への配慮もあって、先輩から誘われたことは渡りに船でもあった。
「眠そうだね」
「全ては健康的な生活からだと思っておりますので」
望月さんが眠そうにしながらもついてきていて、寒いし待ち時間は長いしと立ちっ放しに配慮した暖かい缶コーヒーを用意していた。
望月さんが飲むのを見届けてからコーヒーを一口、あまり参拝客のいない境内を見渡す。
「宗司君はそうでもなさそうだね」
「あ、いえ」
描こうと思ったらキリのいいところまでよく起きているので、慣れっこだった。
少ししどろもどろになりながらもそう言うと、先輩は「君らしい」と笑っていた。
時計を見ながら過ごして、年を越して。
あけましておめでとうございますと、今年もよろしくお願いしますと。
毎年の挨拶をして、お参りを済ませて。
顧問の車に乗せてもらって、最寄の駅で僕と先輩だけが降りた。
望月さんは限界だったのか、後部座席でぐっすりと眠っていて。
遠ざかっていくエンジン音を人混みから見送った。
「行ってしまったね」
「行きましたね」
少し歩こうかと先輩から誘われて、駅から遠ざかる。
車で送ってもらった意味がないね、とも言っていたけれど。
僕もそれでいいと思っていた。
お互いに言うべきことがあるだろうと思っていたから。
「そ」
「おい」
先輩からなにか言いかけた時、声をかけてきた人物がいた。
「君たちは」
先輩と振り返ってみればそこにいたのはサッカー部の同級生で。
職員室で僕の方を睨んでいた何人かのうち、三人だった。
「お前、どういうつもりだよ」
最初は何を言っているのかわからなくて、呆けて。
状況を理解して、先輩の前に立って。
「質問の意図がわからないよ」
「職員室でお前が言ってた事だ」
提案の事ならば、たった今まさしく破られている。
僕自身はそう思ったけれど。
先輩はそうは思わなかったようで。
「仕返しすると思っていたのかな」
後ろからそんな疑問が聞こえてきた。
「そうだ」
「僕らにそんな事をするつもりはないし、意味もないよ」
「スカしやがって」
吐き捨てるようにそう言う彼らは、それでも手出しはしてこない。
睨んでいるのにどこか迷うような雰囲気で。
迷っているのに睨むことしかできないようで。
「そんな事言いながらどうやって仕返しするか考えてるんだろ」
悪意をこうも簡単に投げ捨ててくる。
それがなんだかとても哀れに見えて。
彼らの言い分も、威圧感も。
もう怖くはなかった。
「あのさ」
「なんだよ」
息を精一杯吸い込んで、手足に力を込めて。
相手を見据えて、言い放つ。
「自分たちがそうだからって、僕らもそうだとは思わないでくれるかな」
絶句した三人にたたみかける。
怒気を含む前に、本当にこちらに殴りかかってくる前に。
「そうやって会う度悪態をつくけど、君たちに対して僕が自発的に何かをした覚えはないよ」
それだけ口にして、先輩の手を握って。
早足で駅まで戻るとさすがに息が切れていた。
「困ったね」
息が整いきらなくて、先輩もそう言うのがいっぱいいっぱいだったみたいだけれど。
言いたい事は十分に伝わった。
「これはあくまで僕の問題ですから、先輩は気にしなくてもいいんですよ」
もうあと少しで先輩は卒業してしまう。
それまでに僕は、ああいった理不尽に対してこの人に頼らないで戦えるようにならなくてはならない。
悲しいことや苦しいことは一杯あるけれど。
もうこの人相手にその辛さや涙を見せてはいけないと思うから。
「そうか」
乱れた息をどうにか整えて、ちょっと疲れた顔はしていたけれど。
先輩は笑ってくれていた。
心から笑ってくれていたから。
「そうだね、うん」
この時、僕はカメラをもっていなかった事を悔やんだ。
いつもは皮肉げな笑顔を浮かべて、冷静に物事を見て判断していた先輩が。
にっこりと安堵した笑みを浮かべていて。
駅でじゃあまた、とわかれて家に帰ってからもそれが脳裏にこびりついていて。
今なら、と思って筆を手に取った。
きっと誰もが驚く一品を描けるに違いないと思ったから。




