表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/66

番外編② 日常と非日常

 庫裡くりで大根を洗っていた妃奈は、ふと窓の外に視線を投げて目を細めた。裏庭の桜がもうそろそろ満開だ。早いもので、アレクと銭塘君が現れた冬の日から、もう二度目の春になる。

 ガラリと音がして、和尚様が長めの段ボール箱を運んできた。

「妃奈さん、ふきはここに置いて良かったかな?」 妃奈は振り向いて頷くと微笑んだ。

 妃奈と呼ばれることにもすっかり慣れた。たぶん、和尚様も妃奈と呼ぶことに慣れたと思う。

「わぁ、立派な蕗ですねぇ」

 箱の中には早緑色さみどりいろの蕗がぎっしり詰まっている。

 寺には小さな宿坊が付いており、宿泊客には精進料理が振る舞われる。調理するのは和尚様のお弟子さん方数名と雇いの料理人なのだが、妃奈は食材の下処理の手伝いをすることにしていた。最近では簡単なものなら調理もする。

 身元の分からぬ自分を助けてくれて、その上、離れに住まわせてもらっているお礼のつもりで始めた仕事だったのだが、和尚様がお給金をつけてくれるようになり、それはいつの間にか妃奈の生業なりわいとなっていた。


「ところで、妃奈さん、アレクか銭塘君に頼みたいことがあるんだが、どこかな?」

 アレクも銭塘君も頼まれれば寺の仕事を手伝う。二人とも、薪割りだろうが、屋根の修理だろうが、掃除だろうが、大抵のことは何でもこなす。

 特に掃除はアレクの一番のお得意で、掃除機の届かない隙間までピカピカだと評判なのだ。初めて手伝ってもらった時、掃除機のスイッチを押した途端、服を吸い込まれて大騒ぎした御仁とはとても思えない熟練ぶりだ。藍染の作務衣さむえをさらりと着こなし、堂に入った様子で本堂の掃除をしている様は、日本の田舎に心酔した外国人芸術家にも見える。

 ――雀は実によく働く、が、鳩はちょっと怠惰だな。太り過ぎなのかもしれぬ。

 掃除の後、銭塘君にそう言ってたのが少し気にはなっているけれど……。

 一方、屋根修理は銭塘君のお得意で、彼の身軽さは和尚様でさえ舌を巻くほどだ。本堂の屋根は高いし傾斜もある。傷みはしていたものの、先立つものの工面がつかず、その場しのぎで長年やってきていた。なのに銭塘君ときたら、梯子はしご一つで屋根中をくまなくチェックして、問題箇所の修理をあっという間にやってしまった。お陰で、あの身軽さは神憑かみがかっていると、専らの評判だ。

 それ以外でも、二人とも何でもそつなくこなすものだから、和尚様の信頼は篤い。高齢化が進んでいる寺の運営状況を考えれば、二人の出現は天の助けにも思えるのかもしれない。

「では、どちらでも良いから、帰ったら本堂の方に来てほしいと伝えてくれるかな?」

 和尚さんも妃奈と同様、最初の頃は、彼らのことを胡散臭いと思っていたようだけど、今ではすっかり二人を頼りにしている。妃奈の身元が分かってからは、祖父が同業者だったこともあり、ほとんど身内のように接してくれていた。

「はい、伝えておきます」

 妃奈は笑顔で頷いた。


 今、アレクはアレックスを連れて山菜採りを兼ねた散歩に出かけている。アレクは山菜の知識も豊富で、この季節にはよくアレックスをつれて山歩きをする。銭塘君は下の街をぶらぶらしてくるというので、ついでにアレックスが欲しがっていたノートと消しゴムを頼んである。

 二人は、特に職に就いてはいなかったが、寺の手伝いをしたり、農作業をしたり、炭焼きをしてみたり、山菜を採ってきたりと、のんびり思い思いの作業を楽しんでいる。

 聞けばパスポートも無いようだし、当然、日本国民でも無いようで、戸籍も住民票もない。

 これって不法滞在になるのかな?

 一度、駐在さんが聞きに来たことがあったんだけど、アレクとしばらく話した後、笑いながら帰って行った。

 どう説明したまるめこんだんだろう。よく分からない。

 二人は世間的に見ればいわゆるニート状態なわけだけれども、特に何に困るわけでもなく暮らせているのだから、何も問題はなかった。光熱費等こそ妃奈のお給金から引いてもらっているが、食材に関しては、二人ともどこからか何かしらのものを毎日持って帰るので買う必要がない。しかも、今年小学校に上がるアレックスの為に、まとまったお金が必要だったときも、その日のうちに用意してくれた。

 王宮の宝石をいくつか売ったとかなんとか言ってたのが少し不安なんだけど……。

 妃奈には彼らの記憶がさっぱりなかったのだけれど、彼らは、特にアレクは、妃奈のことをよく知っていた。なんと言っても、アレクがアレックスのクレヨンと画用紙を使って描いた絵のお陰で、妃奈の身元が判明したのだから、それはもう疑いようがない。別の地方で寺の住職をしていた祖父と再会できたのは、ひとえにアレクのお陰だと言ってもいい。

 だけど、レムス帝国の話だけは、未だにまゆつばものだと思っている。

 どこの世界に竜とカラフルな髪や瞳を持つ人々が共存している場所があるというのか。そんなのラノベかマンガの世界だろう。


 身元が分かったにもかかわらず、未だにこの寺で厄介になっているのには理由わけがあった。

 妃奈の祖父もまた寺の住職をしていたわけなのだが、彼女の失踪以後、体調を崩して寺の経営を人に譲り渡していた。そして回復した後は、娘(妃奈の母)と孫(妃奈)の為に、一人で札所巡りを始めていたのだ。巡礼先で再会した祖父は、涙を流して妃奈の無事を喜んでくれた。妃奈ももちろん祖父との再会は本当に嬉しかったが、なんと言っても、祖父に会うことで、昔の記憶が戻ってきたのは、本当に嬉しくて安堵できることだった。

 小さい頃の自分、母のこと、父のこと、そして友人たち。会社に勤めていたことも思い出した。 だけど……。

 アレクや銭塘君と出会った頃のことだけは、どうしても思い出せないままだ。

 アレクと、どこでどんな風に出会って、どんな風に愛し合ってアレックスが生まれたのか。

 自分を捜し出してくれて、アレックスにも自分にも、既に返せないほどの愛情を注いでくれるこの人のことを、どうして忘れてしまったのか、どうして思い出せないのか……。

 そう言って泣く妃奈に、それ程大変な事態だったのだから仕方がないと、アレクは根気よく慰めてくれた。何度でも。

「そちは覚えていなくても、余が覚えているのだからそれで良いではないか。知りたければ、余が何度でも話してやる。思い出は、今から未来に向けて積み重ねてゆけばよい」

 そう言いながら抱きしめてくれる手は、大きくて、少しゴツゴツしていて、温かい。

 とても安心できる手だ、と妃奈は思う。同時に怖くもなる。この手を失ったら自分はどうなるのだろうかと。アレクが現れる前の自分にはもう戻れないと思う。アレクが現れる前の、一人でアレックスを守っていた頃の自分には。

 だからレムス帝国の話は、少しだけ妃奈を不安にさせる。


 今は祖父の巡礼の旅が終わるのを、この寺の離れで暮らしながら待っている状態だ。

 数年すれば、アレクや銭塘君の言うレムス帝国も新しい皇帝の下で落ち着いて、戻れる状態になるだろうから、その時が来たら、祖父御も一緒にレムス帝国に移住してはどうかとアレクは言う。

 前皇帝である自分がいれば、新皇帝である弟のテオもやりにくいだろうし、自分を利用しようと言う輩も出てくるだろうから、今は帰りたくないとアレクは考えているのだそうだ。

 アレクには双子の弟がいるらしい。

 その話を聞く度に、妃奈は「そうですね」と軽く返事をしておくのだが、内心、不安で仕方がない。アレクが自分を置いて、どこか知らない妃奈が行けないところに行ってしまうんじゃないかという気がして。

 もう本当のことを話してくれればいいのにと、不満に思ってしまう。

 彼がどんな身分の人であれ、何をしてきた人なのであれ、もうアレクのいない生活など考えられないのに。もし仮に彼らが国を追われた身であったとしても、妃奈は受け入れる覚悟でいるのに……と。

 それに、なんと言ってもアレクは、妃奈の身体に宿っている新しい命の父親でもあるのだから。

 だから、早く本当のことを話してくれるといいなと思っている。

 まぁ、何はともあれ、しばらくはこのまま穏やかに暮らせることが、妃奈の一番の願いなのだけれど。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ