幕間2・望月香苗
絵でプロとして食っていく、ということの難しさは、この年になるまで重々思い知らされた。
人並みに子供を産み、育て、今まさしく絵画について教えている。
自分の子供に如何ほどの才能があろうか、それはわからない。
わからないが、世界の広さを知る私にとってはこれしかなかった。
だから、そうした『才能』というものに出会った時、平静ではいられなかった。
それはいつもの絵画展で、規模としてはそこそこ大きいものの、才能を発掘するような場所ではなかった。
だから、少し気が抜けていたと言えばそうかもしれない。
あるいは、そこで見出したとてそれを導くだけの指導力があるかどうか。
そういう才能を別口で持ち合わせるような人物であれば喜んで審査員を引き受けただろう。
私にはあまりそうした方向性においては得意であったとは言えない。
娘は順調に私の技術を盗んでよく勉強できているようだが。
それはいい。今回その娘の作品はない。
だからこそ引き受けた審査員だった。
この絵画展は中学生以下のものだし、プロとしての絵は求められていない。
新しい子供たちの新鮮な作品と、斬新な発想に触れることが出来ればいいかな、という程度の気持ちであった。
そうやって気を抜いていたからだろう、その絵を見た時の衝撃たるや、なんと評したらいいものか。
テーマは新緑だったはず。
若々しい空や芽吹いた大地、大空を描き、木々の連なりをあらわす作品が並ぶ中、それだけがただならぬ雰囲気をまとっていたことは、遠目にもわかった。
まず飛び込んできたのは、美しい娘。
耳が長く、中世の甲冑を部分的に切り取って、身軽に動きながらも重要な部分をしっかり守るような、そんな簡易な甲冑を身にまとう切れ長の目をもつ少女。
彼女はうっそうとした森の中で、ブロンドの髪を揺らし大地に芽吹いた双葉を愁うように見つめている。
片手に竪琴を持ち、もう片手に小鳥を導き乗せ、暗く目深な森の中にたたずむ少女の姿。
人ならざる美貌の視線の先で何とも複雑な表情を湛えたこの少女は、一体何なのか。
誰かが、エルフと口にしていた。
そうか、これが俗に言うエルフという生き物であるのかと理解する。
その場ですぐに色々調べて見て、森の賢者、自然とともにある者、というようなキーワードを目にした。
空想の中にしか存在しない、人ならざる長寿と美貌でもって、森に生きるモノ。
命の芽吹きや新緑のすばらしさをたたえる絵画に囲まれて、絶対の雰囲気をまとうその作品。
高い技術とともに、描き込まれた娘の複雑な心情を物語るこの作品の風格は、周囲のそれを圧倒していたと言っていい。
これほど緻密で、繊細な絵がこのほかにあろうはずもなく。
またこれほどの表情をただの絵画一枚に込める事が出来る技術など、そうそう得られもしない。
中学生が夏休みの課題でポンと出すようなものとはワケが違うことだけは確かだった。
審査員として来ていたほかの先生たちも驚いている。
必然、これを描いたのは何者なのかとなる。
「深き者:名無し」
しかし、待っていたのは何処の誰やも知れぬという事態であった。
普通はここに学校名と描いた当人の名前が書き込まれているはずなのに、それが存在しない。
これでは評価のしようもないと焦るばかりだった。
一体誰がこれほどの作品を描いたのか。
受付で聞いたものの、中学生であることを証明する学生証を提示したものからしか作品を預かっていないと言う。
大人が紛れて描いた物でないことは明らかとなった。
作品名と氏名を適当にしても通ってしまうと言うチェック体制の甘さも露呈することなったが。
では、これほどの気迫で描かれた絵画は誰のものなのか。
借りたホールには監視カメラはなかった。
どこの誰が持ってきたかを探ろうにも、手がかりはないにも等しい。
最優秀賞は何処の誰とも知れぬ作品と言う異例の事態となり、体面上それを避けるために二番目に票が多かった作品が受賞することとなった。
多くの審査員が諦める中、私は諦めがつかなかった。
これほどの作品を描き上げる中学生とは、何者なのか。
これほどの才を発揮して、なお自由に羽ばたく異能を持つ者とはどんな人物なのか。
展示会における採点を終え参加者へ公開され、受賞した作品については地元紙や一般に向けた公開で長い期間そこに展示され続けた。
それを待ちに待ち続け、審査員特別賞を受けたその絵を回収した人物が何者であるか尋ねておくよう根回しをしておく。
それは地元の中学校で美術を教えていると言う教師であるとの事だった。
後日それを聞き、学校を尋ねる。
美術部の顧問と言う教師に会ってみたが、トボけられてしまった。
しかし、受付で確認してもらったのはこの教師で間違いはない。
念押ししそれでも知らないと返されて、本当に知らないのだろうと気づかされる。
私の剣幕に怯えてしまった彼女にお詫びを入れると落ち着いたのか、確かに美術部の顧問はしていると返ってきた。
鼻息も荒く来客カードを下げたままそこに向かうと、美術部とは名ばかりの小さな資料室にたどり着いた。
美術に置いてはあまり力を入れていないというこの学校で、本当にあんな作品が作られたのであろうか。
中にはいれば紅茶を片手に読書にいそしむ生徒が一人、会釈をしてくるだけだった。
部室とは名ばかりの倉庫の方に、それはあった。
雑多ながらも、それはアトリエだった。
小さな作品たちが、色々なところで眠っている。
部屋の主はどこにもおらず、作品を描いた人物は結局そこにもいなかった。
わからない事だけが増えていくなか最後にどうしても諦めきれず帰り際にキミじゃないのか、と尋ねて見た。
読書していた少女は静かに、けれど確かに澄み渡るような音色で言った。
今思えば、三日月が裂けたような、ニタリ、とした笑みを浮かべていたようにも思う。
「私ではないけれど、妖精は確かにここに居たかもしれないね」




