夜景
「うーん」
夏休みの間に作品を描く機会はいくつかあったものの。
これだと思うものがあるでもなく。
かと言って何も描かないのも退屈だったので、アニメの原画展に来ていた。
来たのは僕一人、電車に揺られて一時間半。
大きな都市のど真ん中で開催されていたそれは線だけではあるもののプロの仕事で。
ここからキャラクターが命を吹き込まれていくのだなと妙な感心をしながらじっとそれを眺める。
他の人からすればざっと見てしまえば後はグッズの販売ブースに移ってしまうのだろうけれど。
僕にとってこれは宝の山だった。
「気にいったかい」
声をかけられたのは、どれくらい経ってからだろうか。
失礼を承知で言うのなら、何のオーラもなさそうな。
どこにでも居そうなおじさんが「STAFF」と書かれたIDをぶらさげていて。
「これ、余計な線を落とすのにも時間がかかって大変だったんだ」
リテイクもあったなぁなんて遠い目をしながら言っていて。
ああそうか、と得心する。
「これをお一人でですか」
「いやあ、これだけのものを一人では無理だよ」
ハハハと乾いた笑い声を上げていたけれど、子供のような笑顔が印象的だった。
「他の人と一緒に描いて、このほうがいいとか前の方がいいとかずっと議論してたんだ」
たった一枚の絵に何人がかりで挑んでいたのか僕にはわからなかったけれど。
一人で出来上がるものじゃない、という思いは強く伝わってきた。
ならば、と思って会場を出て。
ある人物に電話をかける。
「どうした、こんな時間にめずらしいじゃないか」
電話の向こうでしわだらけの顔をくしゃっとしているのが容易に想像できるその人は。
まかせろ、とだけ応えて電話をきった。
「克信さんのお願いとあっては断れんな」
そう言った老齢の紳士、以前祖父の部下だったと言うおじさんに案内されたのは数日後の事。
「ここがこの周辺でも一番高い屋上なんですね」
「そうなるな」
市内にある一番大きなビルを持つ会社で、建てるにあたっては祖父が指揮を取ったとの事だった。
星を見るのなら今年もあの駐車場へと言った先輩に待ったをかけて。
星を見に行きたかったとちょっとだけ拗ねる顧問の先生をなだめすかして。
この場合最も頼りにできるであろう祖父に「市全体を見下ろせるような高い所はないか」と聞いてみた結果、紹介してもらったのがビルの屋上だった。
「まさかここまで高い所に案内してもらえるだなんて思わなかったね」
風が強く夏でも肌寒さを感じたのか、先輩が軽く身震いしながらそう言う。
望月さんも後からはいってきたけれど、やっぱり怪訝そうな顔をしている。
「ここで何をするんですか」
まぁ見てて、と答えてイーゼルをたてる。
このために脚立を用意して、そこにさらにイーゼルを固定する。
このために屋上のライトを照らしてもらって、カンバスが闇夜でもよく見えるように配置する。
事前に線だけをいれてあって、パレットに絵の具をぐりぐりと出す。
「黄色?」
白を足したり、赤を足したりして黄色ベースでいくつか用意して。
「これで線の中にチョンチョンと点を入れてください」
できれば固まらないようにとだけ言い含めて、黄色だけを入れていく。
「シルエットでなんとなくは見えてしまっているけれど、これでいいのかな」
「そうですね、これでいいです」
祖父の部下だったと言う人にも混ざってもらいながら、その場でどんどん書き足して行く。
ビルを立てた時の写真を元に、市内の風景を線だけ模写しておいて。
実際の色を闇夜から眺めながら、見下ろして。
星空も見上げて、色を抜き取るようにして白いカンバスを染め上げて。
「なるほど」
ようやく出来上がったそれは、蝶の形をしていた。
夜の蝶と言うとあんまりいいイメージはないなと苦笑していたけれど。
民家を明かりに例えたそれはあっという間に埋まっていった。
「皆さんありがとうございました、残りは全て自分で描き込みます」
「いまさらだけどいいのかい」
蝶の形と、その外側を区切るようにしながら白と黄色で点を付け続けて。
今は作業を終えてイーゼルもカンバスも片付けるだけの状態で。
絵の具が乾くのを待つ中で先輩からそんな風に問われて、返事を躊躇った。
どういう意味だろうかと思案して。
「いいんですよ」
絵を誰かに見せると言う事に関してなら、なるようになればいいと思い始めていて。
自分たちが参加してもいいのかという意味であれば、そもそも他の人の参加を前提とした企画で。
やりたい事をやりたいように。
たったそれだけのことだから、気を使わなくていい。
先輩にそう返しておく。
「そうですか」
「そうなんですよ」
いつものやりとりをして、片付けを終えて。
うんうんとこちらを見ながら眉間にしわを寄せる望月さんを促して。
屋上のライトを消して、もう少しだけ居させてくださいとお願いして。
絵を描いている時は見降ろしていた風景から一転、今度は星空を見る。
元々そんな大きな都会でもないこの都市でなら、高いところでも十分に見られる。
だから、望月さんのつぶやきはハッキリと聞こえてきて。
「柊先輩と嘉瀬先輩は、あれで付き合ってはいないんですか」
僕は思わず、動きを止めてしまっていた。




