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ヲタクなんてそんなもんだ  作者: PON
大学生時代[一年生](オマケ)
110/115

性分[下]

「珍しいね、今日は描かないの」

「筆を休めたい時もあるよ」

練習が一区切りついたのか、彼女は客席に来るとスケート靴をすぽんと脱いで休憩にやってきた。

コーチらしき人と色々やり取りしていて、練習の段取りがあるのだろう。

運動はすなわち反復で体に感覚を馴染ませるものだという。

では、スケートもそうなのだろうか。

「てっきり私を描いてくれるのかと思った」

「そういうのはダメって約束でここに入れてもらってるから」

けちんぼ、と言ってコーチの所に戻っていく。

なにやら二言三言交わして戻ってきた。

「もう練習風景に入ってるんだから遠慮することないってさ」

「思い切りがいいね」

「カメラのフラッシュとかだと邪魔になるし気が散るけど、人目が練習の糧にもなるから」

いい事なんだよ、と彼女は言う。

人の目に触れる事。

これは、僕にとっても大きな課題ではあった。

けれど自分の満足するものを描くだけだから、気にしなかった。

通り過ぎたところだと思っていたけれど言葉に対して違和感が残る。

「じゃあ遠慮なく」

「美人に描いてね」

「それは保障しかねるかな」

またけちんぼ、と言って再度スケート靴を履いて練習に戻っていった。

取材に来ている筈の記者も限られた人数しかいないし、他に誰の姿があるでもなし。

少しばかり寒いのが玉に瑕ではあるけれど、ガジェットを手に取った。

「まぁ、いいか」

同じところを幾度も反復したり、通して練習したり。

時折クラシックの音楽が流れる中で彼女の姿を目で追いかける。

時折転んだり痛そうにしたり、出来ない事に不満そうにする様子で練習が続く。

コーチらしき人とやりとりをして、また滑っていく。

スケートリンクの上にはたった一人で踊る彼女の姿だけがあって、静寂に包まれる事も多い。

どうしてか、それが物悲しく見える。

感覚的な部分でしかわからないから言葉にはできないが、その姿がなんだか哀しく見えた。

だからだろうか。

練習する様子を描き上げてみたものの、どれもなんだかぽつねんとして見える。

でも、これでいいとも思えた。

不足しているはずのもの。

空白だらけの絵。

ひとり少女が映るだけ。

「なるほど」

結論を急ぐのは違うかもしれないが、出来るだけ上手く描いて見せようと思った。


何時間経ったかわからないが、練習がお開きになったようだ。

ブーツを脱ぎ終えるまでに色彩を済ませて輪郭を整える。

「なるほど、的確だね」

コーチらしき人は一見してそう言った。

対して彼女はなんだか不満そうだった。

「綺麗にかけてるけど、なんだか寂しそうだね」

「だけど和泉、彼の目にもこう映ったって事だろう」

「コーチにもそう見えたの」

「曲のテーマに合っているかどうかで言えばそうだろうが、それだけじゃないって事」

「どういう意味」

「それは自分で考えなさい」

ぶー、と不貞腐れる彼女にまぁまぁと声をかけてガジェットをしまう。

渡せるレベルになったら持ってくる事だけ約束した。

スケートリンクから出ると取材陣に囲まれる彼女からそっと離れて建物を出る。

「未来の巨匠さんは気遣いしいね」

「今日の主役はあの子なので」

からかってくる記者さんに出しゃばりませんと返して、インタビューや記事を書く人々の隙間から彼女を眺める。

今描いたらもうちょっと別のものになるだろうか。

集団が解散するまでの間にもう少し筆を進めてみた。

「キミはいいね」

全部終わって帰るだけなのか、いつの間にか彼女が隣に座っている。

「何が」

「私は出来るからやってるだけで、好きかどうかも考えたことはないもの」

持って生まれた才能というのはあるかもしれない。

それがどの程度で誰がどうやって測った上でそうなるのかはわからないけれど。

その違いがあるから、同じ人間というカテゴリでありながら個を認識するという話は美術部にあった心理学の本で読んだ覚えがある。

「それだけでこんなに美しく出来上がるものかな」

「そうでもないのよ」

反証するような言葉もないので、彼女の話を黙って聞くことにする。

「あれは演劇と一緒で、一挙手一投足で喜怒哀楽を表すの」

「哀しそうに見せることは出来るし、楽しそうに見せる事も出来る」

「感情表現と心からそれを楽しむ心は切り離されているのよ」

それ自体を楽しめているかどうか。

自信がないだけなら試せばいいのだろうけれど、そういう意味でもないらしい。

「私はそれがたまたま出来て、スケートリンクで滑りながらそれが出来ただけ」

例えばそれを歌いながら出来ればオペラ歌手だったかもしれないし、踊りながら出来ればあるいはダンサーだったかもしれない。

「楽しくないのかな」

「わかんない」

好きかどうかもわからないまま、出来るだけでここまで来てしまったという。

それはなんだか、歪な気がした。

「努力した、という感覚ですら私にはないの」

まるで呼吸のようにただ滑ってきた。

なんだかそのままどこかに行ってしまいそうな感じがしたけれど、これはきっと儚さとも違う。

自分の中に言葉にできないしこりが残って、なんと言っていいかわからなくなる。

絵の事以外で悔しいと思ったのは久しぶりかもしれない。

「表情に出てるよ」

「そんなに」

「うん」

こうして話している時の彼女はコロコロと表情を変えている。

「顔の筋肉が動いてなくたって、心が動いてると必ず雰囲気に滲み出るものなのよ」

それを的確に言葉にできない弊害はあるけれどと付け足された。

結局この日は、その違和感がなんであるのか。

どこからやってきたものであるのか。

それを説明することができないまま日が暮れていった。

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