第六話 侵食する闇
テストとかありましたが更新出来ました!良かったー。初めてちょっとだけ戦闘シーンも入ります。
*
風。
土を巻いて地面に降り立つ。
やがて成長して術者は具現化する。
少女の目の前に。
*
“――それが本当の願いなら”
僅かに薄暗くなった病室。陽は今は静かに眠る母親を虚ろに眺めていた。白いシーツの布団から片腕がはみ出し、指先から手首にまで巻かれた包帯が露になる。解けかかっている包帯をそっと直し、手の平を見詰め続けた。
「俺は……俺の願いは……」
意識せずに、言葉が吐き出される。
(……俺の願いは、母さんの笑顔を取り戻す事だ)
このまま、夢と現の狭間を彷徨っていては決してそれは叶わない。平穏で幸せな以前の様な暮らしを送ってほしい。…記憶さえ戻れば。
「…?記憶、さえ……?」
ピリリリリリ。
無個性な着信音が鳴った。思考は一旦停止され、陽は鞄を弄りスマートフォンを乱暴に掴み取る。液晶に表示されたのは友人の名前だった。
「もしもし。佐々木か」
『一条お前、今日何処行ってたんだよ!お前普段サボりなんかしない奴だろ、ちょっとした騒ぎになってたぞ。……もしかして今病院、だったりするか?』
「…あぁ、まぁな」
佐々木は無意識か、気遣うように声を潜めた。電話越しではあまり意味など無いと思うのだが。
『そっか、じゃあ病室で通話は不味いよな。……一体何があったんだよ?宝生さんも一緒に…まぁお前の事だから何か理由あってだろうし、あんまり深くは聞かないけどさ…ちょっと最近、ほんとにおかしいぞ?』
「……悪い。でも心配するような事じゃないし、大丈夫だから」
陽は平然とした口調で嘘を吐いた。
『…あぁくそっ!わぁーったよ。明日もちゃんと学校来いよ。じゃあな、用はそれだけだ』
「ああ、また明日な」
通話終了ボタンを押し、深く溜息を吐く。今日は緊張感が高まっていたせいか疲労感にどっと襲われる。
「何がしたいんだろー…な、俺」
硝子の瞳を煌めかせて恍惚と嗤う、黒髪の少女の姿が脳裏をよぎる。
「何者なんだろ、あの人」
*
『もはやただの間抜けだな』
「―ぅるっさいよ、ちょっと油断しただけでしょ」
鮮血に染まる右肩の傷を左手で庇いながら、彼女は苦々しく呟いた。
制服の袖は出血部分を中心に大幅に切り裂かれており、スカートの裾は一部焼け焦げた様な痕が見られた。
現在も次々と襲いかかる鋭利な風の斬撃をステップを踏む様に紙一重でかわしていく。
攻撃を放っているのは―目前の黒い影だ。
まさかいきなり奇襲を掛けられるとは予想していなかった。
「使い魔ね。それも主は相当力のある。……ねぇなんとかならないノワール?」
『無茶言うな。こちとら時計だぜ。――それとも、俺を解放すっか?』
「…はぁ。無理ねー。面倒くさいなぁ…。ノワール、今の時刻は?」
いかにも億劫そうに質問する少女に、これまたやる気の無い声が答える。
『五時四十三分。まだ十五分くらいあるぜー』
「じゃ、それまでに片を付けようか」
一瞬風が止む。そしてもう一度、敵が今度はより強力な術を仕掛けようとする前に、アケは態勢を即座に立て直し、強烈な勢いで地を蹴り相手に突進して行く。
左手の内に緋色の炎が燃え盛ったかと思うと、そこから鋭い刃をもつ刀が具現化される。
敵が次の攻撃の一波を放つと同時に、アケは“空気を蹴り”身体を反らして宙を回転する。実際は一秒も満たない時間に行われた動作だが、隙がなく鮮やかで時が止まったと錯覚させるほどに美しく隙が無い。
弧を描く赤く色づいた唇。
影の後方に回り込んだアケは身体を半回転捻り相手の背中に向く。そしてそのまま刀で綺麗な線を描いて斬りつけた。
炎が立ち上る。影は崩れ落ち、やがて跡形もなく空気中で融けていった。
「目には目を、歯には歯をってね。よくも私のガトーショコラを台無しにしてくれたね?」
恨みがましい目で既に何も無くなった空間を睨みつける。ノワールは呆れた声を上げた。
『あー、やっぱり本音はそっちなのか。まぁいーけどよ。
それよりどうするよ?もしかしたらあの少年がヤバいかもしれねぇぜ?』
*
「そろそろ帰るよ。また明日。母さん」
母に軽く別れを告げ、彼は立ち上がる……が、突然立眩みに襲われその場に崩れ落ちた。
『――ねぇ、矛盾していないかしら?』
「うっ…」
酷い耳鳴りと共に頭に流れ込んでくる聞き馴染みの無い女性の声。
『貴方は母親の幸せを願う……それなのに記憶なんか取り戻したら、却って不幸に突き落とされてしまうのではなくって?』
(――誰、だ)
艶めいた、なぶる様な言い回しで、“それ”は精神の中枢に入り込んで来る。
耳元で何かが這いずる様な、酷い不快感。
『こう考えた事は無かった?母親は…自分を憎んでいるから、貴方が要らなかったから…自分を忘れたんじゃないかって』
頭が割れそうなのに、拒否出来ない。
(五月蠅い。黙れ)
『その事実を、貴方は認めたくなかった。だからなんとしてでも思い出してほしかった。だけどね、以前の様なって言うけれど、実際は…貴方が母親に本当に笑いかけられた事なんて、一度も無いのよ。この母親はずっと違う人を見続けていた』
「――黙れっ!」
力任せに椅子を床に叩き付けた。しかし声は依然として響く。更に厭味ったらしく、そして甘美に。
『だったら何故、今だあの男の名前を母親は呼ぶの?貴方を忘れた後でも、よ?』
侵食する声にもはや何も言い返せない。ただじっと耐えるしか。
『あの男がさぞかし憎いでしょうねぇ?母の心を捕え続ける、自分を捨てた貴方の父親が。そしてそんな男を追い続ける母親も』
「違う……お、れは」
微かな反論を絞り出す。この先は絶対に――――聞きたくない!
『じゃあなぜ、母親が再び歩けるようにと、怪我が治るようにと願わなかったの?』
「っ!」
『ほら、矛盾してる。ふふっ…蘇生屋なんかに頼まなくても、貴方の本当の望みを叶える良い方法を教えてあげるわ。
父親か母親、どちらかを消せばいいのよ』
一章終結にどれだけ時間掛かるんでしょうか。十話ぐらいで終わると良いなぁ。