感情
なかなか動かない蘭雪に黒狼が振り返って声をかける。
「どうした?行くぞ」
蘭雪はその場から動かずに黒狼に向かって言った。
「この事故があったとき、今回は一緒に来ていない護衛の二人組がおじい様の名前を出して私を迎えに来ました。おじい様はその者たちをご存知ですか?」
「知らんな」
黒狼の言葉に蘭雪の白い顔がますます白くなった。予想していた展開に蘭雪は黒狼に飛びついた。
「この事故が起きたとき、私を庇って怪我をした人がいます。その人がその者たちに連れていかれた可能性があるんです!おじい様の力を貸して頂けないでしょうか!?」
取り乱した蘭雪の様子に黒狼は落胆したように、ため息を吐いた。
「いいか、お前はこれからワシの跡を継ぐのだ。これぐらいのことで騒ぐな。いつもの冷静なお前はどうした?」
重く全てを黙らせる声を聞いて、蘭雪は頭から冷水をかけられたように体が冷えていくのが分かった。
黒狼から一歩離れて心の中で深呼吸をする。そして黒狼を静かに見上げた。
「失礼いたしました。ですが、その人が私の命の恩人であることにかわりありません。その人を助けて頂けないでしょうか?」
蘭雪の懇願に黒狼は低い声で冷徹に事実を突きつけた。
「ワシの跡継ぎとして、これからお前を庇って死ぬ者はいくらでも出てくる。いちいち助けていては、自分の身を滅ぼすぞ」
予想通りの答えに蘭雪が薄く笑みを浮かべる。
分かっていたことだった。聞くまでもなかったことだったのだ。
蘭雪は一つの決意をして頷いた。
「わかりました」
そう言うと蘭雪が黒狼に背を向けて歩き出した。
蘭雪の予想外の行動に黒狼が黒い瞳を大きくする。
「何処へ行く?」
黒狼の質問に蘭雪は振り返ってキッパリと言った。
「自分で助けます。あなたの跡を継ぐせいで彼を助けられないというのなら、跡は継ぎません」
蘭雪の宣言に黒狼が言葉を失う。
そこに、ずっと静かに二人のやりとりを見ていた子どもが口を開いた。
「なら、俺と来るか?生死はわからないが、居場所ならすぐにわかる」
その言葉に蘭雪は子どもの方を見た。
「発信機でも付けてるの?」
子どもは蘭雪の質問には答えずにもう一度、問いかけた。
「来るか、来ないか。どっちだ?」
「もちろん、行くわ」
蘭雪の答えに子どもが口元だけで笑う。だが、黒狼はいつもの冷徹な表情を崩して叫んだ。
「蘭雪、本気か?何故だ?今まで、どんなことにも無関心だったのに!」
明らかに怒りの表情をしている黒狼に蘭雪はいつもの冷めた瞳を向けて言った。
「確かに私はどんなことにも無関心で興味があることはありませんでした。それは跡を継ぐことも同じです。おじい様の跡を継ぐことに興味はありません」
そう言って蘭雪は空を見上げた。目の前に広がる青い空。いつも部屋から見ていた空と繋がっているはずなのに青さが違う。
その理由を蘭雪は心で感じていた。
蘭雪は再び視線を黒狼に向けて言った。
「……けど、彼は違った。彼と世界を見てみたいと思いました。彼と見る世界には、興味があります」
蘭雪の言葉を聞いて黒狼の手は震えていた。握りこまれた手からは血が出るのではないかという程。
「ならば、その男を殺す」
黒狼の本気の言葉に蘭雪は年齢に合わない微笑を浮かべた。
白い肌に紅い唇が三日月の形を作る。瞳は闇のごとく全てをのみ込むように黒狼を見つめる。
「その前に、私がおじい様を殺します。おじい様は私を殺せないでしょうけど」
全てを吹っ切った蘭雪に子どもが声をかける。
「行くぞ」
子どもの声に蘭雪が黒狼に背を向けて無言で歩き出す。
黒狼は静かに歩き去る蘭雪を見て、荒々しく自分の車に乗り込んだ。そして携帯電話を取り出すと、怒鳴り声で部下に命令をした。




