完成
ゆっくりと考えては色味を付け直して、全体を見直す。
ずっとそんな状態を繰り返して、ようやく満足のいくものが仕上がった。
「うん」
背もたれに体を預けて、そこから体が動かない状態だったことを思い出すかのように腹が空いているぞとがなりたてる。
「なんだ、やっと終わったのか」
志乃さんにそう声をかけられて驚いたけれど、時間をみて落ち着きを取り戻す。
「まだ夕飯には早いじゃないですか」
「馬鹿を言え、今は早朝だ」
夕闇だと思い込んでいたのは朝焼けだったようで。
疲れた顔をした志乃さんが呆れていた。
空いた窓からは冷たい空気が流れ込んでくるのだけれど、今になって身震いを覚える。
「そんなに」
「いかにも芸術家らしくなってきたじゃないか」
「そうでもありませんよ」
落ち着いて筆を置き、絵を見返す。
「志乃さん」
「なんだ」
「僕は自分に絵の才能があるなんて思ったことはない」
「ほう」
感心げにこちらを見る志乃さんは、なんだか楽しそうだった。
「と、思います」
「煮え切らないな」
「人と違うとは思ってましたが、いい事なのか悪い事なのかの判別はつきませんでした」
優越感があったわけでもなく、かと言ってずっと劣等感に苛まされていたとも思っていない。
ただただ、誰に迷惑をかけているでもない趣味を詰られなくてはならないのか。
そういう疑問がずっとつきまとっていたのは、本当だろう。
「生きてれば誰かに迷惑はかけるものだろうし、一人で生きていくのはきっと無理だろうなとは思います」
「そうだな」
志乃さんにひとりごちるように話し続けてはみるけれど。
これでいいのか、僕には未だに自信が持てないのも事実で。
「私にはわからんし、それは最後にはお前が決める事だろうが」
「が?」
「その絵が、きっとすごいんだろうって事はわかるさ」
描き終わった卒業制作の一品は、いつも描いているそれとは何の変哲もない。
それでも、志乃さんは違うのだと言う。
実らない努力に意味はないけれど、寄り道には必ず意味がある。
志乃さんは酔っぱらっていても必ずそう口にする。
「寄り道には必ず意味があるが、それをモノにできるとは限らん」
実らせたものを無駄にしたくないのならチャンスを逃すな、と言う。
いつもと違う言葉だった。
「少なくとも私は一度、その機会を逃した」
前に車で口にしていた話を思い出す。
珍しく後悔の滲んだ言葉だった。
「じゃあ、巡り合わせが良かったのかもしれませんね」
志乃さんに、改めて完成した卒業制作を見せる。
「そういう事か」
「こういう事です」
楽しそうな志乃さんは「店の仕込みに戻る」と告げて部屋を出て行ったけれど。
手伝いは不要だし卒業制作も早めに完成させたとあって、急ぎの案件もない。
どうしてか、二度寝をする気にもなれなかった。
日が昇ってから登校してすぐに職員室に赴き、出来上がったものを見せて太鼓判をもらった。
それでいいのかと聞かれたものではあるけれど、自身の中では決着のついた作品だった。
「ご機嫌ですね」
同室の後輩たちにはそんな事を言われたけれど、今日ばかりは得意な顔で胸を張っておいた。
手早く次の作品に取り掛かりたかったけれど、部屋にあったものを少しづつ片付けていく。
「先輩はどうするか決めているんですか」
「そうだね、とりあえず行き先は決まってる」
柊先輩からの仲介ではあるけれど、それでも実力を認めてもらって決めた行き先だ。
悩みは尽きないが行き先についてを安心している生徒というのはこの界隈にあっては珍しいのだろう。
「芸術なんて不確かなもので食っていこうって決めていても、なんだかな」
早くもやるべきことを済ませた自分がどれほど異色であるか、後輩の顔は物語っていた。
教える事は同時に教わる事でもあるとは誰の言葉だったか。
目の前で行き先に悩む後輩たちに、技術的な事を数える程度しか残せないのが今更になって悔しくなる。
「多分ね」
それでも、と絞り出した言葉がどんなものであったか。
勢い任せであったようにも思うし、考えをまとめながらでツギハギだったような気もする。
「二人が思うほど難しい事もしていなければ、生まれつきのモノだけでここまで来たわけじゃないよ」
絵が好きで、誰に喜んでもらう事でもなく自分が楽しいからそうしてきた。
それを天性のモノだというならそれは肯定するほかない。
「次はどんなふうにしてやろうって、ワクワクしながら描いてただけだもの」
柊先輩から言われた「次にもっといいものを」という一言を脳裏に思い描いて口にする。
そっくりそのままというのも矜持にかかわるので、噛み砕いて。
「作業じゃなくあくまで練習をしろって、そういう事なんじゃないかな」
そう口にして、破られたロボットの絵と卒業制作として提出した作品を見せる。
それは破られたモノと同じ構図でありながら、今自分が出来得る限りの技術を盛り込んで。
今日こそは完成して見せた、同じロボットの絵だった。
「次はもっと上手く描いて見せるよ、いつかきっとね」
根拠のない自信だけど、確信をもって口にする。
もう一度このロボットの絵を描き上げた時、自分の絵を二人の目に留めてみせると自分を縛る行為でもあったけれど。
それが、楽しみでしょうがない自分もいた。




