未完
先輩の助言を受けてからしばらく、ようやく構図を完成させることが出来た。
線画の状態と言うべきだろうか。
色付けを順番にしよう、と考えていて、ラフスケッチからどの順番に塗れば綺麗に出来上がるのかを考えている。
絵の具をつけたノートはすでにしわしわだが、どの順番で塗り起こしたのかはキッチリ記録してある。
「これでいこう」
決めれば後は早かった。
思った色が出せるかどうかではあったので、水と絵の具の割合、他の色との混ぜ込みで色の具合を様々に変えていく。
順番に塗って見ては上から色を被せて見たり、色の膨張や収縮に合わせて構図の割合を変えて見たり。
試行錯誤の連続ではあったけど、これが楽しくてしょうがない。
時折最終下校の時間を忘れて、苦笑した先輩がこちらを覗きに来ることもあった。
絵は決して見せてはいないけれども。
あれも、これも、と続けて一週間ほど経ったくらいの所で、それは完成した。
「出来た…」
その一枚は、好きなアニメのメカニックをモチーフに力強く描き上げた。
ラフから何度も何度も試行錯誤を繰り返して、ようやく出来上がった渾身の一作だ。
後から背景も付け足して、あとはやるにしても手直し程度のものだろう。
満足いったと言ってもいいくらいしっかり描きこんだ。
パレットを置いて、筆も置いて、そのまま出来上がった絵を座って見続ける。
気になるところは後になれば山ほど出てくるだろうが、今はひとまずこれでいい。
なにもこの一枚で全てを完成させる必要はないのだ。
満足いかなければ、もう一枚描けばいい。
チャンスはきっと、これからまだまだたくさんある。
時計を見れば、もうそろそろ最終下校の時間だ。
道具を順番に片付けて、ふとイーゼルとカンバスに目をやる。
まだ修正点は山ほどある。
作品と言うのは目にしてナンボだ。
批評はされないが評価もされる事はない。
これは、自分の目でも同じ事だろう。
「…うん」
だけど、学校と言う枠組みの中での自分の立ち位置を思い出す。
自分はクラス内に置いて、その立場を認められていない。
ハッキリ言ってしまえばイジメられている自覚がある。
そんなやつが後生大事にもってるものとなれば、妨害しに来られるのが目に見えている。
最悪破り捨てられるかもしれない…そんな事すら思った。
だから、作品は真っ白い布をかけてそのまま置いておく事にした。
絵の具やパレットを洗って戻ると先輩も部室を出るところだった。
「出来上がったのかい?」
「わかりますか」
「ここ数日で一番楽しそうだからね」
無理もないよ、と笑う先輩もちょっとだけ楽しそうだった。
鞄を手に、僕も部室を出る。
「無事出来上がったのならなによりだけれど、満足できたかな?」
「いいえ、全然」
「それはよかった」
はたから見ればまるで噛みあっていない会話だったが、先輩と僕の間ではこれで十分なやり取りだった。
家に戻って、部屋でラフスケッチのノートを見る。
迷いに迷い倒して結局、今回だけでノートを一冊潰してしまった。
機会はきっといっぱいある。
焦る必要はない。
失敗作だらけの一冊となったが、不思議と捨てる気にはならなかった。
また描きたいなと思う。
あんなに自由に筆を使ったのは初めてだった。
時間がかかるにしろかからないにしろ、次はもっといい作品が作れる。
根拠はないけれど、そういう自信があった。
次はどうしようかなと思った所で夕飯に呼ばれた。
階下へ降りれば父と母だけだった。
流し台にはもう妹のぶんの食器が下げられている。
「じゃあ、食べるか」
「いただきます」
今日は父が待っていてくれたようで、同時に手をあわせた。
「今日はいいことでもあったか?」
「え」
「顔に出さないようにしてても無駄だ、俺はお前の父親なんだぞ?」
そんなにわかりやすいだろうかと思っていたのも顔に出ていたらしい。
何回お前の顔を見てきたと思ってるんだ、と苦笑気味に言われた。
「確かにあったね」
「学校の事はあまり話さないのに、珍しいな」
素直に答えるとは思っていなかったのだろうか。
確かにイジメを受けてはいるし、日頃の妹の悪口と態度である程度察してはいるだろうけど。
決定的な事は、僕の口から出さないようにしていた。
「絵が出来上がったんだ」
「ほう」
父がニンマリと笑った。
「今度見せて貰ってもいいか?」
「それは嫌かなぁ…」
「どうしてか、聞いてもいいか?」
「完成したけれど、完成じゃないから」
僕の答えを聞いて、父は思案顔になった。
難しい顔で咀嚼を続けている。
「そうか」
食事を終えて、ようやく父から出てきた言葉がそれだった。
「美術品と言うものは見られてナンボってのは、理解した上での判断なのよね?」
「わかった上で、あれは完成じゃないって言えるよ」
同じく食事を終えてお茶を飲んでいた母からも質問が飛んでくる。
僕の答えも思ったよりすんなり出てきていた。
「わかった、じゃあそうだな」
父は再び思案顔になり、お茶を一口、嚥下してから言った。
「お前がどんなものを目指しているのか、見せて欲しい」
これでどうだ?と父の目が語っていた。
「わかった、じゃあ持って帰ってくるよ」
前からどんなものが描けているのか気になると言っていた父の熱意に、折れる事になった。
本当は見せたくないのだけれど、そこまで言われてはしょうがないなと思ったからだ。
でも父に見せようと思っていたその絵は、次の日には見るも無残な姿に変わり果てていた。




