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ヲタクなんてそんなもんだ  作者: PON
中学生時代[一年生]
10/115

時間

暖かい時期に入ってくると日中は眠くなる。

春眠暁を覚えずなんてよく言うものだけれども。


授業はキッチリ受けて、いつものように渡り廊下を通り、特殊教室棟へ入り、

さらにその人気のない隅に向けて歩く。

南京錠がかかっていないのを確認して、ガラリと扉を開く。

先輩はいつものように本を読んでいるようだ。

小さくこんにちはと口にすると、視線は本から外さないままサッと手だけを上げて応えてくれる。

これで十分だ、特に連絡事項もなにもない。

そのまま資料棚の向こうへとスルリと抜けて、誰もいない教室のうしろ半分へ。

ごちゃっとした一角を抜けた奥にイーゼルとカンバス、ある程度掃除した机と椅子がいくつか。

そこに鞄を置いて、いつものようにカンバスの前へ。

あれでもないこれでもないと書きとめたラフをノート一杯に詰めていて、日が暮れる事もある。

新しいラフスケッチを描いてはこれじゃないと思ってやっぱりやめた、という徒労もある。

でも僕にとってこれは必要な作業であったし、何より贅沢な時間だった。

ラフスケッチに色を着けることもある。

だけど、こうじゃないなと思ったらやり直す。

別のカンバスに張った画用紙に水彩絵の具で描くことも多い。

でも、描きかけてはやめることもある。

色は問題ないけど、描きたいものがこうじゃないと思う事もある。

文章の推敲というべきだろうか。

プレゼントの箱を前にどうやって開くかから考えるような、そんな感じ。

うんうんと唸っているのに、内心それが楽しくて仕方がない。

そうやって日が沈むまでの時間を一人で楽しんでは、先輩に声をかけられる。

そんな日がしばらく続いた。


「うんうん唸ってばかりなのに、実に楽しそうだね」

ある時カンバスのもとへ行こうとする僕を呼びとめて、先輩はそう評した。

「すみません、うるさかったですか?」

「言うほどでもないよ、心配ない。けど、最終下校で声をかける度に唸ってるからね」

苦笑とも取れるような、そんな興味深さを隠そうとしない笑み。

アルカイックスマイルのような先輩のいつもの表情。

相好を崩してリラックスしていることは、伝わってきた。

「考えているうちが楽しいんです」

「出来上がるのがもったいないかい?」

「そう思っちゃうくらいには」

どうしてなのかは自覚があったから返事はスルリと出てきた。

「そうか、じゃあひとつだけ」

先輩はこちらに向けて座りなおし本をたたむと、人差し指をたてた。

「これが最後じゃない、出来上がってなくてもいいって事を覚えておいてくれ」

偉そうに言えたものではないかもしれないが、とも言う。

「考えている時間は筆をとることが出来ない、ということさ」

それだけ口にすると先輩は読書に戻った。

どういう事なのかなと思ってその場で思案する。

不思議と腹立たしさはなかった。

この人は自分で描く事には興味がない。

およそ鑑賞専門で、作る側にはいない。

だけど、語りかけられる内容についても無駄がなかった。

嘘も真もない、それでいて答えを直接示す事もない。

まるで授業のように。

あるいは先生のように語り掛けてくる。

先日吐き捨てたような嫌味もない。

心配するような響きもない。

いつもこの人は「こう口にすればわかるだろう?」という問い掛けをする。

決まってその後私の悪い癖だなと自嘲もするが。

それはさておき、イーゼルとカンバスをもらってからずっと、ここで悩むことが楽しくてしょうがなかった。

だからきっと、いいものが出来上がるに違いない。

そういう想いでラフを書いていた。

でも、先輩はそうじゃない、と言ったのだ。

カンバスの前にいつものように座る。

ラフスケッチを見る。

筆も水も絵の具も、自然とすぐ手が伸びた。


聞き覚えのある音楽で、筆が止まる。

「あっ」

最終下校の時間だ。

帰らなくてはならないが、持って帰るのもはばかられる。

持ち歩いている最中に妨害を受けて、この作品が台無しになることは避けたい。

ボールをぶつけられた思い出を振り返り、頭をさする。

半ば被害妄想だろう。

そういう自覚もあったけれど、僕の中では持ち帰るのもリスキーだった。

「そっか」

先輩から言われた事を思い出す。

あれは()()()()意味でもあったのか、と唐突に理解が広がった。

筆とパレットを置く。

完成にはほど遠いものの、片付けをはじめた。

「もういいのかい?」

いつの間にかこちらに顔をだしていた先輩が、楽しそうに見ていた。

「はい」

「それはどうしてか、聞いてもいいかい?」

迷いなく応えたのが意外だったのか、それとももうちょっと悩むと思っていたのか、先輩が笑みを深めた。

先日と同じ、悪戯に成功したような笑いかた。

「描きたいものは、最初からここにありましたから」

そう返事をすると、先輩は満足そうな顔で頭をひっこめた。

イーゼルと絵をそのままにして、教室の外へ。

「宗司君は、実にいい生徒だね」

「そうですか?」

「そうですとも」

うまく汲み取れた自信はない。

けれど、それはきっとあの絵が完成度が物語るんじゃないだろうか。

そんな予感がした。

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