第四十五話 公式行事、前日夕刻
「慎也!」
妃奈は駆け寄った。
偽リューク伯の城に居たときはTシャツにカーゴパンツという、向こうの服装のままだったので一人浮いていた慎也だったが、ここでは新しい服を与えられたらしい。こちらの兵士が着ているような胴着を着た慎也は、なんだかちょっと雰囲気が違って見えた。しかも、両手に包帯を巻いている。
「慎也、手はどうしたの? もしかして、王宮の人に何かひどいことをされたの?」
妃奈は慎也の両手をすくい上げて目を見張る。心配そうに見上げる妃奈に、慎也はくすぐったそうに笑った。
「違うよ。むしろ逆。怪我をしていたから手当をしてくれたんだ。いつの間にか怪我をしててさ。おねーさんの足の鎖を持ってた時に挟んじゃったみたいなんだ。すごくゴツい鎖だったからねぇ」
確かに、あの鎖はゴツかった……よね。
慎也は、あの後、王宮で色々取り調べられたらしい。結局、彼にはなんの害意もないということが証明されたとかで、異国からの客人として王宮に滞在していたのだと言う。
「色々訊かれた後、血を少し採られたくらいで、何もされてないよ」
あの血は何に使うんだろう、血液検査でもしてくれるのかな、と首を傾げる慎也に、さぁ何に使うんだろうねと、妃奈も首を傾げて誤魔化す。
アレクが慎也を把握した上で、客人扱いしたのならば、彼には何も問題がないのだろう。
慎也が敵じゃなくて良かった。
妃奈は内心ほっとしていた。慎也は、最初からなんだか放っておけないタイプだったのだ。まるで、弟のような……。
「それで、あなたはこんな所で何をしてるの?」
慎也は、リューク伯を探してうろついているうちに、双翠宮にまで迷い込んでしまったのだと言った。
「小父さん、どこにいるんだか分からないんだ。ずっと探してるんだけどさぁ。おねーさん、小父さんがどこに居るか知らない?」
「分からないわ。私、ずっとここにいるんだもん」
おそらく偽リューク伯は王宮のどこかに捕らえられているんだろうとは思う。だけど、それを慎也に言う気になれなかった。
慎也は、あの人が偽者だということを知らないんだよね……。
「そっかぁ、そうだよな。しかも、まだそんな鎖付けられたままなんだしな」
慎也は妃奈の足首を見て、顔をしかめた。
「そうだ、俺、それ外してやるよ」
え? 外す?
ごそごそとポケットを探り始めた慎也に、妃奈は瞠目する。
慎也が? 慎也が内通者……なの? まさか! だって、慎也は一週間前に王宮に来たばかりなんだし、何をどう、しかも誰に内通するって言うの?
「あー、あったあった」
満面の笑みで近寄ってくる慎也に、妃奈は後ずさる。
もし、慎也が王宮に来たのが初めてじゃないとしたら?
「おねーさん、足出して。ほら、ぼんやりしてないで……」
例えば、偽リューク伯を操っている黒幕がいて、その人と繋がっているのだとしたら?
「慎也……あなた……」
次の瞬間、妃奈は一瞬目を見開いて、次いで、がっくりと頭を下げてため息をついた。
「……慎也、それ何?」
「何って、鍵だよ、鍵」
慎也が取り出したのはただの針金だった。それを鍵穴に差し込でガチャガチャつついているが、当然のことながら、鍵ははずれる気配がない。
「それ、鍵じゃないよね。針金だよね?」
「結局、鍵が見つからなかったんだよ。ほら、よくこそ泥がこんなので鍵を開けてるじゃん?」
テレビの見すぎだよと、妃奈は苦笑する。
慎也は鍵を持っていない、そのことに妃奈は妙にホッとしていた。
「あれぇ? これ鎖取り替えた? こんなに細かったっけ? でも錠は同じだから気のせいかな?」
ブツブツ呟いている慎也に内心ヒヤリとする。 やっぱりこの鎖、前のより細いよね。
ヒヤヒヤしながら見つめる妃奈には頓着せずに、しばらくの間慎也は針金でつついていたが、ついには諦めて針金を放り出した。
「チクショウ! 王宮にくれば、その鎖は外してもらえるって、小父さんは言ってたのになぁ。クリスティーナ様が別の鍵を持ってるからって……」
クリスティーナ様?
「もしかしてまだ来てないのかなぁ。ネメアって北海道だよね。そんなに時間かからないよね。まさか召還魔法を使わないで竜を使ってるなんてことないよね」
は? 北海道? ネメアが北海道?
雷に打たれたような衝撃が走って、妃奈の頭の中で突然レムス帝国の地図がリンクする。
逆だ! 逆になってるんだ!
レムス帝国の断片地図を見たときに感じた違和感はそれだったんだ!
「ねね、リューク伯の城に地図が掛かっていたよね。あれどこだった? 日本で言うとどこだった? 覚えてる?」
「覚えてるけど……どうしたの? 急に……」
私は、全く知らない世界、つまり縁もゆかりもない異世界に来たんだと思っていた。いや、結局、異世界には違いないんだけれど。でも、間違いない、ここは日本だ。
「なぁんだ、おねーさん、気づいていなかったの? 俺さ、地図見るの好きだから一発で気づいたよ。ここは間違いなく日本だよ。ま、左右対称になってるけどさ。小父さんがいた城は、たぶん房総の先っぽ辺りだと思う」
ということは、ここ、王宮があるのも関東なの? 距離的にはひどく離れてなかったと思うから。島の形的に左右対称なだけでも、山や川や植生は随分違うようだ。レムス帝国以外はどうなんだろう。まだ見てないから分からないけど、日本に限れば左右対称なだけで、島の形以外は何から何まで異なってるけど、ここは日本の裏側のパラレルワールドなんだ!
妃奈が呆然としていると、慎也のノンビリした声が聞こえた。
「俺さ、房総の城に帰りたいよ。あっちには梅干しの木があるからね。王宮の周りで探したんだけどなかったんだ。こっちに来る間際に収穫したやつ持ってくれば良かったなぁ。ここは海も遠いし。向こうは海が近くて楽しかったのになぁ」
妃奈は苦笑する。慎也はこの世界を、かなり自由気ままに楽しんでいるらしい。
「泳いだの?」
「うん、海の中もカラフルだよ。熱帯魚みたいなやつがワサワサいるしね」
海の中もカラフルなんだ。
そこにドアがノックされる音がした。
やばっ、ルテル女官長かも。いくら同郷のよしみだからって、ここで慎也と二人っきりで居るところを見られるのはあまり良くないよね。
「慎也、隠れて。要らない誤解をされたくないからっ」
慎也が慌ててクローゼットの中に入ったと同時にドアが開いた。そこに立っていたのはルテル女官長ではなく、リンだった。
あれ? リン?
「リン? リンなの?」
懐かしい茶色の瞳。リンはいつも橙色の髪をぴっちりと結い上げている。なのに、華やかな雰囲気がにじみ出ている人だ。
「お帰りなさい。妃奈様」
最後に会ったのはシャルロ山へ行った日の夕方だったから、随分久しぶりだ。
「ただいま、リン。私がシャルロ山に行っている間に何かあったの? 双翠宮に居なかったよね?」
リンは、妃奈がシャルロ山に行った後、配置換えで王宮の客室担当になったらしい。妃奈が王宮に戻ってきたと聞いてすぐにでも会いに来たかったがなかなか来れなかったのだと言う。
「妃奈様。この度は三百年ぶりの竜妃様だそうで、心よりお祝い申し上げます」
リンはかしこまって深々とお辞儀をする。妃奈はたじろぎつつ、頬を紅潮させた。
「あ、ありがとう。と言っても、まだ全然自覚がなくて戸惑っているばかりなんだけどね」
竜妃については、リュシオンから説明を受けた。ここレムス帝国では、金竜というだけで与えられる特別な位があるのらしい。雄であれば竜王、雌であれば竜親王。竜王(もしくは竜内親王)は、レムス帝国からシャルロ山を割譲され、そこを統治することができる。とはいえ、金竜が実際に統治するわけではなく、書類上のことなのらしい。
竜が王冠かぶって統治している図なんて、なかなかファンタジーでかわいいけどね。
しかし妃奈の場合、人型であるがゆえに、統治しようと思えばできなくはないが、逆にシャルロ山まで自力で行くことができない。結果、シャルロ山の統治は無理だろうということで、竜妃として王宮住まいをすることになったという訳なのだ。
いずれにせよ、シャルロ山は元々竜の山。レムス帝国が仮統治している場所を返してもらうという形になるらしい。
「陛下のご厚意で王宮に居られるようで、私自身はホッとしてるんだけど、もしかしたら、陛下はそのせいで面倒なことに巻き込まれているんじゃないかと気になってる。リンは陛下が今何をしているか知ってる? 王宮では見かける? ご無事なのかな。私を王宮に置くことを後悔してないかなぁ」
妃奈の言葉にリンは小さく含み笑いを落とした。
「そうですね、陛下は最近王宮でも見かけません。ご不在が長いので、陛下は新竜が現れなかったが為に、逃げ出したのだなどという心ない噂も聞きますが……」
「それは違うよ! その噂は嘘だよ。竜はちゃんと現れたんだから!」
「でも、シャルロ山から帰って来た時に騎乗していた紫竜は、妃奈様の竜なのですよね? そう聞いておりますよ? それ以外の竜を城の誰も見ていないのですが……」
もしかして銭塘君は、王宮ではずっと人型でいるのかな? 何か理由があって竜型にならないでいるのかな?
沈黙する妃奈に、リンは気の毒そうに笑う。
「そうですね、陛下には妃奈様が現れたのですから、妃奈様が陛下の竜なのかもしれませんね」
リンの言葉に、妃奈はハッと顔を上げた。
それは……そうなのかもしれない!
シャルロ山の湖の畔で、祈るアレクを見た時に感じたあの感覚。何か神々しいものが自分の中に流れ込んできたようなあの衝撃。あれは、まさに竜替えの儀式に於ける天啓だったのでは……。
あの後、アレクに駆け寄った妃奈が真っ先に願ったのは、アレクに竜が現れることだった。そして、銭塘君は現れた。もし銭塘君がアレクの竜ではなく、妃奈こそがアレクの竜なのだとしたら……。
それなら、銭塘君がアレクの傍にいることに無頓着だったことにも納得がいく。一方妃奈は、アレクの傍に戻りたくて戻りたくて仕方がないのだ。今でさえ、アレクの傍にいないことが耐え難いほどだ。
もしかしたら、銭塘君は本当に王宮に来ていないのかもしれない!
だけど、私がアレクの竜なんて……私じゃ、役に立たなさ過ぎでしょ!
妃奈は愕然として、頭を抱え込んだ。
「もしそうなら、私は竜失格だ。飛べないどころか、竜型にさえなれない……アレクを助けられない……」
「妃奈様、ご心配には及びませんよ。陛下はお強いお方です。何があろうと、竜の助け無しに、ご無事に切り抜けておいでですよ。きっと……」
確かに紫竜はアレクを助けてくれるかもしれない。だけど、紫竜は混色竜だ。さほど強い竜ではない。赤竜だった銭塘君との戦いで、あの時、もしテオ殿下の竜が現れなければ負けていた。紫竜だけではアレクを守れない。
考えを巡らせていると、再びドアをノックする音がした。見慣れぬ女官が血相を変えて入ってきた。
「大変です! 陛下が! 陛下が隣国、ネメア公国にて陰謀に巻き込まれ、捕らえられたとの一報が届きましてございますっ」




