第二話 依頼
***とある日の病室
「今日は新しい花を持って来たよ。いつもの花屋でさ、あの人も元気そうだった」
此方を向いていながら自分を顧みない虚ろな瞳。無論、声など届く筈もない。
「新しい花瓶も持って来たんだ。前のは割っちゃっただろ」
今日も変化は起こらない。
「だから今度はこれに生けてお――」
高い音と共に砕け飛び散る破片。
陶器を叩き落とした女性の手から、赤い液体が流れる。
彼はただ冷淡に見つめていた。
***
「――それで、貴方は?」
少女はティーカップを口元に持って行き、一口、“淹れ立ての緑茶”を啜った。
「え、あの……それって?」
しどろもどろになりながら、少年は問うた。
「だから、貴方の名前よ。依頼をするのなら、まず最初に名乗るべきだと思うけど?」
「いや、えっと、はぁ……。い、依頼って、え……?」
少年は今まさしく混乱状態に陥っていた。彼は現在、少し古びた深緑のソファに座らされ、目の前のテーブルには“紅茶”が淹れられたティーカップが置かれている。そしてテーブルを挟んで、少女は革張りのシングルソファに腰掛けていた。
此処に辿り着くまでの記憶は何故か曖昧だ。
道筋は殆んど覚えていない。歩く間中目が廻る様な不快な感覚が付き纏い、気が付いたら小さな店の前に立っていた。
レンガ造りの壁。周辺のプランターには薄紫の小花が植えられている。赤いドアや窓に嵌め込まれたステンドグラスは幻想的な雰囲気を演出していた。
一目見た時お伽話の家みたいだと感じた。店だと分かったのは看板が立て掛けられていたからだ。
――――アンティークショップ Rosemary――――
そして今に至る。
「……それじゃ、もしかして貴女が“魔女”!?」
「紅茶は飲まないの?やっぱりカモミールティーよりもアップルティーにした方が良かったかしらね。あ、私個人は日本茶が一番美味しいと思うのだけれど。でもこの緑茶の茶葉は特別なもので自分専用にしてるからちょっとお出し出来なくてね…」
少年の驚愕を余所に少女は思案し始めている。人の話をあまり聞かない質のようだ。
(この子が本当に……?)
どうにも信じがたい。
魔女、という単語から陰鬱な老婆を想像していたのだが、少女の容姿はどう見ても少年と同い年、若しくは年下に見える。とすれば精々十代半ば頃の筈だ。
しかし、少女の服装は、袖口と胸元にレースをあしらった珈琲色のブラウスの上にワインレッドのワンピース、その上にストールを羽織っているという(いわゆるクラシカルロリータというスタイルだったのだが)“らしい”と言えばらしい格好である。
流れる漆黒の髪に少し色素の薄い瞳。まるで名匠が精密に造り上げた人形のように整った面立ち、白磁の肌。絵画から抜け出たような神秘的な美しさ。
少年はというと、学生服に膨らんだ鞄から学生である事は明白だ。そこそこに端正で育ちの良さそうな見目をしているが、現在は動揺の為か情けない表情で固まっている。
「あぁ、茶菓子を用意するのを忘れてた。そうよ、昨日買った限定モノがあったんだった。ねえ君」
「ぅえ、はいっ!?」
「パウンドケーキとマドレーヌだったらどちらがお好き?」
「え?えぇとあの……」
「じゃあティラミスね」
「は?」
選択肢関係無いじゃないか。
少女は愉快そうに立ち上がり、二人分の皿を取り出しに店の奥の食器棚に向かった。
(何なんだ、いったい……。こんな所で俺の望みが叶えられるのか?)
少年は段々と苛立ちを覚えてきていたが、堪えて少女に向き直る。
「……あの、此処が『蘇り屋』なんですか」
戻ってきた少女は皿を少年の手前に置き、動きを止める。目を瞬かせ、そしてゆっくりとした動作で席に着いた。
「だから、この店に来たんじゃないの」
少年を出迎えた時と同様の微笑みを湛え小首を傾げる。口調は問い掛けではなかった。
「でも、いくら探しまわっても辿り着けませんでした。なのに今日、偶然……」
「歌を聴いたのね?」
「……!はい」
やはりそうなの、と少女は呟いて溜息を吐いた。意味を理解しかねて少年は怪訝な表情になる。
「“彼女”も気分屋だからね。その時の貴方が気に入られたんでしょうね、うん。この空間はあの人の“意志”が強すぎて、自力で辿り着くのは不可能になってしまっている。まぁ一度許しを得られた人なら大丈夫だから、問題ないよ」
「?はぁ……」
「つまり、今の話はあんまり気にしなくて良いってこと。独り言だとでも思って」
じゃあ口にだすなよ!と突っ込み所は満載だったが、話が脱線しないように少年はひとまず聞き流すことにした。その様子を眺めて少女はくつくつと笑う。
「色々と不満顔だね、一条 陽クン」
「!?…ごほっ!」
思わぬ不意打ちで口に含んだ紅茶をはずみで飲み込み、むせて咳込む。
「大丈夫?」
「……って、なんで名前!名乗ってませんよ俺!?」
(魔術でも使ったのか!?)
焦りと共に一瞬期待が駆け巡る。そんな少年の心情を察したのか少女は小さく苦笑した。
「言っとくけど何かしらの力を使った訳じゃないわ。確かに私は貴方達から魔女と呼ばれてはいるけれど、そんな御大層な能力を持ってはいない。私、『蘇生屋』は特に制限も多い」
「蘇生屋……?」
「そう。この町の噂は聞いているでしょ?私が出来る事は、望まれた“何か”を“蘇らせる”、それだけ」
「じゃあ、なんで俺の名前……?」
陽の質問に少女は呆れた面持ちになった。
「まだ気が付いてないの?」
「え?」
「ま、そっか。分かるわけないよね、そりゃ。その内分かることだしいいわ」
「はぁ……」
陽は既にまともな会話を放棄した。この少女の不可解な言動に付き合っていたらきりがないと早々に悟ったのだ。
それに彼女の正体がはっきりと明らかになった今、するべき事は一つだった。彼は真っすぐ目を据えた。
「じゃあ、あらためて……俺の名前は一条 陽といいます。貴方にお願いがあって、来ました」
「ええ。私が蘇らせる事が出来るものなら、」
「私は此処アンティークショップ・ローズマリーの店主、アケというわ。
さて、貴方の望みは?」
陽はひとつ頷いた。
「母を、蘇らせてほしいんです」
名前だせたー!