ビオトープに住む妖精
星屑による星屑のような童話。お読みくださるとうれしいです。
ひだまり童話館 第12回企画「ピカピカな話」参加作品。
広い小学校の校庭に、落ち葉が積もる――。
秋も終わりの日のことだった。
つい先日まで、児童たちの目を楽しませてくれた、樹々の紅葉。
それが今ではすべて風で飛ばされてしまい、校庭は赤いじゅうたんを敷きつめたように真っ赤な葉っぱで埋めつくされていた。
葉っぱを無くした樹々が、まるで巨人が地面に突きさしたフォークのようにも見える。
そんな、放課後の時間。
校舎の中のヒンヤリとした空気の中を、5年生女子の加奈子がバタバタと大きな足音を立てながら、突き進んでいた。
「あーっ、いっけねえ。忘れ物しちゃった!」
校舎全体にひびくほどのすっとん狂な声を出した加奈子が、下校時間前の誰もいない五年二組の教室へとかけ込んだ。
ピンクのトレーナーと、青いデニムパンツ。最近の、加奈子のお気に入りの服装だ。
窓から射しこんだ陽の光が、トレーナーの胸の部分を照らし出す。
そこにあったのは、おいしそうに笹の葉をほおばる一頭のパンダの絵だった。まるで、どこかの中華料理屋さんの看板のよう。
「算数のノートをカバンに入れて、すぐに帰ろうっと」
加奈子が、後ろから三番め、左から二番目の机に近づいていく。
それが、加奈子が使っている机だからだ。
クラスの中で、一番イタズラ書きが多く一番汚れた机をさがしても、たぶん同じ机になるだろう。緑カビの生えたコッペパンが、ぎゅっと中につまっていそうな感じ。
――でも実は、もっと簡単に加奈子の机をさがせる方法がある。それは、机と椅子が一番はなれているものをさがすことだった。
授業が終わるとすぐ、加奈子は決まって、一目散に教室を飛び出していく。
だから、机と椅子がまるでケンカでもしたかのようにはなればなれとなっていても、お構いなしだ。さすが、“女バンチョー”と六年生の男子から一目置かれているだけのことはある。
ところがそんな加奈子も、教室の床でつまづくことはある。
急いでいたせいだろう――左足のつま先でブレーキのかかった体が前につんのめり、一番後ろの列にあった二つの机をガランガランと音を立てて道連れにしながら、加奈子は教室の床にたおれこんだ。
「イテテテッ、チックショウ……」
しばらくの間、うずくまってうめいていた加奈子が、痛めた腕と膝をさすりながらやっとのことで立ち上がった、そのときだった。
加奈子の他に誰もいないはずの教室に、聞き覚えのない子どもの声が、ひびいたのだ。
「今、ぼくを呼んだ? 呼んだよね?」
思わず、声の方にふり向いた加奈子。
そこにいたのは、見たこともない、幼稚園児くらいの小さな男の子だった。
黒いトンガリ帽子に青いポンチョのような服を身に着けた、男の子。
ニンマリと笑いながら、ふわりと空中にうかんでいる。自分のぶざまな姿を見られたと思った加奈子は、急に顔を真っ赤にして、男の子をにらみつけた。
「フン……あたしがあんたを呼んだって?」
「うん、呼んだよ」
「そんな憶えはないけど……。それより、あんた誰?」
「えっ、ぼく? ぼくはね……ビオトープの妖精、エレムだよ。よろしくね!」
まん丸い目をクリクリさせ、クスクス笑いをする幼稚園児。
加奈子は、その子の様子に、なぜだか無性に腹が立った。
「ヨウセイ? あんたが? ……っていうか、“びおとーぷ”って何さ」
「えーっ、理科の授業でやったはずだよ! ほら、学校の中に小さな林があって、そこに小さな川と池があるでしょ? それが……」
「ああ、あの葉っぱと泥で埋もれた、きったない池の事か? へん、それが何なんだよ」
いつもそうやってクラスの男子たちをふるえあがらせているように、加奈子はとびきりとんがった言い方でつっかかる。
するとエレムは、やれやれと顔を左右に振って、
「せっかくこんなにかわいい妖精が出てきたというのに、もう少しやさしく言えないものかな? ……まあ、いいや。でも確かにキミは、ぼくを呼んだんです」
と、ため息まじりに言った。
「ぜんっぜん、わかんないわ」
「ほら、机を二つひっくり返して、チックショウ、と言ったでしょう? あれがね、ぼくを呼び出すおまじないなんですよ」
「……。ややこしいおまじないだね。それに、ものすごくウソくさい」
「……。とにかくキミは、ぼくを呼び出したんです。責任は取ってまらいますからね」
「せ、せきにん?」
責任という言葉に加奈子がどぎまぎしているそのすきに、妖精が言い放つ。
「よし、もういいね。じゃあ、行くよ!」
「は? 行くって、どこへ? ちょっと……どこなんだよ?」
「そんなの、ビオトープに決まってるじゃない」
意味も分からずにあたふたとする加奈子を無視し、エレムは右手の人差し指を空中に突き出して、輪を描くように、くりくりっとまわした。
「うわあ、いったいどういうことなんだあ」
加奈子の叫び声だけを残し、透明になった二人は教室から消えた。
☆
二人が教室から消えた、ほんの一瞬のあとだった。
学校の敷地の中にある、教室一つ分くらいの大きさのビオトープに、加奈子とエレムが現れた。
ちなみに、まだ加奈子が分かっていないようなので説明すると、ビオトープっていうのは、人の手で作った小さな自然のこと。池や川や林の中で、昆虫や植物などを観察する場所なんだけど――。
「で、どうして掃除なんだ?」
トレーナーの袖とデニムの裾を盛大にまくった加奈子は、しきりに文句を言いながらも、ビオトープの池にたまった枯れ葉と泥をスコップですくいあげていた。
作業の合間合間に、自分がたまたま呼び出してしまったらしい妖精をうらめしい目付きで見つめる、加奈子。その目は、いずれまたやって来るであろう冬の朝に見かける、通学路の水たまりに張る氷のように、冷たかった。
冬目前のビオトープには、昆虫一匹たりとも、見当たらない。
そればかりか、赤や黄の枯れ葉で水路をふさがれた池の水はどろどろに濁っていて、ひどく腐ったような臭いまでする。
加奈子が時折見せる苦しそうな表情とは裏腹に、トレーナーの上のパンダちゃんは泥水のはね返りでできた茶色いひげを生やして、楽しそうに笑っていた。
「つべこべ言わない! ぼくはきれい好きなので、池の底がピカピカになるまで、お掃除をお願いしますね。
それに……ここがちゃんときれいにならない限り、ぼくは元の妖精が住む空間に戻れないんだ。ぼくがずっといてもいいの? 一生、このままキミにまとわりつくよ?」
エレムは、音もなく瞬間移動して加奈子の頭の上にちょこんとのっかると、にやりと笑いながらそう言った。
加奈子が、いまいましげに頭の上をにらむ。
「フン……。だったら、あんたが掃除すれば?」
「ぼくは妖精だもの。掃除なんてできないよ。それに、人間がするから意味があるのさ」
「また、ウソくさいこと言ってる……。まあ、いいや。とにかく、ここがきれいになったら、本当に私の前から消えてくれるんだろうね?」
「もちろんさ! それにしても、このビオトープに住むのは楽しみだよ。春になったらきれいな花が咲き、夏になったらトンボや小鳥が宙を舞う……。ああ、何てすてきな生活なんだ」
「人の頭の上で、何をわけのわかんないこと言ってんだ、チキショー!」
口を開けば、ぶつぶつと文句ばかりの加奈子。
それでも、額からポタポタと汗をたらし、せっせと枯れ葉と泥をすくう。
お日様も、だいぶ西に傾いた頃。
ようやく池の水面もすべて現れ、池の水も透明に近づいてくる。「やれやれ、あともう少しだ」と加奈子がつぶやいたとき、横のほうから男子の声がした。
「おい、見ろよ。バンチョーだぜ。アハハ、あいつ何やってんだ?」
三人の六年生男子が、指を差して笑った。
負けじと、加奈子が泥だらけの顔で、男子に言い返す。
「見りゃあ、わかるだろ? 掃除だよ、掃除。この頭の上のヤツに言われてさ……」
「頭の上のヤツ? そんなのいないじゃないか。あいつ、頭までおかしくなったのか?」
「きっと、そうだよ。こわいこわい。あいつなんて放っておいて、帰ろうぜ」
「そうだな。じゃあ、帰ってゲームでもやるか?」
「おう。やろう、やろう!」
ゲラゲラと笑いながら去っていく男の子たちを、加奈子は歯ぎしりして見送った。
「あんた、ほかのヤツに見えないのか?」
「見えませんよ。呼び出した人、以外はね。言ってませんでした?」
「言ってない」
苦い顔の加奈子に、ケロリとした顔で答えたエレム。
急に何かに気付いたように、はっとしてあたりを見回した。
「あ、もうだいぶきれいになりましたね。これなら、なんとか妖精の世界に戻れそうです。じゃあ、また会いましょう!」
そうまくしたてたエレムは、スコップを手に口をあんぐりと開けたままの加奈子に向かって楽しそうに手をふり、あっけなく消えていった。
「お、おい、ちょっと! お礼の言葉もないのかよ。くっそー、もう二度と出てくるな!」
ビオトープに一人残された加奈子が、スコップを上に突き上げ、泥だらけの顔で空に向かってひと吠えした。
パンダちゃんも、すっかり泥まみれ。姿は見えない。
その代わり、夕暮れの空にぽつんと一つだけ、星がまたたいているのが見えた。
☆
あれから、一週間がすぎた。
給食後の昼休みの時間。加奈子は、ビオトープの前に立っていた。
というのも昨日、強い雨とともにかなりの風が吹いたので、ビオトープの様子が気になったからだった。
ビオトープに着くなり、大きなため息をついた加奈子。
思ったとおり、この前あれほどきれいにしたビオトープが、たくさんの葉っぱで埋もれてしまっている。
「あーあ、また池が埋もれてしまったね……。まあ、そのうちにきれいにしてやるからさ、しばらくはそこで元気にやってくれよ、エレムさん」
加奈子が、目を細めながらつぶやく。
と、どこからか聞き覚えのある声がした。寒気がするほどの、イヤな予感がする。
「ぼくは、ビオトープの妖精、エレム。あなたは、ぼくを呼び出しました。目を細めて『元気にやってくれよ』と言うのが、ぼくを呼び出すおまじないで……」
ニヤニヤと、いつか見たあの笑いを浮かべながら、エレムがふんわりとうかんでいる。
加奈子の背中が、カチンと凍りついた。
「だああ。また、あんたかよ。もう掃除なんて二度としないからな!」
逃げるようにその場から走り出した、加奈子。
エレムは、ちょちょいと人差指を回して瞬間移動し、加奈子を追いかける。
――加奈子とエレムのおつきあいは、まだまだ、続きそうだ。
―おわり―
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