アロッサ
「ハリーだかアリーだか知らんが、ここにはそんな者はおらんと何度言えばわかる」
室内に苛立つ若い男の声が響いていた。
アヴァロニアとロズエリアの国境の街アロッサは規模自体はそれほど大きな街ではないのだが、ここには国境警備隊の運用する監理局が置かれている。
カイル達は昼前に着いて、この建物に間借りしているギルドにタルムでは仮登録しかできなかったパーティー申請をしたついでにカイルの旧友であるハリーに会おうと警備隊を訪ねたのだが取りつく島もない。旅に出るまでに手紙でやり取りをしているし、まだ異動の時期でもないので在籍していないはずがないのだが……。
「大体、警備隊の者が貴様みたいなハンターなんぞと知り合いなわけがなかろうが。わかったらとっとと帰れ! どうせ貴様らは大した手続きも不要なのだからここに用はないだろう」
「ハンターなんぞ」とは酷い言われようだとも思ったが、如何せんハンターにはならず者のようなのが多いので反論のしようがない。それ故に一応軍関係の退職者もハンターとなることが多いのだが、現役の軍属の者には嫌われることが多い。
またそういう事情を知っていてもハンターへの偏見と同じくらいに軍からの逃亡者くらいの勢いで嫌悪する者がいてどちらにしろ良い印象ではないのだろう。
「いや、ハリーに久々に会いたいだけなんだけど」
「知らん知らん。そのハリーとやらはここにはおらん。諦めて帰れ」
エミリアが眉間に皺を寄せているのを横目でチラ見しながら流石にそろそろ潮時だろうと溜め息をついてエミリアに「例の手紙を」と声を掛けて手を出すと腰のポーチから封書を取り出す。
「それじゃあ手紙を置いていくからハリー……らしい人物に会ったら渡してくれないか?」
「手紙だと? そんな怪しいもんほいほい渡せる訳がなかろう。妙な魔術でも仕込まれてて開けたらドカンとかシャレにならん」
「聞いていれば――」
「いいんだ、エミリア。ペーパーナイフとかはあったりする?」
とうとう堪忍袋の緒が切れて目の前の男性隊員に食って掛かろうとするエミリアを宥めながら尋ねるとムスッとしながらまた別のポーチからナイフを取り出す。
カイルが受け取り薄く小さな刃のナイフを鞘から抜くと男性隊員が一瞬身構えたが気にせず素早くカウンターに乗せてあった封書の封を切ると慌てだす。
「おい、それは大事な手紙じゃないのか?」
「このままじゃ信用ならないって言うから――」
中身を出して書面を広げ、封筒の中も広げて見せてから相手の胸に押し付ける。
「――これなら何かを仕掛けることもできないだろ。これで問題ないな」
まだもごもごと何事かを言っていたが彼も流石にそれで拒絶できずに受け取ってしまう。
「取り敢えず明日の昼頃に越境の予定だから、それまではコラルに駐留していると気が向いたら伝えといてくれ」
答える間もなくそう言うとさっさとカイルが出ていってしまう。エミリアも一睨みしてカイルの後を追っていくのを見ながら「こんなもんどう言って隊長に渡すんだよ」とぼやく隊員だけが一人取り残されてた。
重く大きな木製の扉を開けて外へ出ると今までいた屋内の静けさが嘘のような活気に満ちた喧騒に包まれる。丁度昼時のためほとんどが旅人だがそれでもタルムの倍くらいの人が往き来しているようだ。視線を落とすと日陰になっている玄関脇に座るマリィが上目使いに声を掛けてくる。
「ご主人てば信用ないのにゃ」
「聞こえてたのかよ」
「猫と犬の獣人の血を引くマリィの耳を侮ってもらっては困るにゃ」
マリィは常人に比べその血によって五感が鋭い。また小柄な体躯からは分かりにくいが巨人の血も混ざってるため並みの男では敵わない。
「それにしてもあのような者が国境警備など果たせるのでしょうか? いくらアヴァロニアとロズエリアが友好関係にあるとはいえ不安になります」
「ん?」
「ですから、あのような横柄な物言いでは避けられる諍いをわざわざ招くようなものではありませんか」
どうやら相当腹に据えかねているらしく普段なら考えられないくらいに声が大きくなっている。
「ハンターにゃんてその程度にしか見られてにゃいから仕方ないにゃ。しかもそのハンターが自分より仕立ての良い服着て、美女を侍らせてるとか腹立つに決まってるのにゃ」
「美女かどうかはともかく。だからと言って、あのような態度が許される道理はありません」
「まあもう会うこともないだろうし、忘れようじゃない。それよりお昼にしたいけど、今の時間を教えてくれないかな?」
まだ納得できないようだったが、エミリアは時計を取り出し十二時四十分だと教えてくれた。
今から食堂を探してもまともな所では食事が取れないだろうとバザーの屋台で何か買って帰ろうと提案するとマリィが渋る。保存食中心の料理でなく久々に新鮮なもので作られた食事が取れると楽しみにしていただけに仕方ないことだ。
このアロッサの住民は古くからの慣習で家族との昼食を大切にする。その為昼食時の十二時から十四時は仕事を止めてでも家族と食事を取る。食堂や食べ物を売る屋台などは越境のため立ち寄る旅人のために閉店時間を一時間ずらして営業はしているが、それでも食堂などの注文は三十分程度しか待ってはくれない。つまり十二時半を過ぎている時点で食堂での食事は余程余り物がある店でもない限りは無理というわけだ。
それでも渋るマリィを夕食は約束通り食堂で好きなだけ食べさせてやるとなんとか口説いて漸くバザーに着いたのは更に十分後でもうほとんどの屋台が店じまいを始めていて結局売れ残りの固いパンと少々焼き過ぎた上に冷えてしまって固くなった肉を買うのがやっとだった。たまたま近隣の村から野菜を売りに来ていた者が昼寝をしていたのをなんとか起こしていくらか葉物を分けてもらうことができたのはせめてもの救いだろう。
ヴィークルまで戻りエミリアが串に刺してある焼き肉を外し薄くスライスし、固くなったパンもスライスして葉物野菜と共にサンドウィッチにしてくれたお蔭でまともな食事を取れた気にはなれた。
ただ屋台の店主たちは余り物になるのを嫌い安くはあったがそれなりの量を押し付けてくれたので間食にも味付けを変えた同じようなサンドウィッチを食べるはめにはなってしまった。
もうすぐ夕方という頃にヴィークルを訪ねて来た者がいた。
カイルとマリィは暇を持て余しカード遊びをしていたのでエミリアが応対していたのだが、どうも揉めているらしい。
「エミリア、なにかあったの?」
「それが――ちょっ! 待ちなさいっ」
エミリアがこちらに気を逸らした隙をついて脇をすり抜けてズカズカと男が入ってくる。その短く切り揃えた黒髪の男の厳つく眉間に皺を寄せた顔はカイルよりも頭半分高い位置にあり、引き締まった筋肉の塊のような体格で腰に剣を履き、国境警備隊の徽章の付いた軽装の鎧に身を包んでいた。
マリィが立ち上がり当然のようにカイルとその男の間に立とうとするのをカイルが軽く手で制する。
「よおカイル、久々だな」
「やあハリー、その久々に会う親友に対してその眉間の皺はないんじゃないか?」
「俺も久々に会う親友にこんな顔をしたくはないさ」
入ってきた男はカイルが昼間訪ねて会うことのできなかったハリーだった。
ハリーの後ろの方でそれを察したエミリアが国境警備隊への心象を更に悪くしたらしくハリーのように眉間に皺を寄せ睨み付けている。マリィもそれがわかると席にストンと腰を落とすが次のハリーの言葉で二人の動きが凍りつく。
「お前に不正な出国を手助けしているという容疑がかかっている。聞きたいことがあるから直ぐに着いて来てもらえるか? 手荒なことはしたくない」
「それはなにかの冗談か?」
ハリーはその質問に対して腰の剣に手を添え沈黙で答えた。
2016年10月01日 誤字修正