第五十六話 約束
レムスとネメアの国境で、飛行乗騎隊を率いていた赤髪の将軍イルミナートは、血気盛んなネメアの国境騎馬隊の攻勢に応戦していた。応戦しては退却し、応戦しては退却しを繰り返し、陣はじりじりと後退していた。傍目には明らかにレムス飛行騎乗隊の旗色は悪いように見える。それが、レムス帝国、北の砦であるレンツァ城を目前にして、イルミナート率いる飛行乗騎隊は、突然潰走を始めた。ネメア城上空の夜空に炎が輪を描くのを確認したのである。
一方、ネメア国境騎馬隊率いる将軍ベルグは、レムス王族の印である竜が現れる気配がないと見るや、千載一遇の好機とばかりにレンツァ城下へとなだれ込んだ。
城下になだれ込んだネメアの兵士はざっと五万。無敗将軍イルミナート率いる乗騎隊の旗色が悪いと見るや、国境を守っていた兵士達は手柄ほしさにここぞとばかりに集まってきていたのである。
レンツァ城の歩哨に立っていたテオの元に、乗り手と同じ燃えるような赤い鬣を持った白い天馬が着地する。
「テオ殿下! ネメアの兵士約五万、城下に攻め込んできましたっ」
天馬から降りるや否や、イルミナートは駆け寄り報告すると跪拝した。
「よし! 城門を閉じよ!」
イルミナートと似た赤いつけ髪を被ったテオは、力強く頷き、つけ髪を取り去ると、金属製の横笛を取り出し旋律を奏でた。その旋律は、高らかに伸びやかに闇夜にこだまする。
レンツァ城下になだれ込んだものの、人っ子一人いない城下町に鳴り響く笛の音に、ネメア兵士たちの間に動揺がはしる。
「罠だ!」
「王族の竜がくるぞーっ」
口々に兵士達は叫び、我先にと城門へ引き返した。しかし、城門は閉められており、約五万の兵士はここにきてようやく、自分たちがレンツァ城下に閉じこめられたことを知ることになった。
果たして闇を切り裂くように滑空してやってきた緑色の竜は、城下低空を何度も弧を描きながら口から某かの霧をまき散らした。
「引き込んだ兵士達をどうするのですか?」
「どうもしないさ。ネメアに潜入している陛下から、一人でも多くの兵を離しておきたかっただけだからな」
テオの言葉にイルミナートは目を丸くした。
「陛下自ら潜入なさっておいでなのですか?」
「まったく陛下にも困ったものだ。やめるようにと何度も説得したんだが、聞き入れてくださらない」
「では、あのネメア上空の合図は……」
「まぁ、うまく行ったって事だろうよ。イルミナート、後処理を頼む。俺は一足先に王宮へ戻る。竜族の動向も気になる。アデルだけでは心配だからな」
「竜族は何をするためにレムス城へ?」
「レムス城の、もう一つの扉を開けるためだろう」
「は?」
腑に落ちぬ顔で聞き返すイルミナートに、テオは小さく笑うと、滑空しながら戻ってきた緑竜に片手をあげて出迎えた。
「よい、気にするな。おまえはネメアの兵士達が凍死せぬように配慮してやってくれ。目覚めれば帰してやって構わない」
「はっ!」
イルミナートは叩頭した。
ぐっすりと眠り込むネメアの兵士達は、イルミナート率いる乗騎隊によって、目覚めるまでの間、すべてレンツァ城に収容されたのだった。
公式行事前夜のことである。
「銭塘君、テオに知らせてくれたか?」
ネメア城内で、銭塘君の帰りを待っていたアレクは、竜の変化を解いた銭塘君に服を渡しながら問いかける。
「あぁ、ちゃーんと知らせたぜ? 火を噴きながら十回も回った。それくらいで十分だろ?」
「十分だ。ご苦労だったな」
「テオは国境の街にいるのか?」
「あぁ、ネメアに単独潜入すると言ったら、危ないから、レンツァ城下にネメア兵士を引き込んで足止めすると言ってきかなんだ。あやつは心配性でいかん」
「おまえら双子は仲が良いな。まぁ、レムスもかつては仲が良かったらしいんだが……」
ネメアの城は静まりかえっている。もう数時間で始まる公式行事の後、アレクは直ちに新たなネメア城主を送り込む予定にしている。しばらくは、この城も荒れるのだろうなと暗澹とした気分になる。
しかし、空間の綻びも修復できたし、金竜も死なさずに済んだ。一先ず、首尾は上々と言ったところか。
妃奈が式典用の衣装に着替えている間、アレクは銭塘君と広間で待つことにした。
「なぁ、銭塘君、前から訊きたいと思っておったのだが、そちとレムスはどのような関係だったのだ?」
「どんな関係か……か? うーん、どんな関係なんだろうな。友人……じゃねぇーよな。協力者? 契約者?」
考え込む銭塘君にアレクは吹き出す。
「レムスはそちのことを友人だと思っていたのではないのか?」
「もう忘れたよ。覚えているのは、レムスが女たらしで、金竜はそれにメロメロだったことくらいかな?」
「レムスは、たらしだったのか……」
アレクは苦笑する。
レムスと金竜は夫婦だったようだから、別にメロメロでも構わないのだろうが……。
「お陰で俺はとんだとばっちりだ」
「とばっちり?」
「あぁ。金竜はレムスのことを頼むというし、レムスは金竜を頼むというし……。まったく面倒くさい夫婦だったよ」
「ずっと気になっていたのだが、そちは何故……鏡の芯になったのだ? 伝説では大暴れしてレムスに封印されたと聞いているが……」
「俺は暴れてなんかねーよ。どこでどうしたらそんな伝説が生まれるんだよ」
銭塘君はため息をついた。
「ユリアが向こうの世界に帰りたいと言いだしたんだ。それが始まりだな。彼女は、こっちの世界で竜の姿でいるのが辛いと言った。実際、帰ったんだよ。だから、俺らは帰りを待っていたんだ。俺も、そしてレムスも……」
金竜は名をユリアといった。当然のことながら、向こうの世界では人間だ。しかし、こちらでトラブルに巻き込まれた時に金竜の姿に変化して、そのまま元の人型に戻れなくなった。二人は、シャルロ山にいた銭塘君の元に、変化の解き方を訊く為にやってきた。それが銭塘君とレムスの出会いだった。
銭塘君は、地上の人族と竜族との橋渡し役をするなら、教えてやると言った。
その頃の竜族は、すっかりその数を減らしており、地上に増え始めていた人族との交流もなかった。
「そちは竜の変化を解く方法を知っておるのか?」
驚いて問うアレクに銭塘君は首を振った。
「変化を解くのに方法などないよ。他者に訊いてできるようになるもんでもない。おまえは、どうやったら身長を伸ばせるか知ってるか? かつて小さかったからと言って、今小さくなれるか? 変化できないものは、それと同じだ。だが、人型と竜型に変化できるものにとっては、それは座ったり立ったりするくらいの違いに過ぎない。だから、最初からできるし、やり方を訊く必要もない。そもそもが違うんだ。妃奈に変化しないようにと伝えてもらったのはその為だ。こっちに来ても、竜である自覚すらない彼女は、恐らくユリアと同じタイプなんだと思う」
では騙したことになるではないか。ひどいやつだなと呟くアレクに、騙した訳じゃない。方法が全然ないわけじゃないからな、と銭塘君は口をとがらす。
竜族と人族の橋渡しをすることで、人脈を築いたレムスは、やがてシャルロ山の麓の村にレムス帝国の礎を築いた。国が整ってくると、今度は、レムス帝国の跡継ぎ問題が浮上してきた。しかし、夫婦でありながら人型と竜型である二人には、当然、子供はできない。側妃を勧める周囲の動きに、ユリアが行動を起こした。
「こちらの世界で変化を解く方法はないが、向こうの世界に戻れば竜型では居られないはずだから、人型に戻れる。俺はそれを、彼女に教えちまったんだ」
彼女は、向こうの世界に戻って人型に戻りたいと言った。そして、人型になって、もう一度こちらの世界に戻ってくると言った。
ユリアが消えた後にはレムスの隧道が残った。それを後に塞いだのが、あの大鏡なのだ。レムスも銭塘君も待っていたが、彼女は戻ってこなかった。
「竜の姿で行ったんだ。無事ではいられなかったんだろう。後で気になって俺もレムスも隧道を通って何度か向こうに行ってみたんだが、彼女の行方はもう分からなかった。何故一緒に行かなかったのかと、レムスはずいぶん後悔していたよ」
レムスが老いてこの世を去る間際、彼は銭塘君に頼んだ。彼女が戻ってきたら、後を頼むと。
「竜の寿命は長いからな。それで、俺はあの大鏡の芯になって待つことにしたんだ。あの中にいれば、すべての移動を把握できるから」
金竜がこちらの世界に戻ってくる時を……。
「本当は、あの大鏡は割られたんじゃない。妃奈が金竜だと確信したから、俺が自分で出てきたんだ。出た途端に正気を失っちまって、迷惑をかけちまったけどな。悪かったよ」
そうだったのか、とアレクはため息をつく。
「しかし……そちは、どうしてレムスの頼みをそこまでして叶えようとしているのだ?」
「約束したからな。それと……惚れた弱みもあるのかな? ちぇっ、ユリアの顔さえ、もうほとんど覚えてないってのによ、過去の約束だけが記憶に刻みつけられて身動きがとれねぇ。だが、俺も、いい加減解放されねぇとな……」
銭塘君は寂しげに笑った。




