第五十七話 公式行事当日
公式行事当日の朝は、澄み切った冷たい空気で、気持ちまで澄みわたるようだ。
レムス王宮からネメアの衣装係に送られていた妃奈の衣装は、中華風というか、古代日本の宮廷の女性が身につけているようなものだった。深い黄色、鬱金色を基調にしたリボン付きの吊帯長桾に、鮮やかなシャンパンゴールドのフワリとした薄い長衣を羽織る。
髪はネメアの女官が結ってくれた。
遠目にみたら、黄金の仏像に見えるんじゃないかな。そんな感じの色合いだよね。
妃奈は苦笑する。
支度が済むとすぐに、アレクは全員をレムス王宮へ逆召喚した。全員というのは、妃奈と銭糖君とアレク本人、そしてポムポムだ。
どうやって自分自身を逆召喚するつもりなのかと問うと、アレクは、まぁ見ておれと言うや、銭糖君と妃奈をポムポムに乗せ、自らもその背中に飛び乗った。アレクの合図で、ポムポムが板状になった蜘蛛の糸を吐き出し、三人を自分の背中にくくりつける。ポムポムに三人が頑丈に巻き付けられたところで、アレクがポムポムを逆召喚したのだ。つまり、我々三人はポムポムの付属物として王宮へ戻ったというわけなのだ。
秘策って、これか……。
三人乗りでは、さすがのポムポムも重そうで気の毒だ。だけど王宮に着くや否や、コウモリを大盤振舞されて喜んでいたようだから、まぁ、良かったのかな?
妃奈達の為に用意されていたサンドイッチに挟まっていた蒸し鶏を引っ張り出して、食べる? と差し出してみたけど、ガン無視された。
やっぱり生き餌じゃないと駄目なのかな。蒸してたから無視された……なーんてね。
レムス王宮は、公式行事一色になっていた。
窓から見下ろす城の内外のそこここに鮮やかな帝国の旗が掲げられている。
赤い縁取りのある黄色い旗には、翼を広げた黒い竜が描かれている。それは銭糖君の姿によく似ていた。普段は人型に変化しているから、ほとんどの人がそうだとは気づかないだろうけど。
レムス王宮に戻った早々、妃奈は竜族の人たちによって双碧宮へと連行された。
ほとんど徹夜明けの寝ぼけた頭をすっきりさせるハーブティーを淹れてもらったところに、彼らはドカドカと現れた。そしてお茶を飲み干すやいなや、妃奈は両脇をガードされて連れて行かれたのだ。
アレクにいとまを告げる時間もくれないなんて、ひどいよ。
妃奈は頬を膨らませる。
双碧宮は双翠宮と対になった後宮で、竜族のみがその扉を開くことができるようになっていた。その扉が数百年ぶりに開いたのだ。
そもそもレムス帝国というのは、人族である王族と竜族がともに興した帝国で、後宮がそれぞれあったらしいのだ。そして、最後の竜族が亡くなった時から開かずの扉として存在していた。
いくら竜族の寿命が長いと言っても、子孫を残せなければ絶えちゃうものなんだなぁ。
双翠宮と双碧宮。名前は似ているけど、造りはずいぶん違っている。双翠宮があちこちに緑の生い茂った庭があるのに対して、双碧宮のあちらこちらには、きれいな水が湧く泉がたくさんあった。それに造り自体、双碧宮の方がどれも大きい。竜のサイズに合わせて作られているらしい。人型で入ると、まるで巨人の国に迷い込んでしまったようだ。そのせいか、あちらこちらに脚立のようなものが置かれていた。人型に変化している時はこれを使うらしい。
双碧宮には当然のことながら、慎也がいた。あと、リンも……。
灰鼠と鈍色を組み合わせた衣装は、銀竜である彼の公式の衣装であるらしい。妃奈と対になっているようだ。
二人並んだら、まるで金閣寺と銀閣寺だよ。
妃奈は顔をしかめるが、一先ず軽く会釈をしておいた。
慎也は妃奈を一目見るなり顔をしかめて、後、会釈は返さずフンと顔をそらした。
へぇ、そーゆー態度ですか。結構ですよ。私だって女にすぐ手をあげるような輩とは組みたくないですからねぇ。
妃奈はムッとする。
双碧宮の部屋に案内してくれたリンは、部屋で妃奈と二人きりになるなり、クルリと振り向いてにっこり微笑んだ。
「妃奈様、おかえりなさい」
「……リンも竜族だったってわけ?」
妃奈は仏頂面で問う。
リンは、はい、と嬉しそうに頷いた。
陛下の為なら命も惜しくないとか言ってた癖にさ。
「妃奈様、その髪型はいけませんね。それは人族のやり方です」
ネメアの女官が結ってくれた髪は、高い位置でまとめた夜会巻きのような髪型で、大きめなサファイアと小さなダイヤモンドを散りばめたとても素敵なものだったのに、飾りも結った髪もあっという間にほどかれた。
手早くブラシをかけながらリンはポツリポツリと彼女の身の上を話した。
リンは妃奈と同様、向こうの世界生まれの竜で、慎也に見つけだされ、彼と共にこちらの世界に来たのだそうだ。
金竜をお迎えする重要な役目だと聞いて、妃奈よりも一足先に双翠宮に女官として潜り込んでいたらしい。
女優だよね。向こうの世界のこと、ちっとも知らないって感じだったのに。賞をあげたいくらいの演技力だったと嫌みを言ったら、そのように振る舞えと慎也様に命じられていましたからと、リンは涼しげに答えた。
「私にとっての陛下は、慎也様ですから」
リンは悪びれもせずにこやかに言う。
あっそ。私が勝手に誤解したってわけね。
「私のいた国は、とても貧しかったのです。父は私が幼い頃に戦死しましたし、母は病弱で寝たきりでした。それでも弟がいるうちは頑張れたのです」
「弟さんは……?」
「ウィルス性の病気であっけなく死んでしまいました。病気でふせっていた母も同様です。独りぼっちになって、寂しくて、何故私だけがこんなに丈夫なのかと自分の頑強さを呪ったものです。その答えを、慎也様が教えてくださいました」
竜だから……それが答えだった。
そう言えば、妃奈も昔から病気らしい病気をしたことがなかったと思い出す。
「妃奈様、私は一人の女性として、あなたが竜妃としてレムス帝国の人族に組み込まれることも、何もかも捨てて向こうの世界に帰ることも、お止めしたいとは思っておりません。ですが、国を捨て、家族と別れ、慎也様と共に誰もが幸せに暮らせる新しい国を造るという希望を持ってこの世界にやってきた同胞のことを、どうかお忘れ無きよう、伏してお願いいたします」
レムスの隧道を通って、こちらの世界に来た竜族の人たちは、向こうの世界であまり幸せじゃなかったのかもしれない。幸せだったら来ないよね。余程の冒険好きは別かもしれないけど……。
「……竜族の人たちは、私にどうしてほしいと思っているんですか?」
「金竜様は新しい国の御印、いわば希望そのものなのです。妃奈様、こちらの世界で新しい国を、我ら竜族と共に興してはくださいませんか?」
私が希望? 本当にそうなのかな?
妃奈は首を傾げる。
金竜は強運を持つという。しかし、そんなもの、あればいい程度のもので、無くてはならないものではないはず。しかも、妃奈自身、今までの人生で幸運だと思ったことなど、一度もないのだ。
考えているうちに。髪が結いあがった。
ほとんどの髪はサラリと垂らしたままで、幾筋かを分けて頭頂の飾り髷にした独特の髪型だ。仕上げとして髷の根本に光を乱反射して揺れる金と銀の簪をたくさんつけられた。一気に頭が重くなる。
支度を済ませた妃奈が、王宮の奥庭にある円形広場の入口に着くや、ファンファーレが鳴り響いた。公式行事が始まったのだ。
広場には、かつてのようにカラフルな乗騎連れの人々が大勢集まっていた。その広場のずっと先、見上げる階の頂上に、対になった玉座が設えられていた。その一つの玉座には、皇帝アレクシオスと第二公妃であるアデライードが座っている。もう一つの玉座には、すでに慎也が座っていた。端の方には銭塘君の姿もある。
広場は、入りきれなかった国内外の人々が城壁の外にまで溢れていた。
ここまで観衆が増えたのは、この行事が表向きは、竜妃着任を祝う為のものでありながら、実際は、レムス帝国の形態自体をも変える一大行事になってしまったからだ。
であるのに、妃奈だけが、大勢の観衆の間を通って玉座まで進むのだ。形としては、竜妃着任の行事ということになっているから。
――結果として、そちだけを見世物にするような事態になってしまった。すまない。双碧宮が開いたからには、玉座を対にしないわけにはいかなかったからな。
公式行事の趣旨を説明されたとき、アレクはすまなさそうに謝った。
王族の内紛を収めるために労した策が、王族のみならず竜族までをも巻き込み、レムス帝国の形が変わったことを内外に知らしめる一大行事へと変貌してしまっていた。
だったら、みんなで真ん中を行進するか、みんなで最初から椅子に座ってるかしたらいいと思うんだ。なんで私だけ、こんな悲壮な顔した羽付ポニーに乗らなきゃなんないわけ?
広場の入口で、一応、リュシオン相手にだだをこねてみたが、見事に無視され、リュシオンに横っ腹を蹴られたポニーは、不満そうにいなないてから、妃奈を乗せてビクビクと歩き出した。
何でこの馬はこんなに怯えてるわけ? いや、こんな奴にしか乗れない私も悪いんだけどさ。
白とピンクのしましまで、紫色の鬣をしたポニーは、誰の目にも分かるくらい、ビクビクしながらノロノロと歩いた。
もっと早く歩けんのかーい。
あまりにも遅い歩みに、広場に集まった人々の視線は妃奈に集中する。
視線が痛い。痛いよぉぉぉ。
――微笑んで手でも振ればみんな喜びますよ。
なんて、暢気に言ったリュシオンの元に走り戻り、だったらあんたがやってみなさいよ、と胸ぐらつかみたいくらい視線が痛かった。ここからなら、まだ入口の方が近い。それくらい進んでいない。
これ、自分で歩いた方が早いんじゃない? ほとんど、止まってるじゃん。何、この馬ぁぁ。
そんな妃奈の心の叫びに気づいてか気づかいでか、ついにポニーは全く動かなくなり、悲しみに満ちた瞳で、はぁぁと深いため息をついた。
いやいやいやいや、ため息つきたいのは私の方だからっ。
焦ってポニーのわき腹を蹴ってみたが、ポニーは小さく鳴いて足踏みをしただけだった。
どーしよー。玉座が遠い、遠いよぉぉぉ。
もーいい、もう、私歩いていくよ。
観念した妃奈がポニーを下りると、周りからどよめきが起こった。
え? なになに? 竜妃は歩いて行っちゃいけないとか、なんか決まりがあるの?
驚いて周囲に視線を投げると、今まであれほど妃奈に集中していた不安げな瞳は、一斉に別の方角を見つめていた。
その視線の先を追った妃奈は目を見開く。
玉座からなにかが滑空するかのように駆けてくる。
青い体躯。アメジスト色の鬣。地面から浮いているかのような滑らかなその走り。
ネプトゥヌス?
「妃奈、待ちきれぬ。迎えにきた」
満面の笑みで手を差し出した馬上の人を見上げて、妃奈は安堵の笑みで手を伸べた。
何も知らない人が見れば、最初からこのような段取りだったのだろうと思うような、自然で滑らかな進行。
「アレク……シオス陛下!」
手を掴まれた妃奈は、一瞬でネプトゥヌスの上に引き上げられた。
馬上でバランスをとるふりをしながら、アレクの首にしがみつく。
「アレクでよい。余こそ遅くなった。ポニーでは、金竜殿の気配は強すぎて怯んでしまうのだろう。すぐに気づかなくて、すまなかったな」
え? そういう事情だったの? だったら、ポニーに悪いことをしちゃったかも。きっと、あれにしか乗れなかった私が悪いんだよね。
よい。気にするな。そう言って微笑むアレクに、頬を染めて微笑み返す。
妃奈と同様に正式な衣装に身を包んだアレクからは、いつもよりも近寄りがたい雰囲気が漂っていたけれど、密着することによって、その違和感が薄らぐ。
いい匂い。アレクの匂い大好き。
アレクが自分の竜主なのだと、アレクこそがこの世界の軸なのだと、泣きたいくらいに強く感じる。
アレクの胸元で横座りしたままの妃奈を乗せて、ネプトゥヌスはゆっくりとした歩調で歩き出した。ゆっくりと言っても、ポニーの歩みに比べたら格段に早足だ。
このままずっと、アレクの傍に居られたらいいのに。
しかし、妃奈の願いはむなしく、あっという間に玉座に到着してしまった。




