春風
窓から桜の花びらがざあと音を立てながら数枚入り込んできて、綺麗さよりもまた掃除しなくちゃと思ってしまうあたり。
先輩に毒されてきてはいるまいかと疑問をもつようになってしまって。
筆を置いて、窓の外を眺めてみる。
校庭や校舎の中を問わずワイワイと生徒がはしゃぐ姿が見られて、いつもより騒がしい。
どこも部活の勧誘に必死な時期だったなと、去年の苦い思い出と一緒に振り返ってみる。
去年もこんな感じだったのかなと思いながら筆を躍らせて。
「よし」
校長先生からのお願いで、出来ればでいいからと言われていた一枚を完成させたのが先月のこと。
次のコンテストは去年とは別の物に出そうと思ってノートを潰して。
どんな絵を描いてみようかと桜の花びらを指先で弄んでいて。
先輩は名目上のためにたまにレポートを書いて提出していて、出かけては帰って来て読書に戻るを繰り返す。
いつもの光景のなかで、春の嵐が訪れたのはそんな時だった。
「弟子にしてください!」
ばんっと音を立てながらずかずかと部室に入ってきた少女が開口一番、そんな事を口にした。
ポニーテールを揺らしながら、肩で息をしていて。
よっぽど急いできたんだろうなと思って、コップの代わりに水筒のフタにお茶を注いで渡す。
ちょうどいい温度にしておいたのはいいのか悪いのか、彼女はと言えばぐいと一気に飲み干すと。
「弟子にしてください」
幾分か落ち着いた様子で、やっぱりそんな事を言う。
内心驚きを隠せなくて、おろおろした結果僕も水筒から直接お茶を飲む。
「え」
飲んでから再度、間抜けな声が出た。
目の前でじっと見つめられているというのはちょっと気恥ずかしくて。
落ち着こうと思っても上手く行かない。
よそ見しようとしても、真っ白なカンバスしかなくて。
「教えられるほど上手くないよ」
迷った結果、そんな言葉しか出てこなかった。
感覚と練習の結果でしかなく、あまつさえ自分のために描いていて、人に教えられるとは到底思っていなくて。
「そんなことありません、先輩は上手いんです」
きっぱりと言い切られてしまって、嬉しいのと驚きとでごちゃごちゃになった。
頭をふって必死に整理してみる。
独学でやっているから、具体的に教える事もあまりないような気がして。
熱意を持ってここに来てくれたことだけはわかっていたので、つっけんどんにならないように話す。
「それに、この部屋の主は僕じゃないんだ」
部屋の前半分に目をついとそらす。
彼女はずんずんとそちらへ歩いていって、先輩と何やらあれやこれやと話し始めた。
僕も参加したほうがいいのだろうかとは思ったけれど。
当事者である以上に決定権はあくまで先輩だよなと思いなおして、構図作りに戻る。
さてどうしようかと練ってはみるものの、どうも集中出来てないなという自覚はあって。
お茶をすするフリをして、聞き耳をたてる。
さすがに資料棚を隔てるとどういう会話をしているのか聞き取れないまま時間は過ぎて。
結局どういう話でまとまったのか、気がついたら彼女はいなくなっていて。
いつもと変わらない様子で先輩が本を読んでいるだけだった。
帰宅してからもずっと悩みは続いていた。
どうして部に入りたいではなく弟子にしてくれと言ったのかとか、先輩との話し合いはどうなったのかとか、そもそもどうやって僕の名前を知ったのかとか。
色々あるけれど、嬉しいとかビックリしたとかよりも先に来るのは相変わらず不安だった。
勿論、自分が後ろ向きであることは自覚している。
もし、仮に。
本当に、先輩の事を彼女が説得したとして。
彼女が弟子入りを改めてお願いして来たとして。
僕はどうすればいいのだろうか。
僕は受け入れてもいいのだろうか。
受け入れたとして、何を教えたらいいのか。
教えたとして、彼女がモノにできるよう導けるのか。
そして何より、一番怖いことがある。
僕に弟子入りしたことで、彼女もイジメのターゲットにされないか。
これが一番の不安だった。
このところ、サッカー部からの妨害はほとんどないと言ってもいい。
すれちがえば睨まれもするものの、人目があるのか、何かあれば学年主任に報告しろと言われているからか。
どちらにしろ「僕自身についての危険は減った」と言えるものの。
もしターゲットが去年の僕のように移ってしまったら、彼女はそれを跳ね除けられるだろうか。
先輩に言えないからと、彼女をメッセンジャーにしてきたらと思うと。
僕自身が傷つけられるよりずっと恐ろしい事だと思う。
僕を発端にされるのは後悔が残ると思ったから、不安ばかりが募っていて。
先輩は結局どう答えたのかと思って、そこでようやく花火の事を思い出して。
結局、相手の事を信じてみるしかないのだと結論付けて。
わざわざ僕を探し出して来てくれた彼女の説得を、僕も手伝ってみようと思って。
次の日はりきって部室にきてみれば、あの女の子と先輩が和気藹々と話をしていて。
先輩が入部届けをひらひらと振って見せてきて、内心ガッカリしていたのはここだけの秘密だった。




