結晶
もうすっかり寒くなってしまって、部室に落ち着く頃にはすっかり窓が真っ白に曇ってしまうような。
そんな寒い寒い時期にさしかかっていて。
何か面白い物を描いて見たいな、とは思っていたものの。
どうしようかなと思案を続けた結果、落書きを山ほど作っていた。
どうも納得行かないと言うか、これじゃないとダメというものが自分の中になかったためだった。
サッカー部におおっぴらに絡まれたあの一件から学年主任の目が光っているのか。
それとも単純に言い返されたのが予想外だったのか。
あるいはテストの結果が芳しくなかったためにそれどころではないのか。
ともかく悪意をもって直接的な衝突を受けることはあれ以来無くなっていた。
「ウム」
大物作家くさい雰囲気を出して見るものの、やっている当人はと言えばいいとこ中学一年生の小僧で。
威厳も何もあったもんじゃないな、と自らのやったことと実際の温度に身震いしてから、ひざ掛けを直す。
通知表は悪くない結果で、あとは冬休みを待つばかりだった。
コンテストが冬場と言うか、年が明けてからもあるようなのでそれに合わせて一枚描いてみようかと思ってはいたものの。
手慰みに描いてみた絵を見て、なんだろうなと思う。
今回描こうと思った物に具体的なイメージはないけれど、ひとつ自分の中に課題があった。
白、という色は実に扱いが難しい。
塗りすぎたり、違う色を混ぜると濁って明度が落ちてしまう。
かと言って白を塗らなければ、ぽっかりと絵そのものに穴が開いてしまう。
塗りこまないわけにもいかないけれど、塗ればおかしくなるようなジレンマに悩まされて。
どうしたもんかなと考えていて、打開できればとこれまで作った作品を見直す。
違和感の正体はなんだろうなと思う。
ここ数日考え続けていて、どうも答えがでそうに無いところで。
うんうんと唸り続ける事にそろそろ飽きてしまっていた。
進展がなさそうなので、頭を切り替えるために部室の前半分へ。
水筒を片手に、図書室から借りてきた画集を開く。
「行き詰ったのかい」
「そんなところです」
しばらく眺めていると、先輩も本の区切りがちょうど良かったのか。
パタンと大きな装丁の本を閉じて、こちらを向いていた。
本を開いたまま先輩に視線を移すと、いつもの不敵な笑顔があった。
「楽しそうですね」
「楽しいさ、思っていたよりずっとね」
「僕をここに招いた事がですか、それともこの部屋を占有した事がですか」
「どっちもだけど、今は前者が大きいね」
結局僕は、先輩がどういう意図でもって僕を招く事にしたのか詳しくは尋ねていなかった。
僕もどうしてひっそりと絵を描いていたのか、説明していない。
部屋を借りて、たまに息抜き代わりに適切な距離で他人と話ができれば。
なんとなくそれでいいと思っていた。
「一人でいる事も大事だけれど、たまに人恋しくなるんだ」
「最近は寒いですからね」
カイロを片手で揉みながら言う。
最初はきょとんとしていた先輩だったけれど。
返事がよっぽどお気に召したのか、珍しくはっきり口角をつりあげて笑っていた。
家にもイーゼルとカンバスを持ち帰って。
妹に見つからないようひっそりと自室に運び込んで、続きを悩んでいた。
小学生の頃に描いたノートの絵を再度見直してみて、どんな色で描こうと思っていたかを思い出してみたりもしたけれど。
白、というテーマで描こうと思ってもなかなか手応えが出てこなかった。
「やってるな」
仕事を終えたばかりなのか、父がノックと共に自室に入ってきた。
「白がテーマなんだけれどね」
「そうか」
父と揃って、何気なくノートを開く。
無言でどうするかのイマジネーションを練ってはみたものの、形にならないもどかしさを覚えていた。
「ロマンのかけらもない話だけどな」
父が唐突にそんな事を言い出したので、ノートを閉じて向き直る。
何を見ているのかと思えば、父は温泉に入るサルの落書きをみていた。
「どうして透明なものを蒼で補填するんだろうな」
思えばそれには雪が描かれていて、イメージによくありがちな冬景色だった。
「海とか空なら透過光が青だけだからとかそういう科学的な話が出来るんだけどな」
雪の結晶は真白じゃなくて、わざわざ青で補填するのはなんでだろうな。
そんな父の単純な話を聞いてストン、と腑に落ちたような。
自分の中に落としこむ手立てを見つけることが出来たような気がして。
自然とノートを開いて、鉛筆を手に取る。
「そっか」
「何かつかめたのか」
そいつは重畳だ、と言う父は気を遣ってくれたのか。
そのまま風呂にでも入ってくるわと部屋を出ていった。
おぼろげに出来上がったイメージをなんとなく線に描き起こして。
もう少し仔細にイメージで補填して行く。
黒にもきっと同じことが出来るんじゃないかと思って、青を混ぜ込んで。
夜のイメージを濃紺で表す。
今まさしく陽が落ちきって、夜の訪れを告げるような色合いを作って。
街灯と、雪の真白と、降り往く結晶を薄く伸ばした菫色に染めてみて。
シンプルな絵画にするのもいいけれど、やっぱりそれはもったいないなと思って。
二対の羽を夜に煌かせる妖精を舞い込ませて。
そこまでで夕飯は食べたのかと母から呼ばれて筆を置くと、絵にタイトルをつけるのは食後の楽しみに取っておく事にした。




