故事
「おめでとう、宗司君」
いつもはどこか不敵な笑みを浮かべている先輩から素直な賛辞を受け取って、それを見直す。
「取れると思ってやったわけではありませんけど、嬉しい物は嬉しいですね」
「謙遜はやりすぎると醜悪に見えるよ」
苦笑する先輩も、賞状二枚という状況は慣れていないのか、面白そうに眺めていた。
驚いていたのは誰より自分ではあったけれど。
『最優秀賞 嘉瀬宗司殿』
そう書かれた二枚の賞状を見比べて、自分の積み上げてきた物が嘘にならなかったことを実感した。
ひとつは絵画を提出した大きなコンテストからの賞状。
もうひとつは、過去にない大きなコンテストでの結果と言うことで、学校からもらった賞状。
僕がやったことと言えば、とりあえず出来ることを全部積み込んでしまえという実に安直なもので。
技術的な事や感覚的なことなら、もっと上手な人だっていたはずだろう。
相変わらず人のために描いた物ではないのに、それを評価されて。
ちょっとおかしな気分になりながら、賞状をカバンにねじ込む。
「表彰されて嬉しい割に雑な扱いをするんだね」
「前も言いましたが」
声を合わせて二人で『絵を描ければそれでいい』と口にして、噴き出し合う。
僕は何も、自慢がしたくて絵を描いた訳ではない。
ただ、僕のやっていることにも意味があったと。
少しでも自分のやっていた事に誇りを持てたらいいなと思って応募して。
たまたま、結果がついてきただけ。
少なくとも、僕の中ではそれだけの事だった。
「どんな絵を描いたのかな」
「それはナイショです」
「人にみてもらうためのコンテストに出したのにナイショなのかい?」
仕方ないなぁ、と紅茶を一口すする先輩は、断られてもなおにこやかだった。
「先輩も何かいいことがあったんですか」
「今からあるだろうさ」
少なくとも数日中に、と事も無げに先輩は言う。
自ら絵の中身をナイショと口にして断っておいで自分だけ聞くのもはばかられたので、詳細は聞かない事にした。
読書に戻った先輩と別れて、部室の後ろ半分で事前に貰っていたコンテストの結果一覧をみる。
絵画展の名前が『秋桜展』というだけあって、テーマは『紅葉』だった。
ここに自分の名前で作品を出そう、と決めて。それからしばらく。
父がよく話して教えてくれた、千本鳥居の事を思い出して。
並び立つ鳥居と石畳に、紅葉を朱色と紅色のグラデーションで描き分けてはみたものの。
どうもなにかが足りないなと思って、キャラクターを一人描き足した。
それは楚々とした巫女服に九つの尻尾をしつらえて。
影絵で言う狐の形に手を添えて、狐の白面を頭につっかけて。
流れるような金髪を白面金毛の九尾になぞらえて、頭の上に獣の耳を添えるなんて遊び心を入れて。
冗談で『これは九尾の狐の玉藻の前だな』と思ってそのままタイトルにしてしまった。
そんな、冗談みたいな絵が、一番上にでかでかと載っていて。
果たしてこれが先輩の目にとまらなくてよかったなんて、安堵している自分がいた。
それから、数日。
常時人のいない部室はすっかり寒くなってしまっていて。
ひざ掛けを片手にまた顧問の先生が持ってきたコンテストや絵画展の広告と応募要項を見比べていた時の事。
「失礼する」
野太い声が部室に響いて、なんだなんだと思って覗いてみれば、先輩が来客に着席を促している所だった。
「部活中にすまないが、すこし時間をくれ」
そう言って窮屈そうに座っているのはサッカー部の顧問で、学年主任も兼任しているはずのあの先生だった。
時間をくれとこちらに言ってきた以上は僕に用事があるのだろう、と僕も対面に座って、学年主任からの言葉を待つ。
先輩はと言えば、今から起こる事を予想していたのだろう。
神妙な顔をしながら口角だけをヒクつかせるなんて器用なことをしていて。
それは五分だったろうか、十分だったろうか、はてまたもっと時間がかかっていたかもしれない。
それくらい長い体感時間だったような気がするけれど。
ようやく口をひらいた学年主任は、頭を下げていた。
「今まで、すまなかった」
下げられた頭は、僕に向けられていた。
どういう事なのか尋ねてみれば、なんのことはなく。
これまで柊先輩との因縁があって、僕のこともあまり快く思っていなかった事。
春に絵を破った一件以来、部員にまで失礼なことを口にするのを許容してしまっていた事。
けれど、今回類を見ない大きな賞の受賞を成し遂げた事。
そんな結果から学校からも賞状を出すに至って、どれほど僕が努力していたかを思い知った事。
それらを、ひとつひとつ丁寧に説明を受けて、再度頭を下げられた。
「僕は努力なんてしていません」
最後まで学年主任の言葉を聞いてから、真っ先に僕の口から飛び出したのはそんな言葉だった。
どうして、と聞かれればその答えはすでに僕の中にはあって。
「いつもの通りに絵を描いて、いつもの通りに楽しんだ」
それだけです、と口にして。
学年主任のまだ納得していない雰囲気を察して、思い出す。
先輩が言っていた、太公望の話。
釣りの他にあった、もうひとつの有名なエピソード。
「『覆水盆に返らず』と言います、口にした言葉が戻らないのなら水に流すのが一番ではありませんか?」
傷つけられた心まで癒せなんて、そんな事まで望んではいないと。
ハッキリと口にして、物言いはそこまでにした。
「そうか」
強張った形相でこちらを睨むような顔をしていた学年主任だったけれど。
それを聞いて、幾分か緩んだような気がした。




