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第三話

 で、辿り着いた社長室。

 八階建ての持ちビルの最上階が社長室がある階で、私は階段で一気に上がった。うん、運動不足だった。息切れが激しすぎて、なかなかドアが開けられなかったけど、でもそのお陰で社長になにを言えばいいかを考える余裕が一応できた。

 大きく深呼吸して、ドアをノックして開いたそこには重厚なデスクに座る社長こと父の兄、あらた伯父さんがいた。社長室なんだから、当たり前だけど。

「おや、望月さん。どうかしたのかな?」

 にこやかな笑顔でそう言った新伯父さんは、ロマンスグレーなナイスミドルだ。うん自慢の伯父さんの一人です。

 普段はミチルちゃんて呼んでるけど、会社ではこうやって苗字での呼びかけをしてくれるんだ。使い分けってやつかな。でもそういう公私をきっちり分けるところはすっごく尊敬してるんだ。

 そんな伯父さんに、私はこう呼びかけた。

「社長、いえ新伯父さん。私、辞めたいんです」

 てね。うん。直球すぎたかもしれないけど、仕方ないよね。堪り兼ねた鬱憤が出ちゃったんだもん。でも私がそう言ったら、伯父さんは顔色を変えて、ちょっと慌て出した。

「辞める? 辞めるって、どうしたんだい一体」

「もう! もう私、耐えられないんです!」

 半ば泣きそうになりながら、私は三ヶ月前からたった今さっきまでの状況を洗いざらい伯父さんに言い募った。正直先生に告げ口するいじめられっ子みたいな状態だったけど、でも本気で切羽詰まってたんだもん。

 そんな風にして、私が話続けると、伯父さんはコクリと頷いて許可をくれた。社長権限をフルに使って、独断と偏見で退社手続きをしてくれたのだ。ていっても、実際にそれをしてくれたのは、伯父さんの秘書の松山さんだけどね。

 まあ、誰がしてくれたかとかはそんなに関係ないよね。重要なのは、その日のうちにトントン拍子で退社が決定したこと。その方がよっぽど重要だよね。うん。そう、私は伯父さんに申し出たその日のうちに辞めることができたのだ。

 三つ揃いのスーツを難なく着こなす伯父さんは、小さい頃から私のことを知っていて、かなり可愛がられていた自覚が私にはあった。だから多少のワガママは聞いてもらえるだろうっていう打算もあった。それに伯父さんは、私と同じように私の父に、母に対していろいろと思うところがある人でもあったのだ。だから、かなり──そう、ホントにかなり融通を効かせて貰えたのだと思う。それはこの会社への入社しかり、この唐突な退職の申し出についてもね。

 伯父さんは一ヶ月前申告っていう義務を怠った私の、どう考えても社会人らしからぬ申し出をあっさり快諾してくれたお陰で私は退社できたというわけです。

 ホント伯父さんに感謝しかないね。

 高校卒業時に、就職が決まらなかった私に縁故入社を持ちかけてくれたことも、遠慮したけど縁故入社を断らなかった自分も正解だった──なんてこの時初めて思ったくらい。

 それが今から半年前のこと。

 そんな人様には些細すぎる理由で会社を辞めたことを誰かに話したら、どうしてそんなもったいないことするんだとか言われそうだけど、仕方ない。そうしなくちゃ耐えられないくらいに私が結婚も、それに繋がる恋愛も嫌いで堪らないんだから。

 そんな風に私が思ってしまうのは何故か。それは私を取り巻く生活環境が特殊すぎることが原因だとしかやっぱり言えない。

 ここで私の家族構成を少しばかり詳しく話すと、私は父と母と私の三人家族である。ちょっと裕福ではあるけど、少しばかり変わった家庭環境だったんだ。

 起業して社長になった母は冒険心と、自立心とが旺盛な働き盛りの女社長として何度か雑誌に取り上げられたこともあるくらいの女傑。それはいいんだ。そんな風に遣り手な母は自慢ではあるしね。

 だけどね、常々思ってた。母には克己心てやつをを持ってもらいたいと。それを今言ったところで遅いのはわかってるんだけど、でも今からでも持ってもらいたいと切望してしまうのが人情なのだろうね。

 私が母にそうまで思ってしまう理由は、私が生まれる少し前に遡ることになる。

 ちなみに両親の結婚記念日は、私の誕生日と半年しか離れていない。それは今ではおかしくない、デキ婚とか授かり婚とか言われるアレだからなのだろう。けれど私は知ってるのだ。授かる前に、父と母とが恋人同士だったことはなかったのだ──と。

 なんでも父と母は大学の先輩後輩で、同じ明治文豪愛好家サークルだったらしい。女傑な母はアクティビティ好きな人で、未だにロッククライミングとかに出かけたりもする。そんな人なのになぜ文科系サークルだったのかは、どうやらそこに父がいたかららしい。けど、ホントのところはよく知らない。だって父も母もそこのところは言葉を濁しちゃうしね。

 まあ、とりあえず二人は同じサークルの先輩後輩であったということ。そしてよくある大学のサークル行事として、飲み会とかも多々あって、そこで何度か会ったことがあるらしい。そんな酒の上での過ちという形で、二人は男女の関係になったそうだ。

 それが母が大学を卒業する少し前のこと。ちなみに父の方が母より一学年下だ。

 絶賛就職活動真っ最中だった母は、そのたった一夜の出来事で上手いこと私ができたことがわかって一切の就職活動を止めた。男前すぎるけれど、それをいいキッカケだと思って、前々からの夢を実行しようとしたのだとか。

 そうして母は卒業前に起業した。就職活動を止めてから僅か一ヶ月でそれを実現できる母は、ホントに男前にもほどがあるとは思う。けど、それが当たりに当たって、今や押しも押されもせぬ一流下着メーカーの女社長様になっているのだから、就職活動をしなくて正解だったのだろうね。

 そんな男前な母と男女の関係になった父というのが、これまた変わった男である。

 実の父を貶すわけではないが、そう言わざる得ない。だって正直父はヒモかと思うくらい、私は彼が仕事をする姿を見たことがないのだから、それも仕方ないことだよね。

 父は母がオーナーを勤める新宿のバーの店長と、売れない文筆業をしている。うん、コアなファンはいるらしいけど、私は一冊も読んだことないから、内容は知らない。純文学ってやつらしいけど、それがどんなジャンルかもわかってないしね。

 そうやって文筆業をしているところは見たことないけど、バーで働いているところ自体は一応見たことはあるんだ。でもアレは道楽と言っていい程度の仕事量でしかないと思う。働き盛りの男の仕事とは思えないし、今日日高校生のアルバイトでももっと精力的に仕事してると思うもん。実際高校生の時の私より、ウチの父は仕事をしてないと思う。うん、我が父ながらどう考えてもヒモとしか思えないわ。

 そんな父は、ヘテロかゲイかと言えば、後者である。しかも本人曰くバリネコらしい。娘にそんなカミングアウトして欲しくないけど、小学生の時に教えられてしまった上、伯父や母からもしっかり聞いていたのでこれは事実である。

 多感な少女時代に無駄な知識をつけてくれちゃったそんな父は、いわゆるゲイと呼ばれる性癖を持っている。まあ、そんな性癖を持ってても違和感ないくらいに年齢不詳で綺麗系な容姿をしてるとは思うけど、やっぱりそれを娘である私に教えてくれなくてもよかったよね。

 まあ、私自身それ自体に偏見はないし、ヒモのような父ではあるけれど、女は母以外に興味を持たないと言い切ってくれるところは尊敬してもいいとは思っている。けど、そんな父は当時の母が私を身籠っていることを知らなかった。母は確信犯的に父に告げなかったのだ。

 理由は明確で、母は父のことを憎からず──というか、独り占めしたいくらいには好きだったから父を手に入れたかったのだそうだ。が、本人からゲイであることを教えられていた。母以外の周囲の殆どの人はそれを知らなかったらしいが、母だけは父が自分に振り向くことがないことをしっかりと理解していた。けれどそれでも父を諦められず、心は無理でも法的な形で自分のものにしようと画策したのだ。

 我が母ながら、そんな選択を実行できるなんて思い切りが良すぎると思う。しかもそれを成功させたのだから、ホントに才覚というものが母には備わっていたのだろうね。はた迷惑なものかもしれないけどね。

 でも母は、どうしても父を手に入れたいと思って、事前情報をそれはもう上手く活用したと言っていた。欲しいものがあるのなら、最大限できる努力をして、それでも手に入れられなかったら、ちょっとくらい汚い手も厭っちゃダメよ、なんて小学生に教えるような母ですからね。うん、そんな経験談聞きたくなかったよ?

 そんな母の策略に見事に引っかかってしまった父は、どうやら家族運があまりよろしくない環境で育ったらしく、人の命を粗末に扱うことをひどく嫌がる人なのだ。それを娘の私はもちろん、当時の母も知っていた。そして母に言ったことがあったそうだ。「自分には無理だが、子どもには二親が揃っている方がいい」と。

 母はそうして聞いて知ったそれらを逆手にとって、堕胎をすると戸籍に載るという三ヶ月目まで私を身籠ったことを黙っていた。戸籍に載るということは、お腹の胎児は人として扱われる。法的に自分の子が、死んだと戸籍に載ることに父が耐えられないと踏んだのだ。

 父は文筆業をしているからなのか、それとも元々の気質なのかはわからないけど神経がかなり細やかなところがある。ホントに目標の弱点を突く、素晴らしく的確な行動を母はとったのだ。脅迫とも取れるそんな材料にされた、お腹にいた私にもそれは正直非道な行為だとしか思えないけど、まあ実際に産んでもらえてるんだからそのことを責める気は一応ない。ないことはないけど、でもやっぱり克己心は持ってもらいたいよねえ……。

 私が生まれている結果から明白だけど、父は母のその計画に逆らえなかった。

 例え自分の子と明確に載るわけでなくとも、父の心の中には子どもを殺してしまったという罪悪感がついて回ることになる。多分一生苛まれることになる。それに耐えられる父ではないから、きっと子どもを殺さないために絶対に自分と結婚するだろう。なんて確信の元に母は行動し、そしてその賭けに勝ったわけだ。だから二人は夫婦となり、そして私は生まれた。

 そんな詳細を私が聞いたのは、物心ついた頃。

 それ以来何度か父からも、母からも聞かされた。

 私が生まれるに至ったその経緯だとか、生まれた時にはそれはもう嬉しかっただとか、結婚できなかったとしてもちゃんと産んでいたとかね。まあ、子どもながらその話を聞いて、父をバカだと思ったし、母もおかしいと思った。けど、それだけ父のことを好きなのなら仕方ないのかとも思っていた。自分は望まれて生まれてきたのだと、ある意味では思えたから。

 でもさ、今だから言えるけどこれって情操教育にならないと思うんだよね。事実私は結婚に夢も希望もなくなっちゃってるし……て、それは別に構わないんだけど。ある一定の年まではちゃんと両親に愛があるんだって思えてたんだから、まだ幸せなんだろうし。

 そう、今、父と母の間には『家族愛』に似たものしか存在しないと私は知っている。

 もしかしたらそれもかなり希薄なものなのかもしれないけど、それでも他人ではないだろう程度に情があるはず。それが私という存在がいるからだと思いたいところだけど、でもそうじゃないことも私は知っている。

 両親は、私がいるから婚姻関係を続けているんじゃなくて、外聞のために継続しているのだと。

 女傑な母とバリネコという父。性癖というところではかなり隔たりがある二人が、私が授かったことで結婚した。でも、結婚したことで父は女性から言い寄られることがなくなり、そして社会的に隠れ蓑を手に入れることができるようになった。たぶん母はそこまで計算していたんだろうね。だから父の中に自分に対する愛情がなくなっても別れることを選ばないと踏んでいたんだ。

 でも離婚しなかっただけで、家庭は壊れたと言っていいと思う。

 だって私が中学に上がった頃、父は私の父であることを放棄はしなかったけど、夫であることは放棄した。母ではない──それも女性ではない男の恋人を作ったんだ。そしてそれを母は容認した。

 それは浮気であると父が言い切ったから、というのが表向きの理由だけど、その実私は知っている。そうして父を繋ぎとめようとしている母にも、実は父以外に相手がいるのだ、ということを。

 父にも、母にも結婚相手以外に相手がいながら、対外的に不利になるからと離婚を選ばない。生まれる前の私をダシにした執着も、たぶんきっともうないのだろう。それなのに離婚もせず、私の前で取り繕うこともしない二人に、それまでぼんやり結婚は無理だなと思ってた私は、いっそう結婚にも、恋にも、愛にも夢も希望も持てなくなった。

 だって誰かに恋しても、誰かを愛しても、その果てに結婚してもいつかは絶対に覚めてしまうんでしょう?

 なら初めから恋なんてしなければいい。誰も特別に愛さなければいい。

 二親揃ってても、幸せなことがあったとしても、私みたいに希望を持てない子供を増やすことになるなら一人でいる方がずっといい。そう思って一人で生きていけるようになろうとしていた。

 それに気づいた中学生時代から、毎月欠かさず老後のための貯金もしていたし、キチンとした企業に就職だってしたはずだった。順風満帆とは言えないけれど、それなりに『お一人さま』な未来に向かって邁進していると思っていたんだ。

 けど退職しちゃったことでそれもご破算になった。

 まだ若いんだし、就職先を探そうと思えば探せるかもしれないけど、でもこれまでと同じ条件でなんて絶対無理なことはわかってる。だって同じ条件の就職先を探すにも、私には本当に使える資格なんて一つもないんだから。再就職なんてできるわけないんだ。

 どうしてそのことに、あの時気づかなかった──なんて後悔をしないわけじゃないけど、でも辞められたことは幸いなことなんだ。だってホントに耐えられる限界超えてたからね。

 そう、辞めちゃったことはもう問題じゃないんだ。目下の問題は再就職なの。

 これと言った資格どころか、履歴書に書ける立派な経歴なんてものもなに一つない。そんな私に再就職はどう考えても難しくて、老後の資金を崩さぬように細々とバイトをするくらいしかできなくなった。いっそ夜の仕事にでも行けばいいのかもしれないけど、男の人相手に愛想を振りまく気にはとんとなれなくて、選べなかった。

 そんな私が血迷ったのは、中々長期の仕事が決まらなくて、貯蓄を食い潰し始めた頃。

 私は、『一人暮らししたい』とか『でもフリーターの月収じゃ手取りが少なすぎてそれもできない』とか『いっそ誰かと結婚しちゃいたい』とか『でも恋も愛もいらないから、ただ私を養ってくれる人が欲しい!』なんてことを久々に電話をくれた叔母に言っていた。

 ちなみにこれと似たようなことは中学の頃から言ってたりする。うん、どうやら私はあんまり成長してないみたいだね……。でも仕方ない。そう思っちゃうくらいに、この時の私は切羽詰まってたからね。半ば発作的に母の三つ下の妹である千鶴叔母さんにそれを愚痴ったというわけ。

 それはいつも冗談めかして言ってたことではあるけれど、あの時はそれまでとちょっと違って、かなり本気めいてた。や、本気は本気なんだけど、できないっていうか、しないってわかってて愚痴ったんだけどね。だって結婚したいと本気では思ってなかったから。

 正直私が一生に稼げるお金なんてたかが知れてる。だから養ってくれるだけの『旦那さま(・・・・)』という名目だけの人が欲しいとは思ってたのは確か。けど、父にとっての母みたいな相手なんてそこら辺に転がってるわけもなくて、ただの戯言的なものでしかなかったんだ。私の中ではね。そうやって誰かに、こんな風に思っちゃうくらいに大変なんだよ──って言ってスッキリしたかったんだもん。実際その時はそれで満足できたし、ある意味よかったんだ。

 それもこれも叔母さんが聞き上手だからだろう。

 あの時の叔母さんも電話口で笑ってた。

 だから「結婚に興味も夢もないけど、養ってくれる人が欲しい」なんていう、正直他力本願すぎる私の言葉をいつも通りに聞き流してくれていると思ってた。

 だけどそれからしばらく経った、半年かな? 経ったつい二日前。叔母さんから爆弾発言がきた。

『ミチルちゃん、良かったら明後日にお見合いしない?』って。

 千鶴さんのお家でやるからそんなに堅苦しいものでもないし、相手は叔母さんの旦那さんの部下になるからそりゃもう真面目な人だとも言ってた。

 年は私のちょうど10歳上で「真面目なイケメンよ」ともね。

 ちなみに叔母さんは韓流アイドルが好きなので、私とは好みのイケメンが違うんだよね。て、そんなことはどうでもいいことなんだ。私が考えなきゃいけないのは、いかにして叔母から持ちかけられたこのお見合いを回避、もしくはお断りするか、だから。

 けど相手は千鶴さんだ。相当に難しい任務であることを悟らないわけにはいかない。

 女傑な母の妹だからなのかな、千鶴さんはポヤポヤして見えるけど、その実押しが強いのだ。そんなところも憧れるところだけど、それが自分に向いてるとなると話は別。正直そんな千鶴さんに逆らえる気が全くしないけど、でも結婚したいなんて微塵も思ってないんだ。絶対断るんだから! なんて思っていた時期が私にもありました……。

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