左眼
翌日。
リルの病室では備え付けのパソコンでアントーン医師と朱羅がカルテを見ながら会話をしていた。
その一方で、ベッドに座ったリルの隣で、拗ねた顔をしたディーンが椅子に座っている。
軽く不機嫌な空気をまとったまま何も言わないディーンにリルが声をかける。
「どうしたのですか?」
その問いにディーンが視線だけをリルに向ける。
「昨日、悪ガキが料理を作ったんだけどよ……」
「はい」
ディーンの様子だとリルがレシピを渡したことを知らないようだ。なかなか続きを話そうとしないディーンにリルが続きを促す。
「どうしたのですか?美味しくなかったのですか?」
その言葉にディーンは大きくため息を吐いた後、投げ捨てるように言った。
「……美味かったんだよ!なんで初めて作った料理が、あんなに美味く作れるんだよ!完璧すぎて腹が立つ!!」
どうやら思った以上に美味しかったのが悔しいらしい。思わぬディーンの本心にリルは苦笑いするしかない。
そこにアントーン医師が会話に参加してきた。
「なんだ?坊主は料理も出来るのか?今度、食わせろよ」
「私も食べたいですね」
二人の言葉に朱羅がパソコンから視線を外さずに答える。
「気がむいたらな」
そう言って朱羅が視線をドアに向ける。そこにタイミングよくドアが開いた。
「……来た……ぞ!」
顔は俯いているため見えないが、一度見たら忘れられない淡い金髪が揺れている。
ドアに手をかけたままゼーハーと大きく肩で息をしているオーブに対して、朱羅が淡々と声をかける。
「遅かったな」
朱羅の言葉にオーブが勢いよく顔を上げた。
「途中で交通事故があったんだよ!バスもタクシーも渋滞で全然、動かないから走ってきたんだ」
「それはご苦労さまです」
ベッドに座っていたはずのリルがオーブに水の入ったコップを差し出す。
「ああ、ありがとう」
オーブはコップを受け取ると一気に飲んだ。
「で、どなたですか?」
リルの質問にオーブ自身が答える。
「オーブ・クレンリッジ。オーブって呼んでくれ。あんたのことは朱羅から聞いてる」
リルは少し考えたあと、思い出したように両手を叩いた。
「ああ、貴方が月ですか。思ったより、お若いんですね」
その言葉にはディーンだけでなく朱羅も驚いた表情をした。
誰もオーブのことを教えていなかったため、本名を聞いただけで通称であるコードネームの月まで分かるとは想像していなかった。
そして極秘事項を知られていることに一番驚くべきであるオーブは照れたように笑いながら頭をかいている。
「オレのこと知ってるなんて、ちょっと嬉しいな。いっつも、月って言っても信じてもらえないからさ」
いや、喜ぶところじゃないから。と、いうツッコミが聞こえてきそうだが朱羅とディーンは黙っていた。
代わりにアントーン医師が会話に入る。
「なんだ、有名人なのか?モデルか?綺麗な顔してるもんな、嬢ちゃんは」
「オレは男だ!」
すかさず訂正するオーブにアントーン医師が豪快に笑う。
「おお!?そりゃ、悪かったな。小僧」
「わかれば、いい」
小僧と呼ばれてもオーブに不機嫌な様子なく、むしろどこか嬉しそうにも見える。
「で、どういうご用件ですか?」
リルの言葉にオーブが胸を張って答える。
「包帯を取るっていうから急いで来たんだよ。どうだ?目の調子は?」
「傷みはないですよ。少し違和感のようなものはありますが」
「そうか。包帯を取ったら、いろいろ検査するからな」
そう言いながらオーブがウキウキとカバンの中を探っている。そして、ペンライトからレンズ、携帯電話ほどの大きさの機器などを机の上に並べていく。
そんなオーブを無視して朱羅がリルの包帯に手をかける。
「外すぞ。目を閉じていろ」
全員の視線が集まる中、包帯の下から隠されていた左瞼が現れる。縫合した傷跡はあるが、うっすらと線がある程度で目立たない。
「腫れていないな。縫合の跡もほとんど目立たない。さすがだ、坊主」
アントーン医師の褒め言葉も朱羅は当然のように受け取る。
「変わったことはないか?」
朱羅の質問に、リルは両目を閉じたまま顔を朱羅のほうへ向けた。
「なにか……影のようなものが見えます。あれは……はっきりしてきました。…………ウソのようですが、皆さんの顔が見えます。色はありませんが、目を開けているときと同じように見えます」
その答えにアントーン医師とディーンが首を傾げる。
そこに楽しそうな顔をしたオーブがペンライトと携帯電話のような形をした機材を持ってリルの正面に屈んだ。
「よし、よし。そのままにしてろよ。結構、いい感じだ」
そう言ってペンライトの焦点を左目に合わせ、携帯で写真を撮るときのように機材を構える。
「眩しいか?」
「……いえ、眩しくないです」
オーブは計測を終えるとペンライトだけを下げた。
「よし!このまま、ゆっくり目をあけてみろ」
言われるまま、ゆっくりとリルが両目を開いていく。
リルの瞳に少しずつ光が目に入ってきて、色が見えてくる。そして完全に瞳を開けた瞬間、左眼から入ってくる景色が一変した。
まるで猛スピードで走っているように景色が流れていく。
数メートル先にある部屋の窓を飛び越し、むかいのビルで働く人の姿が見えたかと思うと、そのビルを過ぎ去って、その奥にある学校、その中の教室で勉強する生徒の姿。
しかも生徒がノートに書いている字まで、はっきり読めるほど見える。そして教室を通り抜け、車や人が歩く道路、橋がかかっている川、その先にある海、と見えないはずの風景が飛び込んできた。
その異常な事態に、リルが左眼を押さえてベッドに倒れ込んだ。
「どうした!?」
慌てて近づこうとするディーンを朱羅が止める。
「同調率が高すぎだ。下げろ」
朱羅の指示にオーブが冷静に頷く。
「とりあえず……五十、下げるぞ。悪いな、ちっと我慢しろよ」
オーブは左目を押さえているリルの手を外して、先ほどと同じように携帯型の機材を構える。
少しずつダイヤルを動かすごとに強張っていたリルの体から力が抜けていった。
オーブがいつもの軽い笑顔でリルに声をかける。
「これで、どうだ?普通に見えるだろ?」
「……はい」
リルがゆっくりと体を起こす。
リルの左眼が全員の顔を映したとき、二つの声があがった。
「ほぉ~」
「なっ!?」
感心したようなアントーン医師のため息に、息を詰まらせたように驚くディーンの声。
その両極端な反応に、さすがのリルも少しだけ不安そうな表情をする。その様子に朱羅が鏡を渡しながら説明した。
「本当は同じ色にしたかったのだが、色がそれしかなかったんだ」
リルは朱羅に渡された鏡を見て、少しだけ瞳を大きくした。




