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第五十八話 契約の実

 日に一度、王宮で会議は開かれる。それは王族と竜族が合同で行う会議だ。ということはつまり、そこに至るまでに、それぞれで意見をまとめる必要がある。よって王族、竜族それぞれでも会議を行う。

 妃奈が竜妃として王族の組織に組み込まれた公式行事からひと月、妃奈は、そのどちらの会議にも出席することができた。

 現在、妃奈の滞在する部屋は王宮にある。双碧宮でも双翠宮でもなく、王宮の、妃奈が一番最初に客人としてあてがわれていた部屋だ。

 半ば拉致されるように双碧宮に連れ去られそうになっていた妃奈を引き留めて、王宮の客間に滞在させるよう提案したのはアレクだった。

 妃奈としては、双翠宮の元居た部屋に戻りたかったのだけど、慎也が難色を示したのだ。

 王族の後宮である双翠宮に妃奈がいると、金竜の強運の均衡が王族に傾きすぎると言うのだ。

 そんな荒唐無稽な、あるかどうかさえ分からぬ力のせいで、住居まで決められるのはどうかと思ったが、双翠宮に部屋を用意するのであれば双碧宮にも用意すると言って引かない慎也に、妃奈は音を上げた。

 いいよもう、私は王宮にいるよ。温泉がないのは痛手だけどさ。

 双翠宮の温泉が恋しかった。ちなみに、双碧宮には泉がある。でも、鳥じゃないんだし、水浴びができると言われてもピンとこないよね。

 慎也はこの世界で何をする気なんだろう。

 慎也が何を考えているのか分からないけれど、今のところ、特に何かを仕掛けてくる気配もないので様子見だ。

 それに、王宮に滞在していて良いこともあった。

 竜妃という肩書きは絶大だ。王宮の中を勝手にうろつき回れる。客人だった頃にはとうていできそうになかったことだ。もっとも、誰かしらお付きの者はいるので、全くの自由で、何でも好き勝手にできるというというわけではないけれど。

 妃奈は僅かな空き時間を利用して、あちらこちら歩き回った。

 歴代の皇帝の肖像画がずらずらと掛けられている部屋や、舞踏会に使うのだろうと思われる大広間、金竜とレムスを描いた肖像画のある部屋もあった。銭塘君らしい黒竜も描き込まれている。

 銭塘君ってば、最近見かけないけど、どうしてるんだろう。

 銭塘君は会議にさえ出席していなかった。


 すみれ色の穏やかな夕べ。

 ひとり、列柱回廊から中庭へ出てみた。中庭にある銀白色の植物は、ロサルリアというのだと、庭師が教えてくれた。

 アレクの瞳と同じ色の花を咲かせるアレクの御印。

 今はただ、寒風に耐えるよう葉を縮こまらせている。

 アレクに……会いたいな。

 公式行事以降、会議の場以外でアレクに会っていない。しかも挨拶くらいで、言葉など交わす間もない。

 こんなに近くにいるのに、かつてないくらいアレクが遠かった。

 アレクは皇帝なんだもん。遠くて当たり前なんだよ。今までがどうかしていたんだ。

 私が竜族だからってわけじゃないよ。きっと。きっと……。

 何度自分に言い聞かせても、不安で押しつぶされそうになる。その度に、アレクと初めて街へ出かけたあの頃の自分に戻れたら……と繰り返し考えてしまう。何度サイコロを振っても、振り出しに戻るの升目に止まってしまうように。

 何度目かの大きなため息をつきながら、回廊に戻った時、柱の陰から突然腕を掴まれて柱に押しつけられた。

「しーっ」

 節くれだった長い指で柔らかく口をふさがれる。少し甘い上品な香り。驚いて見上げた視線の先には、果たしてロサルリアの花色と同じ深い青の瞳があった。

 アレク!

「そちが中庭にいるのが執務室から見えたのだ」

 喜色を湛える妃奈に、アレクはふさいでいた手のひらを解いて、代わりに唇でふさいだ。何度も優しく髪を梳きあげながら、片方の指を妃奈の指に絡ませる。

「ずっと……ずっとこうしたかった。同じ王宮にいるのに、なんとそちは遠いことよ。そちのいない双翠宮は寂しくて、帰る気になれぬ。お陰で仕事ははかどっておるがな」

 小さく笑うアレクに、妃奈も微笑み返す。

 私を見かけて、わざわざ出てきてくれたの?

 嬉しかった。竜族とか王族とかレムス帝国とか、何もかも忘れて、ただただアレクが愛おしい。

 私はアレクが大好きだ。

 何度も唇を重ね、舌を絡め、互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合う。互いの体温を重ね合い、触れ合う肌の熱に夢中になった。

 明るく輝く満月の下。

 黒い大きな影が、王宮の上空を滑空したことにも気づかないまま愛し合った。


 午前中、王族の会議が始まる時間になるとリュシオンが部屋まで呼びにくる。王族の会議が終われば、すぐにリンがやってきて、妃奈を竜族の会議に連れて行く。それが終われば、少し間をおいて、王宮の大会議場で合同会議だ。

 忙しいことこの上ない。

 疲れているときは、無理に王族の会議に出なくても良いとアレクには言われたけれど、妃奈が欠席したことはなかった。レムス帝国は今、過渡期にあるのだ。そんな大事な時の会議を聞き逃すことは、とてもできそうになかった。

 今、専らの議題は、今後のレムス帝国がどのような形態で運営されるべきなのかということだ。すなわち、決定事項次第では、今後妃奈がここレムス帝国でどのような役割を担うのかが決まってくる。

 他人事(ひとごと)ではないものね。

 しかし、妃奈は自分がどのような生き方をするのか未だに答えを出せないでいる。

 ここに留まるのか、向こうに帰るのかさえも決められない。

 今までの話し合いの流れでは、帝国自体が分裂することになりそうだ。それほどまでに、国に対する考え方が王族と竜族とでは異なっていた。

 現状維持を望む王族と、新しい国への期待から改革を強く望む竜族とでは、国に対する思いに温度差があった。

 やりとりを聞きながら、妃奈はため息をつく。

 もはや議論は、どのように国を分けるかになっているようだ。

 妃奈と同様、王族にも竜族にも属しており、両方の会議に出席する立場にある銭塘君は、しかし、ほとんどノータッチだった。単に興味がないのか、面倒なのかは知らないが、どちらの会議にも、下手すると合同の会議にさえ出席しないことが多かった。

 銭塘君はどう思ってるんだろう。訊いてみたいことは色々あった。でも最近見ないよね。

 迎えにきたリュシオンに訊いてみたら、時々陛下の部屋で遊んでいるようですけどねと肩をすくめた。

 アレクの部屋には出没しているらしい。

「リュシオンはどう思ってるの? このままじゃ、帝国は分裂するよね」

「どう……と言われますと?」

「嫌じゃないの? 今まで守ってきた国が分かれちゃうかもしれないんだよ?」

 そうですね。リュシオンはそう言うと顎に手を当てた。

「もしこれが、他の国が侵略してきたと言うのなら、私も陛下も、全力で戦うんだろうと思うのです。ですが、この国は元々竜族と王族が造った国ですから。王族と竜族が、互いに土地を分けてそれぞれのやり方で国を治めたいと、双方が納得した上で分割するのなら、私はあえて異議を申し立てたいとは思いません」

 しばらく考え込んだ後、リュシオンは慎重に言葉を選びながらそう返答した。

 そうなのか。つくづくヘンテコな国だよなぁ。

「そうなったらリュシオンはどうするつもりなの? どちらに仕えるつもり?」

 リュシオンのようなカラフルな髪と瞳をもつ人々のうち、すでに双碧宮で働いている者も、少ないながら、いるのだ。

 王族も竜族もずいぶん謎だけど、案外カラフルな人々が一番の謎かもしれない。彼らは、自らが先頭に立って国を造ろうとか、運営しようとか、思わないんだろうか。

「私は生まれてからすぐに、アレクシオス皇帝陛下の側近として仕えるように教育を受けてきました。ですから、陛下以外の王に仕える気はないのです」

 リュシオンはサラリと言うと口角を引き上げた。

 迷いのないその言葉。

 リュシオンにとって、アレクに仕えることは、生まれつきの決定事項なのらしい。

 悩んでいる自分が莫迦らしくなるくらい清々しい。

 そういう生き方もいいものだ。

 問題は、何を選択するのかじゃなく、選択した道を突き進めるか否かなんだろう。


 その日の合同会議は、レムス帝国分割の話に終始した。議場の中央に、レムス帝国の全体図が広げられている。左右が逆の日本列島。

 今現在、細長い島のほぼ中央あたり、くの字に曲がったあたりに境界線が引かれることで話は進んでいる。日本で言うところの、房総の先端、銚子あたりから、能登の先っちょまでのまっすぐな線が境界になるらしい。そこから北が竜族の、南が王族の領土になるようなのだけれど、南の地域にあるシャルロ山が問題になっていた。ちなみに、シャルロ山は、日本で言うところの富士山があるあたりにある。

 シャルロ山は、そもそも竜族の聖地であることだし、本来ならば、竜族が南側をもらいたいところを譲っているのだから、この山は飛び地として竜族に明け渡すべきだというのが、竜族の考え方で、一方の王族は、シャルロ山の麓に広がる肥沃な農地は、長年にわたり王族が開墾してきたものだから譲れないと言い張った。

 アレクも慎也も、激しく主張しあう双方の代表をあえて止めることをしないところを見ると、やはり、シャルロ山は、どちらにとっても譲れない要衝(ようしょう)なのだろう。

「無理に国を北と南で分けなくてもいいんじゃないかなぁ?」

 ふと口をついて出た妃奈の言葉に、ざっと全員の注目が集まった。

 あ、いや、そんなに見つめなくても……。視線だけで穴があきそうだよ。

 妃奈はたじろぐ。

「妃奈、続けてみよ」

 アレクの穏やかな一言に押されるように、妃奈は続けた。

 図書館で見た資料には、高地や孤島などに竜族の遺跡が残っていると書かれていた。このことから、竜族の文明は標高の高い場所で開花したのではないかと考えられるとあった。だったら、竜族は高地を分割してもらえばいいのではないか。翼をもつ竜族と翼を持たない人族なのだから、高いところを竜族の地とし、低いところを人族の地とする棲み分けは可能なのではないか。それに、単なる棲み分けであるならば、国境などという堅苦しいものではなく、もっと柔らかな境界でもいいのではないか。国を分けてしまうのではなく、竜族の自治区をもうけるような感じにすれば、国を分けてレムス帝国自体の力を分割することもない。境界の標示方法や不注意で越境してしまった場合の対処法は、考える必要があるだろう、という趣旨のことを妃奈は語った。

「つまり、境界を標高で分けるという考え方か」

 アレクの言葉に、会議場は騒然となった。

 いくら翼があるからと言っても、それでは不公平だとか、ナンセンスだとか、主に竜族から不満の声があがった。

 あ、やっぱり?

 妃奈が席で縮こまると、しかし、慎也がそれに賛成の意を表した。

「いいんじゃないか? そもそもこの国は人族であるレムス王族が、長年にわたり築いてきた国だ。突然やってきておいて、国の半分を明け渡せなどと無茶なことを、我々とて言うつもりはない」

 意外な慎也の発言に妃奈は瞠目する。

 いやいや、その無茶なことを今まで言ってきたんだよね? なんで急にそんなしおらしいこと言い出したの?

 再び議場がザワザワとし始める。

「ただし、こちらからも条件がある」

 慎也は立ち上がって、周囲を見回した。ザワザワしていた議場の空気が静まる。

「その場合、佐伯妃奈を竜妃の職から解任し、シャルロ山にその居を移すこと」

 え? 私がシャルロ山で暮らすってこと?

 妃奈は瞠目する。

 なん……で?

「もしくは、竜妃という役職がどうしても欠かせないと言うのであれば、竜型となり、その任に就くこと。竜妃とは、そもそも金竜が就く役職のはず。竜としての資質を具現できねば、その職務をまっとうできぬだろうし、竜族としても必要な時には自力でシャルロ山まで来てもらえねば困る。このどちらかを呑むなら、竜族は直ちにすべてシャルロ山へと移動する用意がある」

 私が竜型になる? でも、私は一旦竜型になれば、人型に戻れないんじゃ……。

 混乱したままアレクを見つめると、アレクは眉間にしわを寄せたまま慎也をにらんでいた。

「でも、私、どうやって竜型になったらいいのか分からないし、それに……そ、そうだ、私は竜妃以前に、アレクが竜主なんだから、契約がある間はここを離れられないと思うよっ」

 必死にひねり出した言い訳はしかし、更なる事実をあぶり出した。

「王族と竜族との契約? では聞くが、君は契約の実をいくつ食べた?」

 え? 契約の実? あの金色の……。

 動揺する妃奈に追い打ちを掛けるように慎也が問う。

「君は竜主からいくつ契約の実を与えられたのかと訊いてるんだが?」

 あの時、湖一面を埋め尽くすように現れた金色の実を、妃奈は一つも食べていなかった。食べたのは銭塘君だけだ。

 しかも……。

 妃奈は口を引き結び、無言のまま立ち上がると、勢いで倒れた椅子もそのままに、慌ただしく議場を後にした。


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