視界
今年も学力テストを無事通過するとすぐに夏休みがやってくる。
梅雨もあけてそろそろ暑くなってくる時期だけれど、終業式も近い中職員室に来ていた。
赤く腫らしてしまい、痛いなとじくじくする頬を抑えて周りを見渡す。
後ろで目を腫らしている望月さんと。
その背中を無言でさすり続ける先輩と。
向かいにサッカー部の部員数名と部長と、篠宮君の姿があって。
その間に立つ学年主任が心底疲れたため息をついて、眉間に深い皺を刻んでいて。
誰も何も言わない中経緯を思い返しながら、僕もひっそりとため息をついていた。
騒ぎになった理由はそれほど単純でもなかったのは、困り物だった。
もうそろそろ日差しも強い中たまたま屋内練習に来ていたサッカー部とすれ違ったのがいけなかったのか。
すれ違いざまにサッカー部の部員が僕の悪口で周りを声高に威圧して。
言わせっぱなしにするなと望月さんがそれに噛みついて。
当人である僕がいつものことだし気にしなくていいと言ったのがまずかったのか。
サッカー部はさらに悪口を重ねるし、望月さんはもっと強く噛みつくし。
結局望月さんがつかみかかって、宥めようとして暴れる彼女を取り押さえようとして怪我をしてしまい。
さらには殴りかかってきたのはそっちだと主張するサッカー部員からもどさくさ紛れに殴られて。
誰かが呼びつけた教師陣に全員取り押さえられてようやく収まって。
治療を受けたものの、まだ体中が痛いなんてぼんやり考えながら職員室の雑踏の中に立っていた。
「それで」
結局手出しをしたのは望月さんだったものの、それは先輩を思ってのことだという主張に。
あくまで手出しを最初にしたのは美術部だろうにと言うサッカー部の主張が対立している構図だった。
確かに手出しをしたのは望月さんが最初で間違いない。
でも、周囲の意見からも挑発していたのがサッカー部であることは明白で。
関わるなと言っていた三年生の先輩はもうおらず。
絵を裂いた彼は怯えた顔で黙っていて。
一年生はよくわからないまま噂に踊らされていて。
いまだ憎々しいと言わんばかりの一部の同級生だけが、こっちを睨んでいた。
篠宮君は黙りこんだままこっちを見据えていたけれど。
僕は視線を合わせることすらせず、沙汰を待つのみだった。
「どうしたものか」
後からやってきた教頭先生が困った顔をしていて、顧問でもある学年主任が申し訳ありませんと何度も何度も頭を下げていて。
それを見ていたサッカー部の部員から、視線の圧が強くなるばかりだった。
おまえのせいだ。
そう言わんばかりの視線の強さを、受け流し続けていてふと思う。
「あの」
喋ってみると口の中が切れているのかいやに痛かったけれど。
これを口にするなら今しかない、と思った。
「前に誰にもいないところで揶揄されたり殴られたりもしましたが」
教頭も学年主任も驚いていて、特に学年主任はどういうことだと自らが指導する生徒を睨んでいて。
部員もひるみながら、視線は余計な事をと物語っていた。
「気に食わないなら関わらない、それでいいじゃありませんか」
どうやったって癪に触ると言うなら、出来るだけ関わらないようにすればいいと思った。
わざわざ僕や先輩に悪態をつくのか理解できなくて。
それでも、彼らも僕らも痛い思いをしなくて済むならそれが一番だと思ったから。
あくまでも提案ですと添えるのを忘れずに、口の中が痛いのを我慢して言い切った。
「提案を受けるべきでしょう」
すぐに声が響いてきて、それははっきりと耳に届いた言葉で。
そう口にしたのは学年主任やサッカー部の部長ではなく、篠宮君で。
「悪口で上達するとも思えません」
正々堂々とした態度をとったまま、彼は言い切った。
彼の意図はどこにあるのか。
サッカー部員ですらわからなくて、困惑した空気が流れて。
それでも許せないと強硬な意見はそれでもまだいくつかあったけれど。
篠宮君の意見を切り口にして提案に乗った学年主任と教頭先生から、望月さん個人への注意とサッカー部全体への厳重注意でお開きとなった。
「ごめんなさい」
どうにか落ち着いたらしい望月さんからそんな事を言われて、なんでもないよと返したけれど。
僕はうまく笑えていたかどうかわからない。
職員室から離れたときも威圧感を感じて振り向けば、まだやっぱり彼らからの視線が突き刺さっていたから。
何も解決していないし、今後もっと大変なことが起きるかもしれないと思っていた。
今回の衝突は正直、まだ事件としては小さいものだろうなと思う。
僕は怪我をしたかもしれないけど、絵を描くのには支障はない。
柊先輩が無茶をするなと望月さんを窘めてはいたけれど、腹が立つのも理解できると言っていて。
彼らともっと根本的なことで対立する日がやってくるのではないかと。
そんな予感が日に日に強くなってきていた。
日差しは暑くて、夏休みはもうすぐそこで。
去年の花火のような事態にならないようにと、望月さんを見ながら心の中で祈るのみだった。




