メイドを買いましょう
「カイル様、メイドを1人買っていただけないでしょうか」
祖父が急逝して後継者に名指されて三年と少し、全くの畑違いの聖騎士予備隊からの転職とはいえもう大分なれた日常の書き物をしているときにそんなことを言われた。
「ん~、メイドさんなら今いる子達で結構間に合っ――て、買う? エミリア、今、メイドを買うって、言った?」
うっかり聞き流しかけたことを目の前に執務机を挟んで静かに立つ女性に訪ねる。彼女は「はい」とだけ短く答えて頷く。襟に隠れているネックレスが静かに金属音を鳴らし、背中の半分を覆う綺麗な金色の髪がふわりと縦に揺れる。そしてお世辞抜きに美しい彼女の翡翠のような緑色の瞳で見詰められる。共に過ごして三年も経つのになんとも居心地が悪いものを覚える。
「雇うのでなくて買うの? メイドを?」
祖父が雇っていたメイドは殆んどが祖父の他界とともに契約が切れたものの日中の雑事に何人かは新たに雇っている。目に見えて仕事が行き届いてないようにも見えない。そもそも雇うのではなく買うと言ったことに引っ掛かった。
「はい、そろそろ私の後継者を用意していただきたいのです」
エミリア・アダ・エルトマルトはこのエルトマルト家のメイド長であり、三十年もの間祖父に付き従ってきた。そして後継者のカイルのサポートをしつつたった三年で一から叩き込んだのも彼女だった。
「私も来年には五十になってしまいます。長命の一族の血が混ざっているとはいえ、そろそろ考えねばと思いまして」
その長命の一族、エルフの血はもう殆んどわからないほどに薄まってはいるものの今でも三十路前と言われても疑えないその容姿が確かにその身に流れていることを物語っている。彼女の場合、そのエルフの血は生命力と同質のものとされる魔力の高さに反映されているので若々しく見えるのだ。そしてそれは見た目だけではなく身体能力も所謂普通の人のそれと比べれば未だに充分若々しい。まだまだ後継者を考える必要があるようには見えなかった。
「ですが、これはバモス様のご遺志でもあるのです」
バモス・エルトマルト。一代でエルトマルトとという家名を授かるほどまでに成功した祖父。エーテルの泉を開拓し各国にエーテルを卸して今のエルトマルト家を築き上げた。生涯独身ではあったが愛人には困らなかったらしくカイルの父方の祖母がつまりその一人だった。
彼の出自はエミリアによると農民らしい。奔放であった彼は次男だったこともあり姉の勧めで家を出てハンターになったという。特にトレジャーハンターとして活躍し少しの失敗といくつかの成功の後に発見したエーテルの泉により一時は引退したそうだ。
とはいえ、その奔放な性格は老いても直ることなく事業が落ち着いてからは殆んどを彼女らに任せしょっちゅう旅に出ていたという。
「それで、後ろの二人も同じ用事なわけ……?」
エミリアの後ろに控えるに人に問いかける。向かって右側が母親にエルフの血を分けられ尖った耳と褐色の肌を持ち、腰に届く黒髪を申し訳程度に先の方で纏めているエイダ・アダ・エルトマルト。そして猫の耳と尻尾を持ち肩までの長さのオレンジ色の髪を揺らす猫と犬、そしてその小柄な体躯からは想像ができないが巨人の混血のマリィ。バモスの代から仕える三人だ。
「バモス様の定めていた三年もきちんと乗り越えたし、エミリアの扱きに耐えたことは私も認める。 そろそろ頃合いだろう」
エイダの言うその三年という話は全く聞き覚えがない。不思議そうにしているとマリィが後を継ぐ。
「バモス様から言われてたのにゃ! ご主人が三年やって上手くできないようなら別のヤローに切り替えろって」
本当に初耳なことで意味がわからなかった。つまり、たまたま最初がカイルだっただけて誰でも良かったのかと疑念が浮かぶ。わざわざ聖騎士予備隊を除隊してまで継いだというのに。
どうやら表情にそれが出ていたらしくエミリアがマリィをたしなめながら続ける。
「飽くまでもカイル様がどうしようもなかった場合の話であって、バモス様はカイル様に継いでいただくことを望んでおりました。それに私やエイダの契約の引き継ぎはあなたにしかされていません」
「……契約、ね」
まだ十歳のガキを呼びつけてわけもわけもわからない内に手続きをさせられたのを知ったのは実際に継いだつい三年前のことなのだが。
「マリィは馬鹿なのだからそれの言葉を真に受けない方がよろしいかと」
「ちょっと! マリィ馬鹿じゃないにゃっ!」
「そもそも他の候補者はカイル様が亡くなられたりした場合で、三年というのも最低でもそれくらいは掛けて仕事を叩き込めという期限であって一ヵ月で完璧にこなせるようになろうが十年掛かろうがそれでどうしろということはなかったのでご安心を」
「えっ!?」
「え? って……あんた本気で理解してなかったの? 本気で馬鹿なの?」
「にゃっ! 馬鹿じゃないにゃっ!」
エイダとマリィのこういったやり取りはこの三年間ほぼ日常だし、お互い本気でやりあってるわけではないのだがさすがに話が進まなくなってしまう。
「ま、まぁ誰にだって思い違いはあるし、なんだかんだでマリィは結構しっかりしてるんじゃないぐぁっ!」
速かった。執務机を飛び越えて思いっきり抱き付かれた。
「ご主人はわかってるにゃ。エイダは細かいだけにゃ」
「……カイル様は甘過ぎです」
マリィに抱きつかれたままエイダに半眼で睨まれるのを「まあまあ」と手を振る。
「まあ三年やって何もできないようなら実際使い道ないだろうし。ちょっと初耳で驚いたけど、マリィの勘違いも得心いくからね」
「ご主人は三年予備隊やって結局なんにもなれなかったけどにゃ」
位置を変えておぶさるようになってたマリィが耳元で呟く。
「聖騎士団なめんな。予備隊でも充分大出世だ。てか誰のためのフォローだと思ってるんだ」
そう応えるが三年間同じ説明をしてもマリィは全く聞く耳を持たない。予備隊とはいえ何万では済まない軍部の中でも僅か百名ほどしか騎士団への入団そのものがなかなか叶わないのだが、彼女にしてみれば「目標を達成できなきゃただの言い訳」らしい。今も人の背中で「にしし」と笑いながら悪びれる様子すらない。
それからため息をつきつつエミリアに向き直り改めて聞き直す。
「エミリア、雇うんじゃダメなの? 今いるメイドさん達の中から選ぶとか」
「ただのメイドであるならそれでも良いのですが、飽くまでも私がしていること、つまりカイル様のサポートも必要ですし、何よりもエーテルの泉に下りる権限も与える以上は雇い人では信用するのが難しいです」
「信用、ねぇ。エミルとか私が最初に雇った古株だし献身的だしいいんじゃないかと思うんだけどダメなの?」
「彼女もよくやってはくれてはいますが、カイル様を裏切ろうと思えば裏切ることができるということが問題なのです」
「彼女にそんなつもりがなくても?」
エミリアは静かに頷く。本人が裏切りなど思ってもみなくとも将来誰かに唆されて裏切ることがないとは言えないのが問題らしい。
マリィを背中に乗せたまま眉間に皺を寄せて顎を落ち着きなくさすりながら考え込む。
「つまり、君たちのように隷属の契約がいるということか?」
エミリアと、エイダも共に頷く。
彼女達の襟の内側、首に掛けられた隷属の証がチャリリと音を鳴らした。
エミリア・アダ・エルトマルトとエイダ・アダ・エルトマルトがエルトマルト家の、カイル・エルトマルトの奴隷である証のそれが静かな金属音を鳴らした。
2016年08月03日 誤字修正
2016年09月04日 誤字修正