酷薄
主人公の『嘉瀬宗司』の描く絵に興味津々の転校生『篠宮劉生』
その絵を見せてしまったことが引き金となり…
そうやって親交をのろのろと深めていくうち、ついに折れて白状した。
家に帰ってやるべきことを済ませ、その後ずっと絵を描いているという話。
描いたものは全部家にある話。
学校の誰にも言っていない話。
そういうものを少しずつ吐露した結果、彼が「一度見せてほしい」と言い出すのはごくごく普通の流れであっただろう。
僕自身もそうだろうなとは思った。
それも最初は嫌だと言っていたものの、何度も何度も話をして何度も何度も見たいと言われてはさすがに折れるしかなかった。
「これ…すごいんじゃないか!?」
仕方なしに家の前まで連れてきてじゆうちょうの一番新しいページを見せると、喜んだ顔から一転、彼は飛び上がるようにして驚いていた。
「そんなに?」
「なんであんなに遠慮してたのかわからないくらいかっこよく描けてるよ、すごいじゃないか」
「そうかな」
自分の趣味のために書いているものが驚くほど賞賛されているのは不思議でしょうがなかったが、悪い気はしなかった。
「見せてくれて、ありがとう」
「いいさ、もとはと言えば僕の自己満足なんだし」
彼はいくつかの落書きについて知っていて、これが手書きであることを伝えると再び驚いてを繰り返した。
描いてほしいと言われたものはあったが、趣味で適当に描いているだけだからこれ以外はロクに描けたもんじゃないよと伝えるとちょっと残念そうだった。
でも、最後にはやっぱりいいものを見たと満足そうな笑顔で帰って行った。
なんだ、別に隠すようなことでもなかったかなと思った。
その時は。
誰か他に同じ趣味の人がいるかもしれないなと思った。
その時は。
学校の誰かに知られるくらいならいいかもしれないなと思った。
あくまで、その時は。
事件が起きたのは翌々日。
朝教室に来て、黒板をみた時だった。
『嘉瀬宗司はアニメの絵ばかり描いてるキモヲタク!』
でかでかとそう書かれていた。
冷静になればだからなんだと言えただろう。それはわかる。
相手にしなければいいじゃないか。その意見もわかる。
だけど、取って返すにはあまりにも虐げられた期間が積み上がり過ぎていた。
「…」
誰がやったんだろう。そう思ってなんとなく教室を見渡しても、悪意のある笑顔ばかりがそこかしこにある。
ふと、思い至って同じく教室にやってきた篠宮君を見た。
彼も、信じられないものを見た、という顔をしている。
でも庇うような行動には出なかった。
それは漏らした人間が誰なのかを雄弁に語っていながら、実行犯が誰であるかを煙に巻いてしまったという証左でもあった。
悪意的な解釈なら彼ですらグルであったかもしれないと、そう思いすらした。
ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けたような。
そんな気がして、その場にへたりこむ。
茫然自失のままクラスメイトにやいのやいのと散々コケにされる言葉を吐かれたはずなのだが、詳細をひとつも覚えていない。
つみあがった所が高い分だけ落ちればその衝撃は倍にもなるしそれ以上にも痛くなる。
痛みを和らげる方法はなかった。
あとはもう、テンプレートだ。
ホームルームにやってきた担任がこれを見つけ。
やったのは誰だと騒ぎ立て、二度とするなよと形だけの釘が刺される。
名乗り出る奴がいるはずもなく、篠宮君も終始口をつぐんだままだった。
当然あれやこれやはエスカレートした。
小さなものなら私物がなくなる事から、団体行動となればすみっこになら許されていたものが本格的にハブられるようになり、教師は言葉尻で窘めるだけ。
今までのものがまだまだ序の口であったくらいに徹底的に自分という存在が無視、あるいは唾棄された。
当然、篠宮君との会話もなくなった。
その事に大したショックはなく、当然だろうなとすら思いもした。
転校して知り合い一つもいないなかでようやく友達とコミュニティにおける立ち位置を確保したのに、学校におけるカースト最底辺の人物相手になんでそこまで高く築いたものを崩さねばならないのか。
そりゃあ嫌だろうとも、遠慮したいだろうとも。
となれば僕に関わることは彼にとって毒でしかない。
そうなれば会話することもなくなるのは必然だった。
僕は、前のような一人に戻った。
だけど、前よりずっとずっとひどい状況に追い込まれた。
なにかにつけて「キモイ」だの「クサイ」だのと、場所と時間を問わずそんな言葉を投げかけられるようになった。
学校には勉強に来ている。これは、最低限の事の内だ。
これをこなさなくては好きな絵を描くこともできない。
そう思えば耐えられたものの、それも最初のうちだけだった。
なんどもそんな刃物みたいな悪意の塊をぶつけられて、平気ではいられなかった。
先生には相談するものの、言葉尻で注意はすると言われてみたり、あまつさえ「おまえのイジけた態度が悪い」とまで言われる始末。
学校の誰も彼もに突き放され、足掻きようもないまま授業を終えて家に帰る。
何があったのか、妹がくしゃっと顔を歪めてこちらをにらんでいた。
「お兄ちゃんのせいで私もいじめられた」
全部お兄ちゃんのせいだ、お前が悪いんだ。
そう吐き捨てて二階へ妹は自分の部屋へ駆け込んだ。
味方はどこにもいなかった。
心がポッキリと折れてしまうまではそう長くなかった。