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第八話 リュシオンの企み

 深夜、アレクの居室のドアをノックする音が響く。

「入れ」

 手もとの書類から目を離すことなく返答する。こんな夜更けに皇帝の居室のドアを遠慮もなく叩く人間など、やつ以外に考えられない。

 ドアが開く音がして、アレクはようやく書類から目を離した。火急の案件については公務内に読むことにしているのだが、火急でないとされている書類でも、気になったものについては、居室で眠る直前まで目を通すのが、最近のアレクの習慣になっていた。この時間、リュシオンが例のものが入ったグラスを手にアレクの居室を訪なうこともまた、いつもどおりだ。

 しかし、その夜、彼は盆を手にしていなかった。

「陛下、明日、シャルロ山へ妃奈様を同行すると聞いたのですが。しかも、その後、彼女を国に戻す約束をしたと……。それは本当でしょうか?」

「耳が早いな。リンから聞いたのか?」

 リンはリュシオンの親せき筋に当たる女らしい。妃奈の動向をリュシオンの耳に逐一入れているのだろう。

 アレクが肯定すると、リュシオンは、たちまち顔をしかめ回れ右をし、ドアを薄く開いて近くに衛兵がいない事を確認すると、再び厳重にドアを閉めるや否や、声を荒げた。

「何考えてんですかっ、あなたはっ」

 人払いをした部屋にリュシオンの無礼な言葉がとぶ。


 先の大嵐の時のことだ。増水したアルビオン川が、夜半に警戒水位を超えた。あの時、アレクが、あれほどまでに強大な魔力を発動できなければ、王都の西側に広がる穀倉地帯の半分は水没していたはずだった。山頂にある城に限れば水没する心配はなかったが、豊かな平野を蛇行して流れるアルビオン川の弧の外側には、広大な穀倉地帯が広がっており、まさに収穫の時期を迎えていた。そこが水没してしまえば、その損害は一年や二年で回復できるような生半可な被害ではすまなかったはずだ。それほどまでにひどい、史上稀にみる大嵐だった。

 すべては、妃奈のお陰なのだ。

 レムス国の王族は、魔力を発動する為に、人の血を必要とする。だから人は、王族に魔力で守ってもらう代わりに、血を提供する。この国では、人々は王族を神のように恐れ敬う。生き血を啜る魔物として恐れ、魔力を行使する庇護者として敬うのだ。

 この国で、金色の髪は魔力を使える王族のしるし。魔力を使う王族以外に金色の髪を持っているものはいない。王都に降りて、自分の金色の髪を見た人々の瞳が、恐れと敬いとに揺れ動く様を見る度、アレクはため息をつく。

 余は血など飲みたくはないのに……。

 無論、王族の中には血を好み、それ以外を口にしない者もいる。しかし、アレクは違った。


「妃奈様を国に返して、また、あのように強力な魔力が必要になった時には、どうするおつもりですか? 再び彼女をすぐに召喚できる保証はあるのですか? 彼女の血だったからこそ、あれほど大量に摂取できたのではないのですか?」

 畳みかけるように疑問を連発するリュシオンに、アレクはため息をつく。

「妃奈の召喚は想定外のものだった。妃奈の国がどこにあるのかが分からぬゆえ、確かなことは言えぬが、妃奈に約束を取り付けておけば、それは不可能ではなかろう? それに、余程の急ぎであるなら、おまえの苦い血をもらうことにしよう。おまえの血は、苦さだけを我慢すれば、後で気持ち悪くなることはないからな」

 自分は特異体質なのかもしれない。アレクはよくそう思う。動物を使役する等の軽微な魔力であれば、血など摂取せずとも使える。日常生活は困らない。しかし、皇帝としてその座についてしまえば、より強力な魔力を使わねばならぬ場面が少なからず出てくる。

 だからこそリュシオンは、香り高いワインに混ぜ込んで、無理にでも飲ませようと寝しなに運んでくるわけなのだ。

「痛い思いをして血を差し出して、気持ち悪くなったと言われるよりはましですが……」

 リュシオンは深いため息をついた。


 ――アレク、まだ食べていないのか?

 テオの言葉にアレクは顔を顰めた。二人がまだ十代の頃の話だ。

 目の前には、フレッシュチーズをふんだんに使ったトルタと、アレクの好きなシーブ・イッサヒル・アメルのジュース。どちらにも血が混ぜ込まれている。いずれも血を飲むことを拒否するアレクの為に用意されたものだったのだが、当のアレクは一口齧るなり、吐き出した。

 双子の兄弟だったアレクとテオは、幼い頃から、どちらが帝位についても良いように平等に育てられた。いずれ劣らぬ皇子たちだと周囲はほめそやしたが、魔力の使い方の巧みさや、弓や剣や、勉学においても、テオには一歩及ばないとアレクは常に感じてきた。唯一、アレクが弟に優っているものがあるとしたら、味覚の繊細さだろうか。

 ――テオにやる。こんなもの、気持ちが悪い。

 アレクは目の前にあるトルタの皿を押しやった。テオは躊躇することなく皿に手を伸ばす。

 ――これ血の味するか? ただのチーズトルタだろ。

 そう言いながら、テオはトルタばかりか、ジュースもあっという間に平らげた。愚鈍な弟の舌がうらやましい。味覚など、いくら勝っていても、これでは逆に劣っているといってもいい。

 ――しかし、血も飲まずによく魔力を使えるよね。アレクの血嫌いが治れば、始皇帝をもしのぐ魔力の使い手になるんじゃないかって、みんな言ってるよ。

 ――魔力なんか使えなくてもいいよ。おまえが皇帝になればいいんだ。


 そう言っていた自分が、今では皇帝だ。運命とは分からぬものだと首を振る。

 テオは皇位継承権を保持したままとはいえ、臣に下り、現在、辺境伯として北の国境を守る任務についている。結局は、一歩先に世に生まれたということが大きかったらしい。弟の勇猛果敢さや気性の激しさが、裏目に出たという者もいるが、その資質は大いに国に資することになるはずなのだ。

 いつか……。

 アレクは密かに思う。

 いつかこの国をテオに任せられる日がくれば、と……。


 リュシオンがため息をつきながら首を振っているところに、再びドアをノックする音が響いた。

 リュシオンと誰か衛兵らしきものが、ひそひそと話す声が夜の静寂(しじま)に響く。首を傾げてドアに視線を向けると、リュシオンは何やら大きな荷物を受け取って戻ってきた。肩に担いだその荷物を、リュシオンはそっとアレクの寝台に横たえた。

「リュシオン、それはなんだ?」

 フランネルの生地に包まれたその荷物の布を剥がすと、中からぐっすりと眠っている妃奈が出てきた。

「なっ、何を持ってきたのだ?」

「妃奈様です」

 そんなの、見れば分かるわ。

「それは見れば分かる。何故、妃奈を連れて来たのかと訊いている」

「明日は大事な日なのです。今夜、妃奈様の力を借りずしていつ借りるのですか」

「……妃奈はこのことを?」

「お知らせしておりません。リンが良く眠れる薬をお持ちしたので、朝までお目覚めにはならないでしょう。気づかれる心配はないかと存じます。妃奈様に、知られたくないのでしょう?」

 リュシオンは口角をくいっとあげて笑む。

 むぅ、姑息なことを……。


 妃奈の血は飲まぬと言うたのに。しかもこの前、要職に就いているものから順番に我慢して摂取すると宣言したばかりだ。なのに、リュシオンめ! 余の命令を無視するつもりかっ。


 レムス国皇帝アレクシオスは監禁されていた。といっても、謀反ではない。閉じ込めたのは、彼の右腕である忠臣リュシオンであり、閉じ込められている場所は皇帝の居室、つまり自室である。

 ――陛下、アデル様にお願いして、窓にもドアにも封印の魔法を施していただきました。妃奈様の血を召し上がれば、このような封印、陛下ならばいとも容易く解除できることでしょう。明日の朝には、ご自身の力で部屋から出て来て下さいませ。お待ちしております。では、おやすみなさいませ。


 おやすみなさいませ、じゃないだろう。

 アレクはギリッと奥歯を噛みしめた。

 しかもアデルめ、リュシオンの言いなりになるとは……。助け出してやった余に、なんという恩知らずなことを。むむむむ。

 アデルは、他国に嫁いだ姉の末娘だ。今は、アレクの第二王妃として双翠宮の一室で暮らしている。後継者争いで殺伐としていたシノン公国で、陰謀に巻き込まれそうになっていたアデルを、第二王妃としてアレクがレムス国に連れ帰ったのは、もう五年も前のことだ。

 あの頃は、まだ十歳で、可愛いばかりだったアデルも、年頃になり扱いが難しくなってきた。あまりとうが立たぬうちに下賜した方が良いのかもしれぬと、リュシオンあたりを考えていたのだが、この二人、一緒にしたらロクなことにならぬやもしれぬ。アレクは唸る。

 アデルは姉に良く似ていて、金色の髪をしている。つまり、魔力を使えるレムス王族の血を色濃く受け継いでいた。それも魔力使いとしての筋が結構良い。リュシオンの血を毎晩数滴飲んで魔力を保っているアレクに、勝るとも劣らない力を発動させることができる。

 ドアや窓にかけられた封印を解除しようと何度か魔力を使ってみたが、微かに軋んだだけで開く気配はない。

 ベッドの上にはぐっすりと眠りこんだ妃奈。一口でも血を飲めば、こんな封印など簡単に解除できるのだが、一口でも飲めば、それだけでは済まなくなるのは目に見えていた。前回がそうだったのだ。

 前回、欲望のままに血を啜り、妃奈は一週間もの間、昏睡状態に陥った。次は死なせてしまうかもしれぬ。王族に捧げられて、血を啜られた揚句、死に至る者など珍しくない。

 アレクは頭を抱え込んだ。

 明日は、ともにシャルロ山へ行くつもりなのだ。今年のシャルロ山詣は気が重かった。一人では行きたくなかったのが一番の理由。まぁ、それだけではないのだが……。しかし、それも肝心の妃奈が昏睡状態では、シャルロ山へ連れて行けぬではないか。

「妃奈、妃奈、起きよ」

 名を呼び、何度も揺すってみたが、目を開ける気配はない。

 揺すっているうちに、妃奈の温かな肌の触り心地や、髪の匂いに、堪らない気持ちになってくる。気づくと、魔物の本性を封じている耳飾りを、無意識のうちに外しそうになっている自分がいる。

 ダメだ、ダメだ。

 慌てて耳飾りを再度きっちりと装着し、一旦、窓際まで退却すると、胸に手をあてて大きく深呼吸をした。

 血を欲する王族の気持ちを、この歳にして、経験することになろうとは……。

 あの大きく開いた胸元の布を引きちぎり、温かく柔らかい首筋に喰らいつきながら、妃奈の何もかもを奪いたくなる。この獰猛なまでの欲望は、一体どこから湧いてくるのか。

 せめて外の冷たい風にでもあたろうと、窓に手をかけて悪態をつく。

 くそっ、窓にも呪がかけられているのだった。

 再び、ドアの呪を解除するのに魔力を使い、窓を解除する魔力を使い、しまいにはドアに体当たりをし、それでも開かないと分かると、部屋の中をウロウロとうろつきまわった。

 リュシオンめー、アデルめー、どうしてくれよう。ぐぬぬぬぬぬ。

 妃奈が寝がえりを打つのが見えた。

「んんっ、◎×※……」

 無邪気な顔をしおって……。

 アレクは観念したようにベッド腰を掛けた。穏やかな寝息。胸元には煌めく銀竜の翼。

 愛おしげに、そのネックレスを指でなぞる。

 妃奈の呼気には、幽かにワスレグサの匂いが混ざり込んでいた。

 眠り薬の薬草を飲まされたのか。しかし、ワスレグサ程度のものであるなら、さほど深くは眠っておらぬはずなのだが……。

 辺りを見回すと、先ほど女官に運ばせてあった火酒が目に留まった。

 気付けになるかもしれぬ。

 アレクは澄んだ琥珀色の液体をグラスに注ぐと、妃奈を抱き起こして、その口元に押し当てた。が、何せ揺すっても起きないほどに眠り込んでいるのだ。液体は口の中にさえ入らず、唇から零れた。

 仕方がない。

 アレクは火酒を一口含むと、妃奈に口づけた。舌で唇を割り、むせぬように、舌で喉の奥に液体を誘導する。

 コクリと小さく喉が鳴る。睫毛が僅かに揺れて、妃奈が目を覚ました。ぼんやりした様子で、アレクを見上げる。

 目覚めたのだから、もう口づける必要などないはずなのに、やめたくなくて、やめられなくて、妃奈がぼんやりしているのをいいことに心のままに唇を合わせ、舌を絡めた。

 やがて目覚めた妃奈の瞳に動揺が浮かぶのを見て、ようやくアレクは唇を離した。

「……アレク?」

「そちは、眠り薬を飲まされて、ここに連れてこられたのだ。今、気付けの酒を飲ませたところだ」

 しかつめらしく説明すると、妃奈は驚いた様子で起きあがった。しかし、その動作の勢いのよさに避けきれず、妃奈の唇がアレクの顎にぶつかる

「きゃああ、すみません、すみませんっ」

「しーっ、大丈夫だ。分かったから、静かにせよ」

 コクコクと頷いて、口を両手で覆う妃奈に失笑する。ところが、その瞬間、どくんと自らの体に力が湧いたのを感じて、アレクは瞠目した。

 妃奈に飲ませたアルコールのせいか? いや、そうではない。たぶん。

「陛下? 大丈夫ですか? どうかし……」

 不安そうな妃奈の言葉を手で制して、アレクは窓辺に歩み寄った。封印に利き手を乗せ、呪を唱える。カタリと小さな音とともに、窓の封印が解けた。窓を全開にし、外の冷ややかな空気を胸一杯に吸い込む。

「開いた!」

 そう叫んで妃奈を振り向くと、少し引き気味の笑顔が返ってきた。

「窓、壊れていたんですか?」

 とんちんかんな反応に、ガクッと拍子抜けする。しかし、そちのふりまく香りのせいで、危うくそちを殺してしまうところだったのだ、などと言う訳にも行かず、まぁ、そのような状態だったのだと言葉を濁した。

 まぁよい、窓さえ開けばこちらのものだ。余にこのような仕打ちをしたことを後悔させてやる。

「妃奈、ここを脱出する。少し早いが、今からシャルロ山へ向かうぞ。そちは、適当にクローゼットの中から上に羽織るものを探し出せ。余のものだから少しサイズが大きいかもしれぬが、それなりに着れるものもあろう」

「え? 今からですか?」

「急げ。夜が明ける前に脱出するぞ」

 そう言い置いて、アレクは部屋の片隅にある小机に向かった。

 書き置きくらいは書いておいてやる。せいぜい大騒ぎするがよい。

 アレクはニヤリと笑んだ。


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