順風満帆?
深い眠りが浅いものになり半覚醒のぼやけた頭で強引に瞼を開くとぼやけた影が覗き込んでいる。
「少しはお休みになれましたか?」
カイルが肯定の合図に軽く手を上げると覗き込んでいた影、エミリアから微笑みが返ってくる。
「どれくらい寝てた?」
「ざっと一時間ほどになります」
タルムに一度寄って旅に出てから三日が過ぎていた。ドライバーをマリィが、ナビゲーターもエミリアが担当しているためカイルにはなにもすることがなく後部座席でぼうっとするのも飽きてきていた。快適ではあるが三日間浸りっぱなしだと人工的に調節された空調にも少し疲れたので、今晩の食事は車外で取ろうということになり出した折り畳みの長椅子で食事の用意が済むまで横になっているつもりがいつの間にか寝ていたらしい。
「それにしてもいつもと違いやはりごわごわするな」
「流石に普段の服と比べれば相当丈夫なものものにしましたからね」
「まあねえ。メイド服で旅は勝手が悪いしね」
今エミリアが着ているのは普段屋敷で着ている柔らかい生地のメイド服ではなくタルムで新調した旅装だった。厚手のブラウスはきちんと上までボタンを留めリボンタイもきちんと結ばれている。スカートではなくゆったりとしたパンツの裾は上端が折り返してあるブーツの中入れてある。
ブラウスの上には黒革のベストを着けていた。前側の丈は足の付け根辺りまで延びベルトと脇の留め具で留めているため正面はいくつかあるポケット以外に目立った装飾はない。後ろ側は少し変わっていて足の前側の中心線辺りまでを回り込み被った垂れが脹ら脛の辺りまでをあり、角に金色の飾りボタンと黒糸で控えめな蔓草の刺繍が施されている。実はこの刺繍には仕掛けがあってこのベストに仕込まれている温度調節の魔術式を隠すためのものだ。この魔術のお蔭で本来なら暑苦しいはずの革製のベストを着ていても全く苦にならない。
ベルトにはいくつかポーチがありポケットやポーチにはわかりづらいがいくつか小物がしまわれている。
そのエミリアの膝に頭を載せているカイルは長袖のアンダーの上に首元と胸の一番上のボタンを外してシャツを着て、パンツの裾をエミリアの物とは違うブーツに押し込んでいる。アンダーは妖精銀と鋼を縒った糸が編み込んであり防刃の効果と魔法を使う際の高効率化も実現するものだ。ブーツは側面のファスナーと踝の上と上端のベルトで固定するもので爪先、踵、それに前面に金属板が仕込んである。
黒鎚の籠手とそれに合わせて新調した籠手は腕の外側と手の甲を被う簡単なものだが始終着けっぱなしが邪魔臭く着けてていないが、同じく黒鎚の籠手に合わせた胸当てはエミリアにこれだけは着けていて欲しいと言われ着けている。
ベルトの後ろには水平にダガーが差してあり斜めに掛かっている剣帯には巻き付けるように黒鎚の剣を吊るしてある。エルトマルトを継いでからはタルムに行く以外に殆ど屋敷から出ることがなく剣を履く必要もなかったが、やはり約五年の間を寝るとき以外身に付けていた重さは久々でも心地よかった。
エミリアに膝枕してもらうこと自体はそれほど珍しくない。エルトマルトを継いだばかりの頃に抜け出して裏庭の長椅子で横になったまま寝てしまったことがあり、起きたら今と同じようにいつの間にかエミリアが日傘を差しながらしていてくれたのがきっけだった。思いの外心地よくお互いに手の空いているときにはお願いしていたりする。
ただ、さすがに起きたらエミリアの腹に顔を埋めるようにしてしまっていたときはちょっとどころでなく恥ずかしかったのは今ではいい思い出となっている。
「まだお休みになりますか? それとも食事になさいますか?」
「ああ、できれば日のある内に片付けたいし食事にしようか」
そう言われてようやく辺りに良い薫りが漂っているのに漸く気付く。
エミリアに聞いたところメニューは干し肉で出汁をとった青菜のスープにビスケットを粗く砕いてお湯で戻した粥だった。
カイルとしてはサラダが欲しかったのだが、青菜は出立の際にタルムに寄って買ったものでヴイークルの冷蔵庫に入れて保存してあったとはいえさすがに生で食べるには不安になってきているのでこれは仕方なかった。
粥にされているビスケットはビスケットと言っても普段茶請けに屋敷で食べている甘い菓子とは違い幾つかの穀物などを練り込んで塩や香辛料等の調味料を足して焼き固めたもので、軍や聖騎士時代にも旅の必需品ではあったのだが不味くはないがあまり美味しいものではないのでカイルは好きではなかった。しかしパンなどと比べ少量で十分な上、日保ちもよく場所を取らないので今回の旅でも主食になっている。
「アロッサに着いたら取り敢えず飯屋に行きたいな」
そう独り言ちながら身を起こす。エミリアの料理は旨いのだが、まだたった三日とはいえやはり新鮮な肉や野菜、それに柔らかいパンが恋しかった。
伸びをしながら周りを見回してみてその場にいないマリィのことをエミリアに尋ねるとカイルが寝てしまったのでヴィークルの点検をしていると言う。
このオルダイン製の六輪ヴイークルは元々バモスのものなので随分と年代物である。しかし度重なる改造で元の部品は殆どなくなっているとグラハムからは聞かされている。大まかに分けてキャビン、住居区画、倉庫区画の三つのブロックに分かれる。
先頭のキャビンには前に運転席と助手席、後ろに長椅子が据えられ最大5人が座れる。次が住居区画で下段には簡単なものだが煮炊きができる炊事場と長椅子とテーブルが据えられている。梯子で繋がった居住区画の上段は少々窮屈だがベッド四台を据えた寝室があり、後ろの倉庫区画との間には狭いがシャワー室とトイレがある。最後尾の半分飛び出したようになっている倉庫区画は保存食倉庫や冷蔵庫、金庫、予備の武器や備品庫、小型の三輪ヴィークル、それに水の精製装置が置かれている。各部の作りは強引に乗員数を増やしたために狭苦しくはなっているが、元々快適性を追求したものとなっていてアヴァロニアで使用されているどの軍用モデルよりも高価なものになっている。
動力は先頭キャビン下に配されたエーテル式改造魔術機関で一度の補給でエレィニア大陸外周を走る大陸周遊道を一周することも可能なもので、メンテナンスは基本運転席にあるパネルによる自己診断システムで賄える。
マリィのしている点検というのはこの自己診断システムを使った点検で、これも運転同様三人の中ではマリィにしかできない。
まだ暫く掛かりそうかと尋ねようとしたところでマリィがキャビンの扉から顔を出し腹が減ったと文句を言いながら口を尖らせる。今回ほぼ一新することになった旅装を着たままやっていたらしく、さっさと片付けて寝る支度をしたいとも言っている。いざとなればカイルが立ち回ればいいのだが、マリィは護衛も兼ねている以上は装備を解くのを最低限にしているようだ。
彼女の装備は丈の短い半袖のインナーに身体に合わせて成形してある金属製の胸当ての上からこちらも丈の短い革製のベストを着ている。前は普段から開けている。そのベストには胸に左右三つずつスロットがあり小指サイズの使い捨ての魔導器を収めている。膝上丈のプリーツスカートは細い金属糸で編まれた薄い生地に布を貼ったものだが柔らかく普通の布地で作られたスカートと見た目では違いはあまりわからない。正直目のやり場に困るのだが本人は下にショートパンツを履いているから平気だと気にしていない。両手には甲に金属板が貼られた指なし手袋を履き左腕の外側を覆う籠手を着用している。膝はニーパッドで保護され、その下は編み上げのブーツに覆われている。足の甲と向こう脛の編み上げに添って金属板が仕込まれ、また爪先と踵にも金属板が仕込まれていて蹴りによる攻撃をより強力なものにしていた。
腰のベルトにはいくつかポーチがあり、後ろ側には特注のホルダーが掛けられてあり運転や座るとき以外はここに使い古した小人の工房製の短剣が二本収まっている。
「もう点検は終わったのか?」
「そんなの毎日やってんだしすぐ終わったのにゃ。エミリアがご主人が起きるまではダメって言ったから我慢してたのに、ご主人ときたら、はあ」
マリィはわざとらしく溜め息をついて見せる。
「起きたら起きたでエミリアとだらだら話してマリィのお腹は危うく背中とくっつくところにゃ」
マリィは剥き出しの腹部を凹ませながら擦って見せる。スカートもそうだがマリィは全体的に露出が多い。彼女の戦闘スタイルから考えても軽装になるのは仕方ないのだがやはり若い娘の肌というのは目のやり場に困る。
「なあマリィよ、アロッサでせめて膝下丈のスカートに変えないか?正直腹を剥き出しというのも見てて不安になるんだが……」
「ご主人はバモス様と同じこと言うのにゃ。マリィは普段からこのくらいの丈のスカートだから全然気にならないし、お腹もこのままのが動きやすいにゃ」
確かにマリィはメイド服を勝手に改造してスカートを短くしている。
「ジイサンに言われてて直してないならもう何を言ってもダメか」
「その通りにゃ」と意味もなくマリィがふんぞり返っているところにエミリアが食事をよそって持ってきたので食前の挨拶を交わして三人で食事を摂ることにした。エミリアの料理はやはり美味しく嫌いな粥さえ旨く感じる。
食事も一段落して後片付けを始めたころに空から一羽の鳥が舞い降りた。淡い緑色の光を放つ鳥はインスタントファミリアと呼ばれる使い捨ての伝書鳩のようなものでエイダから特別に耳に入れておきたいことがあった際に飛ばしてきているものだ。
なにかあったのかと鳥の中から小さな筒に入った手紙を取り出し読んでいるエミリアに尋ねる。
「特に異常ではありませんね。なんでも若い戦士が仕官の願いに訪れたもののローザへの旅行中だと伝えて追い返したとのことです」
「こっちに来るって?」
「いえ、帰りはいつ頃かと聞かれたのではっきりとはわからないと伝えたらまた来ると言い残して帰ったとのことです」
それなら旅に出る際にした打ち合わせ通りでわざわざ報せるまでもなかろうと思っていたらエミリアの話は終わってなかった。
「……ああ、ただ、なんでもグラハム様からの情報によるとタルムの宿に滞在して貸部屋を探しているそうです」
どうやら暫くタルムに居座るつもりらしい。
「やけに本腰入れるにゃ。タルムからローザならどうせ普通に旅してたら何ヵ月も掛かるし一旦帰った方が財布に優しいにゃ。どうしても仕官したいならそこまでして待つよりこっちに来た方が手っ取り早いにゃ」
「そうだな。で、どんな奴なんだ?」
どうやらその辺りの特徴は書かれていないらしくエミリアは肩を竦める。
仕官の願い自体はバモスが派手に立ち回っていたせいもありそう珍しくはないのだが、そういうのは一度断れば大概他に行くことが多い。特に長期の外出でいつ帰るかわからないのならその間の食い扶持も必要になるので諦めるかマリィの言うようにあれば一旦家に帰って頃合いを見て再来訪するのが普通なのだ。そもそも待てば必ず受け入れられるというわけでもない。
取り敢えず用心に越したことはないのでエイダの張っている結界を少し強いものにして、警備の方もいつも以上に気を付けるように指示を出すようエミリアに伝える。
それなりに強力な警備を手配はしているがカイルとマリィという屋敷でも戦闘力に長けている二人が抜けている以上気楽に構えていて帰ったら全滅していましたとかになっていたら目も当てられない。エミリアには言えないがカイルとしては最悪エーテルの泉が奪われるのはいいが、残してきた者の命が失われていたのでは悔やんでも悔やみきれない。
わざわざ引き返す程の案件でもないので多少心配は残るが、エイダへの指示を携えた新たなインスタントファミリアが無事タルムの方角に飛んで行くのを確認してその日は休むことにした。
2016年09月12日 誤字修正