ちょっとした悪戯
翌日、天気にも恵まれたためカイルは旅に必要な旅装の新調や買い出しなどにエミリアとマリィ、それに住み込みで雇っているエミルと共にタルムまで出かけていた。
エミルはカイルがエルトマルトを継いでエミリアの補佐にと最初に雇ったメイドである。タルム出身で両親とは既に死別している。両親の死後はこの世界の主神である天神エレナを祀る天神教団の施設で育ち基本教育を修了して、独立するときにカイルの求人を町の掲示板で見付け応募してきた。元々は昼だけのつもりで募集していたのだが、教団に残らず独立を選んだ時点で施設からは出ることになっていたこと、また独立と言っても定職に就いたわけではなかったのでその後の住まいが決まっていないとのことで本人さえ望めばと住み込みで雇うこととなった。
彼等が訪れているタルムは大きな街道からは外れていることもありそれほど町としては大きくはない。しかしエーテルの買い付けに訪れる客の宿などに使われだしてからは街道沿いの町に比べれば不便だが住むにはお釣りが来るほどには充分な町になっている。
今はエミリアとエミルがいくつかの店を回り旅に持っていく食料などの手配をしている。カイルとマリィは広場のベンチで2人を眺めながら話していた。
「ご主人、今日は裏筋の飯屋はいいのかにゃ?」
「エミリア達が帰ってきてから工房に行く前で良いだろ。というか、なんか妙な含みがないか?」
「いいの、いいの。ご主人も若いんだから女遊びのひとつやふたつ、マリィは気にしないのにゃ」
「あそこは飯屋であって女遊びするような店じゃないだろうに」
「にゃ? マリィはまたあそこの看板娘目当てで通ってるもんだと思ってたにゃ」
「まあたしかに、あの娘は可愛いがそもそもそこまで話したことはないぞ」
「三年もいて手を出してないのにゃ? ああマリィはバモス様と違って奥手過ぎるご主人の将来が心配にゃ」
「いや、あのジイサンが異常なだけだから」
大袈裟に頭を振るマリィを半眼で睨みながら文句を言う。マリィとタルムに出てきたときの恒例のやり取りなのだが、そこでふとカイルに悪戯心が芽生えてマリィへ再び話しかける。
「いいのか?あんまり主人を蔑ろにしてると痛い目に会うぞ」
「にゃ?ご主人はそんな酷いことができないのをマリィが知らないとでも思っているのかにゃ?」
「ふふん」と半眼でにやけながら言うマリィを気にせずカイルは続ける。
「そういや昨日見たマリィの装備、結構綺麗だったよな」
「にゃ?」
「マリィがきちんと手入れしていた証だな、うん」
「と、当然にゃ……。装備の手入れの大切さは耳がタコになりそうなほど教わったにゃ」
「耳にタコができそう、な。なるほど、ジイサンは装備を大切にしろと?」
「……そ、そうだけど、ご主人?」
「じゃあ、今ある装備は、大切に、しないと、いかんよなあ、マリィ」
「にゃっ! 待つにゃっ!それとこれとは……」
丁度傍まで帰ってきていたエミリア達に声を掛ける。
「そんなわけで、マリィの装備は今のままでのままでも良いと思うんだけ……」
そこからマリィの行動は今まで見たこともないくらいの迅速さだった。座っていたベンチからカイルの前に跪いて両手を胸の前に組んでカイルを仰ぎ見る。あたかもカイルに祈るような姿勢。
「マリィが悪かったのにゃ!だからご主人とはいえ、マリィから数少ない楽しみを奪うのだけは止めて欲しいのにゃ」
「おい……」
「そうにゃ、なんでもするにゃっ!ご主人が望むならこのマリィ、身も心もご主人に捧げるのにゃ!娘から女になるのも平気にゃ…だから、だからどうにかマリィから数少ない楽しみを奪うのだけは止めて欲しいのにゃ!」
「マリィ?」
「エミリアみたいな凹凸はないけど、マリィはこの身体でご主人を満足させるにゃ」
「わかった、わかったから。約束通り新調してやる! だから、ここで、その姿勢で、その言い回しで、そういうことをするのだけは止めてくれ!」
平伏しかねないマリィの後ろではエミリアが渋い顔で眉間に皺寄せ、エミルが俯いて顔を真っ赤にしていた。
しかしマリィは止まらない。
「いいや、止めないにゃ!ご主人がマリィのわずかな楽しみを奪うと言う限りマリィはご主人にお願いするにゃ!」
「わかった!ちょっとした出来心だったんだ。約束通り上着とブーツを新調してやるからっ!」
「にゃ?」
「な、約束どお……」
「ああ……マリィが馬鹿だと思ってこっそり約束の内容を変えるなんて酷いにゃ……マリィは、マリィはこんなにもご主人をお慕いしていると言うのに……」
唸るように話すマリィに「おい」とつっこみたかったが周りの視線から暖かいものは既に失われて居心地の悪いものになっている。下手なことを言うと更に自分の立場が悪くなりそうなので項垂れるマリィの肩に手を乗せわかったから取り敢えずは納めて欲しいと言おうとしたところ、その手を握り胸に引き寄せながら顔を上げたマリィが再び叫び出す。
「今からにゃ!?」
「はあ!?」
「ご主人は今晩と言わず今からマリィを求めるのにゃ?」
「いや、待……」
「いいのにゃ!ご主人が望むならそこの宿でマリィは天井の染みを数える作業をしてもいいのにゃっ!」
マリィの後ろでエミルが真っ赤になってエミリアに寄りかかるのが見えた。
結局、装備一式を新調する約束をさせられて、調子に乗って更に駄々を捏ねようとするマリィへエミリアのカミナリがついに落とされてなんとか場は納まった。
跪いていた場所でエミリアの方を頭を鷲掴みにされ振り向かされ、そのまま正座をさせられるマリィとそれを叱るエミリア。そしてベンチで頭を抱え項垂れるカイルに茹でダコ状態でカイルにもたれ掛からされているエミルと周りもどう扱っていいものかわからない状態で広場は四人が離れるまでなんとも言えない空気に支配されていた。
2016年08月05日 誤字修正