第五十四話 霊剣フツノミタマ
レムスの隧道を造るには、二つやり方がある。 一つは、王族と竜族が力を合わせて魔導具を錬成すること。その際、芯となる生き物は、かなり高度な霊力を持つものでなければならない。もう一つは、巨大な質量をもつものが無理矢理あちらの世界からこちらの世界に行くか、こちらの世界からあちらの世界に行くことだ。だが、そのような荒技をできるものはこの世に一種類しか存在しない。竜族の中の竜、金竜のみだ。しかも、その金竜でさえ、そのような荒技を使えば無事で済まされない。幸いなことに、妃奈は比較的小さな人型でこちらにやってきた為、隧道を造るには至らず、部分的な記憶の消失のみで済んだが、栞奈のように竜の姿でくぐり抜ければ、その命さえ危うくしてしまう。
栞奈は鏡の中でうなだれた。
『こちらの世界に着た時、私はもう虫の息でした……」
逃げてきたこの世界で、栞奈は瀕死の状態で捕まった。生きるためには、こうするしかないと言われて、この鏡の中に留まることになったのらしい。妃奈のことが心配だったし、それ以上に、自分に何が起きたのか、自分でも何が何やら分からない状態だったのだと、栞奈は涙ながらに語った。
アレクは眉間にしわを寄せて、一部始終を聞いた。
鏡に手をあて、母親と共に泣き崩れる妃奈をみれば、哀れで言い出すのは躊躇われるが、言わぬ訳にはいくまい。
ついにアレクは重い口を開いた。
「そち達に、余がわざわざこの地まで出向いた目的を話さねばなるまいな」
アレクは妃奈の頭に手を乗せた。
悲しませたくはないが、この世界の秩序を整えるためには、正しい形のレムスの隧道となりえなかったこの鏡を壊し、隧道を塞がなければならないのだ。どうあっても。
その旨を話すと、栞奈は哀しげに頷いた。
『それが良いのだと思います。結果、妃奈にも会えず、なぜあのまま死んでいなかったのかと、もうずっと後悔していたのですから。ようやく妃奈の無事も確認できましたし、今はもう思い残すこともありません。ひと思いに壊してくださって結構ですわ』
妃奈は首を振りながら鏡にすがった。
「どうして? また会えたのに、またこうして母さんに会えたのに、どうして壊してくれなんて言うの?」
妃奈は、転じてアレクにもすがる。
「アレク……陛下、お願いです。母を、母を助けてください。陛下、お願い……お願いします」
「妃奈……助けたいのは、余とて同じだ。だがな、この隧道をこのままにしておくのはできぬのだ」
自分の言葉に泣き崩れた妃奈を、アレクは抱き寄せた。泣きはらして薄紅色に色づいた瞼に口づける。
「妃奈、泣くなと言ったであろう? 泣くのは反則であるぞ」
それを傍で見ていた銭塘君が肩をすくめる。
「反則って、おまえら、いつそんなルール作ったんだよ。なんだかんだ言って、皇帝殿は妃奈にべたべたする口実を作っているとしか思えんな」
銭塘君は呆れた様子でブツブツ呟いてから、続けた。
「妃奈、そこまで悲観するなよ。壊すと一口に言っても色々方法があるんだ。今回は芯と鏡の繋がりを断ち切り、栞奈を芯として別の器に入れ替えるというのが一番だと思うんだが、どうだろうか?」
「そんなことができるのか?」
瞬時に、アレクが喜色をたたえて見上げる。妃奈もそれにあわせて、すがるように銭糖君を見上げた。
「皇帝殿、何の為に大枚をはたいてこの霊剣フツノミタマを手に入れたと思ってるんだよ」
銭糖君は大きなため息をついた。
銭糖君とアレクは、鏡の前に左右に分かれて立った。
「いいか? 俺が竜に変化して中の芯を引っ張り出すから、皇帝殿は鏡と芯の境界を断ち切ってくれ。栞奈は断ち切られたらただちに、剣の中に移動だ。いいな?」
いいな、と言われて鏡の中の栞奈はたじろぐ。
『剣の中に移動……と言われても、どうしたらいいのか……』
困惑する栞奈に、銭糖君が目をつり上げて声を荒げた。
「どうしたらもこうしたらもないんだよ。俺だって知らないんだから。移るんだという強い意志をもてっ」
銭糖君の気勢に飲まれたように、栞奈はコクコクと頷く。
「あのっ、私は何をしたら?」
妃奈が意気込んで問うと、アレクが渋い顔で答えた。
「そちは危ないから下がっておれ。ポムポムを見てみよ。余の言うことをきいて、ちゃんと隅っこで大人しくしておるぞ?」
むむっ、ポムポムと比べられた?
「私はポムポム並みですか?」
妃奈が口をとがらせると、アレクと銭塘君からステレオのように返事が戻ってきた。
「それはポムポムに失礼であるぞ」
「そりゃ、ポムポムに失礼だろ」
ひどっ、二人とも、私に対する態度がひどい。
「妃奈ちゃん、あなたが危ない目に遭いそうだと思ったら、母さんも気が散るわ。お願いだから言うことを聞いて、大人しくしていてね」
母親まで心配そうな顔で釘を刺す。
ステレオどころかサラウンドだ。これに容赦ないアデルとか、毒舌リュシオンまでいたら……。
妃奈は心の中でうめく。
結局、反論する気も失せたので、言われたとおりトボトボと部屋の隅っこへ向かい、ちんまりと体育座りをして見守ることにした。
銭塘君が黒竜に変化するのを目の当たりにした栞奈は、最初呆然とした様子だったが、ついに気持ちを決めたようで、近づいてきた黒竜の銭塘君に神妙な面もちで頷いた。銭塘君はそれに頷き返すと、次いでアレクに視線を送り、アレクとも頷き合った。
銭塘君が鏡の中に腕をつっこむと、ばしゃ、と水面を叩いたような音がして、中から白いたおやかな手首が黒竜の爪先に掴まれたまま出てきた。次いで、銭塘君は一声咆哮すると、力一杯その手首を引き抜いた。栞奈の身体とともに、大量の水がほとばしり出て、辺り一面を水浸しにした。
出てきた栞奈はぐったりした様子で銭塘君にもたれ掛かる。左の手首が何かに引っかかっているのか、まだ出てこない。
「銭塘君、もっと引けっ。これでは切れぬ」
アレクが叫ぶ。
「駄目だ。何かに引っかかってる! 引きが強い。向こうにもってかれる! もう切れ! 仕方がないっ!」
母さんの腕が!
「妃奈っ、そちは出てくるなと申したであろうっ!」
アレクの声は聞こえていたが、身体が勝手に動いた。
銭塘君が引っ張っている腕の上腕を掴んで、力任せに引っ張った。しかし、思っていた以上の引きの強さに驚愕する。
何? 何が母さんを引っ張っているの?
手伝うどころか、逆に妃奈の手首まで向こう側に引っ張り込まれていく始末。
きゃぁぁぁぁ。
その時、ぐったりしていた栞奈が目を開けた。
「妃奈っ、だめぇぇぇ」
栞奈が込めた力と、妃奈の力と、咄嗟に剣を片手で持ち妃奈の腕を引いたアレクの力が、銭塘君の引っ張る力と合わさった刹那、ぎぎぎぎーっという激しい音とともに鏡にひびが入った。その瞬間、栞奈の身体が鏡の中からすべて引き出される。機を逃さず、アレクは栞奈の身体に粘り着く濃度の高い水をフツリと断ち切った。
断ち切られた瞬間、粘り着いていた水は、その粘度を失い、ばしゃーんと水しぶきをあげて、あたりに飛沫を飛び散らせた。
妃奈には、すべてが一瞬のことのようで、永遠のことのように感じられた。
反動でその場にいた全員が、どうっと床に倒れる。
「栞奈っ、栞奈、早くフツノミタマへっ」
銭塘君が叫ぶが、力を使い果たし崩折れた栞奈は、ぐったりとしたまま動かない。
倒れていた妃奈は、慌てて立ち上がると母に駆け寄った。
「母さんっ、しっかりして、母さん!」
栞奈の顔色は紙のように真っ白で、力なく投げ出された手足はぴくりとも動かない。銭塘君が栞奈の額に手を当てて、しばし熱を計っているかのように沈黙していたが、やがて小さく首を振った。
「駄目だ。竜としても人としても生命力を感じられない。なによりも、意識のないままでは芯にはなりえない。芯になれねば、この身体では現世で生きることは適わないだろう。これほどまでにダメージを受けていようとは……」
銭塘君がうめく。
「母さん、お願い目を開けて! 目を開けてよぉぉ」
妃奈は母親の手を取ってフツノミタマに押しつける。しかし、青白く光る逆ぞりの剣に変化は訪れない。
「どうすればいいの? どうすれば芯になれるの?」
妃奈は泣きながら母親の指に自分の指を重ねて、なんども剣の峰をなぞる。
「……妃奈、少し離れておれ」
アレクは、一旦妃奈の肩を抱き抱えてから、銭塘君の方へ押しやった。
「余が逆召喚してみよう。それで芯になれるのかどうか分からぬが……」
アレクはフツノミタマの峰に手を当てると、何かを探っているかのように目を閉じた。
ハラハラして見守る妃奈に、銭塘君が説明する。
「逆召喚する場所を特定しているのだろう。召喚術はレムス王族の得意とするところだからな」
「剣の芯なら剣の中じゃないの?」
「さぁな、芯がどこに存在しているのかなど、俺にはさっぱり分からない。並みの召喚師でも分からないだろうよ」
かなり長い時間が過ぎて、ようやくアレクは目を開けた。
「あった。この剣の芯の在処が分かったぞ。妃奈、母にしばしの別れを告げるが良い。逆召喚する」
アレクの冷静な青い瞳に、妃奈は泣きながら頷いた。
「母さん、母さん、しっかりして。絶対元気になってよ? 約束だからね」
ぐったりした栞奈からの反応はなく、妃奈は何度もその白い頬を撫でた。
「では、逆召喚するぞ」
アレクが青白く光る指先で栞奈に触れた途端、栞奈は、フツノミタマの上、少し浮かんだ中空に開いた亀裂に、スルリと吸い込まれていった。




