自由
アイデアと方向性が固まってきたので少しだけ続きを書いてみる事にしました。
今度こそちゃんと続くかどうかも未定ですが、暖かく見守っていただければ幸いです
天才、ともてはやされる事に端を発する悩みというのは贅沢だと人は言う。
理屈はわかる。
妬み嫉みもするものだろう。
でもそれはあくまで感覚的なところでしか理解はできない。
自分にとって他人の悩みはあくまで他人事なのか、明日は我が身なのか。
その人にとってのその悩みの軽重はどれほどのものなのか。
質問は裏返って鏡写しになる。
かといって、選ばなかった選択肢について悩む暇はない。
人間の一生はそれを待てるほど長くないのだから。
窓を開け部屋の中を見渡して、もうそんな時間かとため息をつく。
まだ早朝は寒いこの時期開けっ放しにするのは気が引けるものだが。
「はぁ」
同居人はまだ目を覚まさないらしく、腹を出したまま薄着で寝ている。
正直目の毒なので控えてほしいのだけれど、昨日も夜遅くに帰ってきたようだし。
しょうがないか、と一息ついて布団をかけなおす。
バターを塗ったトーストを片手に、準備を済ませる。
「行ってくるよ」
返ってくるのは寝息だけだったけれど、それでいいとひとりで部屋を出た。
階段をトントンと降りて、ゴミ出しを済ませて。
掃除をしていた大家さんに挨拶をして、歩き出す。
ここで自分を気に留めるものはいない、と思えば自然と足は軽くなる。
逆に、目的地に近づけば近づくだけ不自然な視線が増えて足取りが重くなる。
それでも行かなくてはを気を張って、キャンパスを歩いて渡って。
校舎のひとつに入り込んで、部屋に滑り込む。
人目を気にすることはあきらめて、さっさとガジェット類を取り出してまずは一枚。
まだ足りない、と思う。
これだと思った線を引くのにまだ時間がかかっている。
「これ、嘉瀬君が?」
「噂よりはえーよ」
やんややんやと感嘆され、驚かれ、妬まれ、疎まれる。
だいたい中身のない質問か、感想だけだ。
もうひと月経とうというのに慣れた光景。
「まだだよ」
これではまだ遅い。
自分が思い描いたものを描き上げるまでに、これではまだ時間がかかる。
もっと早く、もっと正確に自分の脳裏に描いたものを描き上げるテクニックが必要だと思った。
だからこそプロではなく進学を選んだのだから。
先生が来るまでに一つ描き上げたけれど、これではまだ遅いのだ。
「ラフでこの完成度は十分かもしれないけど、十全じゃない」
時間があればもっと描けるのかもしれない。
子どもの頃にも全く同じ問題に当たった。
けれど、自分が目指したレベルはまだこれでも遠い。
「講義を始めるぞ」
今日も自分にないものを吸収したくて、他人の作品と講師の言葉に耳を傾けた。
俗にいうハブられている、という感覚はあった。
それをどうしようと思った覚えはないし、解決するつもりもない。
よくある大学生ライフを満喫するような、そんな性分じゃない。
腫れ物ではあったかもしれないが、チョークの粉をぶちこまれたり私物を使用不能に追い込まれたわけでもないのはとてもいい。
何しろ対処する手間がとられない。
順風満帆ではないが、もう一つのツテを作るという目的の割にいささか解決に対して乗り気でないのも確かだった。
だから講義が終わった後でそのまま談笑する輪には入らなかったし、講師に聞きたい事を尋ねたらさっさと帰っていた。
少なくとも昨日までは。
「ね、それどうやって描いてるの」
キャンパスの合間にあった庭園を参考に絵を描いていたら、そのように声をかけられた。
誰か、と思ったが見覚えはない。
「さあ?」
あれをやってこれをやってと言えば順序立てて説明することはできる。
出来るが、何も知らないであろう相手にイチからそれを聞かせるのも悪い気がしてとぼけてみせた。
「自分でやってるのにわかんないの」
一種の煽りにも聞こえかねないが、不思議と鈴でも転がしたような声で笑う子に敵意はないと感じた。
「二足歩行の原理とか、息をする方法とか、仔細を説明し出したら長いし聞くのも疲れるでしょ」
それと一緒と暗に込めて絵に戻る。
緑が足りないだろうか。
「そうなんだ」
聞き足りないのか、質問しない割に退こうとはしない。
横に座りこむ気配はしたけど特に邪魔でもないし、この絵も習作であまり描きこむつもりもない。
見られて問題ないものだとわりきって、そのままやりたいようにさせる事にした。
庭園がベースなのだし花も足してみた。
「見えないものが見えてるみたいに描くんだね」
そうだろうか、と思って筆を止めてはみたものの。
確かにそこにないものを描き足しているので、一種不気味には見えるかもしれない。
庭園なので植木鉢のひとつも入れてみる。
「霊媒師にでも転職してみようか」
何を思ったのか横に座っていた子は大笑いし始めたが、納得したのか説明は求められなかった。
青空の色がボケて見えるのはよろしくない、少しスペースをとろうか。
「変わってるね」
「イタコなもので」
ちらりと視線をずらしてまだ笑っている子の顔を見るものの、やっぱり見覚えはない。
ひとしきり笑って興味が満たされたのか、じゃあねとあっさり離れていった。
思えば大学でこれだけ私語を発したのも久しぶりな気はする。
悪い気はしないが、見覚えのない相手にずっと喋りかけられるというのもちょっと変な気分だった。
そこで描いた絵は宿題にされていた次の講習に提出したが、言われたものより先の事を盛ったせいか講義の前から小言をもらう羽目になったのはおつりと思うことにした。




