双子
蘭雪が意識を取り戻した時、体は心地よい振動に揺られていた。
潮の匂いが微かに香ってくる。太陽の日差しが海に反射している中を車が海岸沿いの道を静かに走っていく。
蘭雪がゆっくりと目を開けると、隣には夜狼がいた。
「目が覚めたんだね。体の調子はどう?」
その言葉に蘭雪が少し体を動かすと全身に痛みが走った。穴に落ちたときに全身を打ったことによるものなのだが、蘭雪は痛みを顔に出すことなく夜狼を見た。
「私はどれぐらい寝てたの?」
「一日だよ」
「一日も?」
蘭雪が腕時計の日付を見ると、確かに一日が経過していた。
「疲れていたみたいだから、ちょっと薬を使ったんだ。よく眠れたでしょ?」
蘭雪は体に薬に対する耐性をつけている。そんな体を丸一日も眠らせる薬ということは基準以上の量を使ったのだろう。
蘭雪はまだ重い手を動かして額に当てると、もう一度状況を整理した。
「なんで、あんなことをしたの?勝手に動いたことが、おじい様に知られたら……」
「心配いらないよ。昨日、おじい様は会合があったホテルで爆死したから」
予想外の言葉に珍しく蘭雪の反応が遅れる。
「……ちょっと待って。おじい様が死んだ?」
蘭雪の様子に夜狼が満面の笑みを浮かべる。
「そうだよ。これからは、ずーっと一緒だよ」
蘭雪は自分の祖父が死んだと聞いても、何も感じなかった。むしろ自分でも驚くほど冷静で頭は冷えきっていた。
「死体は確認したの?」
「まだだよ。あの爆発だから、死体が出てくるかどうかも分からないし」
「爆発させたのは何時?」
夜狼が少し首をひねる。
「姉さんを迎えに行かした直前かな」
蘭雪は黒服の二人組を思い出して言った。
「……おじい様は生きてるわ」
「え?」
「夜狼の迎えが来た後、おじい様は無傷で私を迎えに来た」
夜狼は蘭雪の言葉に驚くこともなく残念そうにため息を吐いた。
「なーんだ、死んでないんだ。じゃあ、空港には行けないな」
そう言うと夜狼は運転手に命令をした。
「とりあえず、ウーゴに借りた別荘に行って。もう一度、ちゃんとおじい様を殺さないと」
まるでゲームでもしているかのような軽い口調の夜狼に、蘭雪は夜狼が二年前まで跡継ぎとして育てられていたことを実感した。身内であろうとも、邪魔な存在であれば躊躇わずに殺す。
「夜狼」
夜狼は名前を呼ばれて嬉しそうに蘭雪を見た。
「なに?」
「何故、彼を連れて行ったの?あそこまでする必要はなかったでしょう?」
蘭雪の言葉に夜狼の表情がみるみる険しくなる。
「姉さんこそ、なんであんな奴のことを気にするの?あいつは、姉さんを誘拐するために近づいたんだよ!」
無表情だった蘭雪の顔が少し崩れる。
蘭雪は夜狼の見えないところで両手を握りしめた。ここで感情を出してはいけない、と蘭雪は深く息を吸って再び完璧な無表情になった。
「どういうこと?」
「あいつは英国極秘諜報局の諜報員で、おじい様と取り引きするために姉さんを誘拐するつもりだったんだ」
「本当なの?」
「本当だよ。ヘブンドラッグを原液で使ったからね。あの状態でウソは言えない」
「ヘブンドラッグを原液で?!」
蘭雪は思わず声をあげていた。
ヘブンドラッグとはコカインやヘロインと同じ麻薬だが、一般に地下で流れているのは百倍に薄めたものだ。それでも一度使うと、強烈な快楽とともに依存性が強く、一ヶ月も経たないうちに廃人となる。
その効力を十分知っている夜狼は自慢気に話し始めた。
「そうだよ。始めは原液を百倍に薄めたものを使っていたんだけど全然、効果なくってさ。五十倍、十倍って濃くしていったんだ。でも、全然ダメ。原液でやっと口を割ったよ。あんなにしぶとい奴は初めて見たな」
どこか楽しそうな夜狼の隣で、蘭雪は握りしめている手から血を流していた。
ヘブンドラッグを原液で体内に注射されて生きているとは思えない。そもそも、彼は英国の諜報員で敵だった。そう、これで良かったのだ。でなければ、あのまま誘拐されて取り引きの材料にされていた。
そう必死に自分自身に説明して蘭雪は納得しようとした。だが、心のどこかで否定している。
コロコロ変わる表情は、映画の話をしたのは、ローマを案内すると言ったのは、誘拐するための演技だったのか?一緒に世界を見に行かないか、と言った、あの言葉はウソだったのか?全てが偽りだったというのか……
心の中の葛藤に蘭雪は力なく笑って考えることを止めた。
「そう」
何が偽りで、何が本当か、そんなことは、どうでも良くなっていた。少年が生きていないという事実は変わらない。
蘭雪の全身を今まで感じたことのない疲労感が包む。
「彼は死んだのね……」
言葉と共に蘭雪の全身から力が抜ける。
蘭雪の言葉に夜狼が微笑んだ。
「そうだよ。だから、あいつのことは忘れなよ。僕は姉さんを裏切らない。ずっと、側にいる。僕たちは世界で二人だけの姉弟なんだから」
そう言って、夜狼が蘭雪を抱きしめる。だが、蘭雪の瞳に光が宿ることはなかった。




